第42話「心を照らす優しい声」
翌朝。
夜の間に降りた霜が、校舎の窓枠を白く縁取っている。
教室の扉に手をかけた瞬間、キオは足がすくむような重さを感じた。指先から伝わる金属の冷たさが、そのまま芯まで凍てつかせるように全身へと広がっていく。
いつもなら何気なく踏み出せる一歩が、今日は泥沼に浸かったように重苦しい。昨日のヴィクトールとのやり取りが、澱のように心に残っているのだ。喉の奥にへばりついた苦い塊が、呼吸をするたびに存在を主張してくる。
『キオ』
ふいに、シュバルツの声が胸の奥に響く。それは、凍えた心を温める熾火のように静かで深い。
『大丈夫だ。ゆっくりでいい』
その低く落ち着いた響きに、強張っていた肩の力が少しだけ抜ける。キオは小さく頷くと、意を決して教室へと足を踏み入れた。
扉が開くと同時に、教室内の温かな空気が肌を撫でた。
窓からは冬の鋭い朝日が差し込み、教室の床に長い光の筋を引いている。舞い上がった埃が光の粒となってキラキラと輝き、使い込まれた木の床を黄金色に染めていた。始業前の空気はまだ冷たいが、クラスメイトたちの賑やかな話し声がそれを和らげていた。誰かが笑う声、椅子を引く音、教科書をめくる乾いた音が重なり合い、日常という名の音楽を奏でている。
その平和な光景に少しだけ安堵しながら、自分の席へ向かおうとした、その時だった。
「キオ」
名前を呼ばれ、振り返る。
そこには、オーウェンが立っていた。隣にはルイもいる。
朝の光を浴びた金髪の王子様は、窓際からの逆光を受けて神々しいほどの輝きを纏っていたが、その表情は陰っている。彼はどこか痛ましげな瞳で、こちらを真っ直ぐに見つめていた。その青い瞳は、キオの心の奥底にある揺らぎさえも見透かしているようだ。
「おはよう。少し......顔色が悪いようだが、どうかしたのか?」
隠そうとしても隠しきれない心配の色が、その声には滲んでいる。普段の凛とした響きとは違う、親しい友人にだけ向ける柔らかくも案じるような声色だ。
「キオ君、大丈夫......? なんだか辛そうだよ」
ルイも眉を八の字にして、不安げにキオの顔を覗き込んだ。小動物のように愛らしいその瞳が、今は曇っている。キオの様子がおかしいことを、敏感に感じ取っているのだ。
キオは一瞬、言葉に詰まった。
乾いた唇が震える。「なんでもない」と笑って誤魔化そうとしたが、二人の真剣な眼差しを前にしては、嘘をつく気になれなかった。彼らの瞳はあまりにも澄んでいて、そこに映る自分自身を偽ることは、彼らの信頼を裏切ることのように思えたからだ。
「......うん、ちょっとだけ。昨日、考え事をしちゃって」
曖昧に濁すと、オーウェンとルイは顔を見合わせた。言葉などなくとも、視線だけで意思疎通ができているようだ。二人の間に流れる空気が、キオを気遣う色に変わる。
「放課後、時間は空いているか?」
オーウェンが静かに切り出した。朝の喧騒の中でも、彼の声だけははっきりと耳に届く。
「もしよかったら、話を聞かせてくれないか。力になれるかもしれない」
その申し出に、キオの胸の中で迷いが揺れる。迷惑をかけたくないという思いと、ひとりで抱えることの限界。相反する感情がせめぎ合う。けれど、同時にこみ上げてきたのは「誰かに聞いてほしい」という切実な思いだった。冷え切った心は、無意識のうちに温もりを求めている。
『キオ』
シュバルツの声が、優しく背中を押す。
『一人で抱え込むな』
その言葉に、キオはふっと息を吐いた。張り詰めていた糸が緩む感覚。肺の中に溜まっていた冷たい空気がすべて吐き出され、代わりに温かな決意が満ちていく。
「......うん。ありがとう、オーウェン」
この心の重りを相談してみよう、そう思えた。
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