第43話「創世祭の幕開け(2)」
大聖堂の内部は、外の喧騒が嘘のように厳かな静寂に支配されていた。
天井まで届く巨大なステンドグラスからは七色の光が降り注ぎ、磨き上げられた大理石の床を虹色に染めている。壁面に刻まれた三大竜のレリーフが、静かに参列者を見下ろしていた。
高い天井から吊るされた黄金のシャンデリア。無数の蝋燭の炎が揺らめき、聖堂内を温かく、そして神秘的な光で満たしている。
並み居る来賓たちの顔ぶれは壮観だ。
最前列には王族、大貴族、教会の最高位聖職者たち。彼らの纏う衣装は、平民が一生かかっても手が出ないほどの逸品ばかりだ。煌めく宝石、光を弾く金糸。
その中央、ひときわ荘厳な玉座が二つ並んでいる。
「国王陛下、王妃殿下のお成りでございます」
朗々とした声と共に正面扉が開かれると、参列者たちは一斉に立ち上がり、深く頭を垂れた。
入場してきたのは、この国の最高権力者——オーウェンの両親である。
国王は黄金色の髪を撫でつけ、白と金の礼服に身を包んでいた。胸元には王家の紋章。その瞳には長年の統治で培われた知性と、民を慈しむ温かな光が宿っている。ただ歩くだけで周囲の空気を引き締める、王としての風格。
その隣を歩く王妃もまた、輝くような黄金の髪を優雅に結い上げていた。淡い金色のドレスは陽光を受けて柔らかく輝き、首元の真珠が上品に揺れる。
柔らかな微笑みを湛えたその横顔は、慈愛そのものだ。オーウェンのあの優しい目元や口元は、間違いなく母親譲りだと誰もが納得するだろう。
二人は玉座に着くと、鷹揚に来賓たちへ着席を促した。
「本日の儀式、楽しみにしておりますわ」
王妃が春風のような声で呟く。
「息子が立派に務めを果たす姿......母として、これほど誇らしいことはありません」
「ああ。私も楽しみだ」
国王も満足げに頷いた。
「今日という日は、歴史に刻まれるだろう。我が国の未来を担う若者たちの、晴れ舞台だ」
玉座の周囲には、各一族の重鎮たちが控えている。
シュバルツ一族からはセク、親族の一人としてノックスが正装で参列し、ジルヴァ一族からはセレネの父であるマジェスタ家当主が厳粛な面持ちで立っていた。ゴルト一族の系譜の者たちもまた、王の傍らでその時を待っている。
後方の一般席には中小貴族や豪商たちが詰めかけ、静寂の中に期待と緊張を滲ませていた。
―――
大聖堂の奥深く、来賓の目から隠された控え室。
そこには、今日の主役となる三人の姿があった。
「......」
姿見の前で、キオはじっと自分の姿を見つめていた。
纏っているのは、黒竜をモチーフにした絢爛な正装だ。
夜空を思わせる漆黒の生地に、深い藍色の刺繍。黒絹のマントの裾には、銀糸で竜の鱗が描かれている。胸元には黒曜石の紋章、腰には細い銀鎖のベルト。
普段の柔和な雰囲気とはかけ離れた、威厳に満ちた姿。鏡の中の自分が、まるで別人のように思える。
「似合っているぞ、キオ」
背後から、低く落ち着いた声が落ちてきた。
振り返れば、シュバルツが腕を組んで立っている。
漆黒の鱗と翼、そして尾を持つ竜人の姿。紫色の瞳は穏やかにキオを見つめていた。その存在感は、やはり圧倒的だ。
「本当に......?」
キオが不安げに問うと、シュバルツは小さく鼻を鳴らした。
「俺が嘘を言うと思うか。その衣装は、お前によく映えている」
「......ありがとう、スバル」
その言葉に、キオの口元がようやく緩む。
けれど、緊張は解けない。手のひらはじっとりと湿り、心臓は早鐘を打ち続けている。
「キオ様」
遠慮がちな声に振り向けば、セレネが真っ赤な顔でこちらを見ていた。
彼女が纏うのは、白銀竜をモチーフにした衣装。純白の絹地に銀糸の刺繍、胸元には月長石。スカートの裾には霜の結晶模様が広がり、歩くたびに銀の光を散らす。
白銀の髪と相まって、まるで天上の聖女のような神々しさだ。傍らには、大地の精霊テレシアが穏やかな微笑みで控えている。
「と、とても......お似合いです......」
セレネは恥ずかしそうに俯きながらも、精一杯の言葉を紡いでくれた。
「あ、ありがとう、セレネさん。セレネさんこそ、とても綺麗だよ」
「ひゃっ......!」
キオの素直な賞賛に、セレネは林檎のように赤くなって固まってしまった。
「二人とも、緊張しすぎだな」
苦笑混じりの声と共に、オーウェンが姿見の前に並んだ。
彼は金竜をモチーフにした、眩いばかりの衣装を身に纏っている。
太陽を思わせる黄金色の生地、獅子と竜の紋章。胸元のトパーズは燃えるように煌めき、マントの裏地には炎のような赤。その姿は「光の王子」——金竜の末裔たる正統な後継者、そのものだった。
傍らでは、グリフォンのソラリスが金色の羽毛を休め、主人に寄り添っている。
「......と言っている僕も、正直なところ、かなり緊張している」
オーウェンは胸に手を当てて苦笑した。
「心臓がうるさくてね。自分でも驚いているよ」
「オーウェンでも緊張するんだ......」
「当たり前だ。両親だけじゃない、国中が見ているんだぞ。」
三人が横に並ぶと、その迫力は圧巻だった。
黒、金、白銀——三大竜の色を纏った若き継承者たち。そしてシュバルツ、ソラリス、テレシア——それぞれの精霊たち。
神話の一場面が現実に降り立ったかのような光景だ。
―――
控え室の扉が、静かに開いた。
「皆様、お揃いですね」
入ってきたのは、ルドルフ・ジルヴァ・ハイリヒだ。
彼もまた儀式用の正装に身を包み、白銀の髪を整えている。胸元には聖職者の証である銀の十字架。背後には八枚の翼を持つ天使の精霊ルシエルが、厳かに控えていた。
「本日は、いよいよ創世祭の本番です」
ルドルフの表情は晴れやかだった。そこには純粋な期待——長年の夢が叶う瞬間を前にした少年のように、瞳が輝いている。
「百年に一度あるかないかの、稀有な状況。私は......この日、この時を共に迎えられたことを光栄に思います」
ルドルフは三人を見渡し、深く頭を下げた。
「キオ様、オーウェン殿下、セレネ様。どうか、皆様の力を存分に発揮してください」
その言葉には、一点の曇りもない誠実さが込められているように見えた。
「ハイリヒ君......ありがとう」
キオが微笑むと、ルドルフの頬がわずかに紅潮した。
「い、いえ......当然のことです」
その時、ルドルフの背後から、もう一つの影が進み出た。
「......」
ヴィクトール・ジルヴァ・クロイツ。
無表情のまま、三人の前に立つ。銀色の狼の精霊もまた、主人と同じく隙のない佇まいで控えている。
「本日の儀式、滞りなく進むよう、我々も全力でサポートいたします」
抑揚のない声。感情の読めない瞳。
以前キオに激昂した時とは打って変わり、今日のヴィクトールは鉄仮面を被ったかのように、感情を完全に押し殺していた。
「よろしくお願いします、ヴィクトールさん」
キオは、真っ直ぐにヴィクトールの目を見て言った。
その瞬間、ヴィクトールの眉がぴくりと動く。
「頑張りますから」
キオは柔らかな笑みを浮かべてそう続けた。
それは、かつて詰め寄られた時とは違う、穏やかな響きだった。責めるでも怯えるでもなく、ただ純粋に——共に儀式を成功させたいという願いを込めた言葉。
「......っ」
ヴィクトールの表情が、一瞬だけ歪んだ。
苦しげな、気まずそうな——複雑な感情が、無表情の仮面の下から滲み出る。
彼は何も言わず、ふいっと顔を背けた。その横顔には、後悔とも羞恥ともつかない影が落ちている。
「......精一杯、務めさせていただく」
絞り出すような声でそれだけを告げ、ヴィクトールは一歩下がった。
キオはその背中を静かに見つめる。
『......これでよし』
心の中で呟いたキオに、シュバルツが静かに応えた。
『それでいい。それがお前だ』
『......ありがとう、シュバルツ』
2人は静かに笑いあった。
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