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夜空色の青春  作者: 上永しめじ
第三章 「紅・銀の波乱と創生の祭典」
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第42話「心を照らす優しい声(2)」



 放課後。


 図書館の奥まった一角、古い書架に囲まれた窓際の席に、いつもの面々が集まっていた。


 天井まで届く巨大な本棚には、革表紙の古書がぎっしりと並び、歴史の重みを感じさせる独特の芳香を放っている。


 西に傾きかけた陽射しが、舞い踊る埃を金色に染めている。窓枠が切り取る冬の空は高く、淡い水色からオレンジ色へのグラデーションを描き始めていた。古本の匂いと静寂に包まれたこの場所は、キオたちにとって秘密基地のようなものだ。



 磨き込まれた重厚な木のテーブルを囲むのは、キオ、オーウェン、ルイ、カリナ、セドリック。そして少し離れた、書架の影が落ちる場所には、シュバルツが大きな影のように控えている。その紫色の瞳は、薄暗がりの中で静かに光を放っていた。


 いつもの図書室での集まりだが、今日ばかりは誰もノートを開こうとはしなかった。テーブルの上に置かれた手つかずの鞄たちが、今の場の空気を物語っている。



「――それで、ヴィクトールさんに言われたことが、ずっと頭から離れなくて」


 キオは、昨日の出来事をぽつりぽつりと語った。


 言葉にするたび、昨日の映像が鮮明に蘇る。ヴィクトールの激昂した表情、怒りに歪んだ眉間。胸ぐらを掴まれた時の、生地が擦れる音と、首元に食い込む指の感触。そして、氷のように冷たく投げつけられた言葉。



「『私の苦しみなど、お前には見えてすらいないんだろう』って......」


 口に出すと、また胸の奥がズキリと痛んだ。それは物理的な痛みにも似た、鋭い感覚だった。



「僕は、あの人の皮肉にも気づかないで、呑気に感謝なんて伝えていたんだ。それが......あの人にとっては、傷口に塩を塗るようなことだったみたいで」


 キオは膝の上で拳を握りしめ、視線を落とす。握りしめた拳が微かに震えている。自分の無神経さが、誰かを傷つけてしまったという事実が、重石となって胃の腑にのしかかる。



「無自覚に、あの人を追い詰めていたのかもしれない」


 語り終えると、重い沈黙が場を支配した。


 図書館特有の静けさとは違う、息詰まるような静寂。窓の外で風が唸る音だけが、微かに聞こえてくる。



 オーウェンは顎に手を当てて深く考え込み、その整った顔に影を落としている。ルイは「うーん......」と困り果てたように眉を寄せ、視線を彷徨わせている。セドリックも何か言いたげに口を開いては、適切な言葉が見つからない様子で閉じていた。誰もが、キオの痛みを共有し、どう言葉をかけるべきか迷っているのだ。



 そんな重苦しい空気を切り裂くように――。


「腹立つわね、そいつ!」


 バン! とカリナがテーブルを叩いた。


 乾いた破裂音が図書館の静寂を打ち破る。


 全員がびくりとして顔を上げる。



 カリナは頬を膨らませ、瞳をこれでもかとギラつかせていた。その瞳には、夕陽の赤さを映したような炎が宿っている。怒れる小動物どころか、猛獣のような迫力だ。彼女の周りだけ温度が急上昇したかのような熱気がある。


「なによそれ! キオは悪くないじゃない! 感謝を伝えて何が悪いのよ! どう考えてもそいつの方がおかしいわよ!」


「カ、カリナ、声が大きいよ......」


 ルイが慌てて宥めようとするが、カリナの勢いは止まらない。彼女の真っ直ぐな正義感は、一度火がつくと誰にも止められないのだ。


「だってそうでしょ!? キオはキオなりに誠実に接してたんでしょ? それを『馬鹿にするな』って、逆ギレもいいとこじゃない!」


 カリナのあまりに真っ直ぐな怒りに、ルイとセドリックは思わず苦笑を浮かべた。けれどその表情には、「たしかにそうだ」という安堵も混じっている。彼女の爆発的な感情表現が、凝り固まっていた空気を強引にかき回し、流れを作ったのだ。


「はは、カリナの言う通りかもしれないな」


 オーウェンが、ふっと表情を緩めた。張り詰めていた眉間の皺が消え、いつもの穏やかさが戻る。


「キオ。あまり気にしなくていいと、僕は思う」


「オーウェン......」


キオはオーウェンの顔を見上げるが、その顔は何処か頼りない。


「ただ――」


 オーウェンはそんなキオの表情に少し困ったように首を傾げる。窓からの光が彼の髪を透かし、柔らかく輝かせた。


「君の性格だと、僕たちがそう言っても気にしてしまうんだろうな」


 図星だった。


 キオは思わず苦笑いを浮かべる。自分はこんなにも心の内を顔に出してしまうような人間だっただろうか。



「......わかっちゃう?」


「ああ、顔に書いてあるからな」


 オーウェンも穏やかに笑い返した。


 その、温かな空気が流れ始めた時だ。



「そんなこと、気にする必要など微塵もありませんわ!」



 凛とした高い声が、静かな図書館に響き渡った。

 それはまるで、舞台上の役者が発するような、よく通る声だった。





 全員が驚いて振り返ると、書架の影からベアトリスが姿を現したところだった。


 鮮やかな黄色の髪が午後の光を受けて黄金の輝きを放ち、その堂々とした立ち振る舞いは、まさに深窓の令嬢。制服の着こなしひとつとっても、隙がない。


 だが、その背後には、おろおろとした様子のエルヴィンがふわふわと黄色の髪を揺らしながらついてきている。彼は申し訳なさそうに肩をすくめ、視線を泳がせていた。



「ちょっ......なにやってんだよベアトリス! いくらたまたま聞こえてきたからって......! まるで盗み聞きしてたみたいじゃないか!」


 エルヴィンが小声で抗議するが、ベアトリスは聞く耳持たずだ。彼女の視界には、今、落ち込んでいるキオしか入っていないのだろう。



「話は聞かせていただきましたわ」



 ベアトリスは胸を張り、カツカツと足音を響かせてキオの方へ歩み寄る。硬い床を叩くヒールの音が、彼女の揺るぎない意志を物語っている。そして正面に立つと、強い眼差しでキオを見据えた。



「キオ様、気にしすぎです」


「え......」


「そんなムカつく上級生のことなど、あなたが悩む価値もありませんわ」



 断言だった。


 一点の曇りもないその言葉に、キオは目をぱちくりさせる。夕陽を背負った彼女の姿は、あまりにも眩しかった。



「そもそも、才能ある後輩に嫉妬して当たり散らすような方に、なぜあなたが心を痛めなければなりませんの? その方の事情など、キオ様が知るわけないでしょうに! 『うるさいわバカヤロー』くらいで、ちょうどいいのですわ!」



 その瞬間――時が止まった。



 図書館の空気そのものが凍りついたかのようだった。


 エルヴィンが、信じられないものを見る目でベアトリスを見つめている。


 口はぽかんと開き、目は点になっていた。


 キオも同様だ。あまりにも優雅な見た目と、あまりにも過激な言葉のギャップに、脳の処理が追いつかない。「バカヤロー」という単語が、令嬢の口から、しかもこれほど美しく発音されたのを初めて聞いた。



 沈黙を破ったのは、オーウェンだった。


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