表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜空色の青春  作者: 上永しめじ
第三章 「紅・銀の波乱と創生の祭典」
133/167

第41話「怒りと自責の念(3)」




 その夜。


 一切の光が届かぬ深き闇の底で、パラッツォは一人、笑っていた。


 冷たく湿った空気が澱むその空間は、果てしなく広いようでもあり、息が詰まるほど狭いようでもあった。足元には形を持たない影が渦を巻き、彼の存在だけが、この虚無における唯一の実体だった。



「ふふふ......ふふふふふ......」


 彼の忍び笑いが、どこまでも続く闇の壁に反響しては吸い込まれていく。


 目の前の虚空には、冷気が凝縮したかのような霧がゆらゆらと浮かび上がり、いくつもの窓を形作っていた。その不安定な揺らぎの中に、地上の光景が鮮明に映し出されている。


 寮の自室で、ベッドに腰掛けたまま動かないキオの姿。月明かりが彼の孤独を際立たせている。


 原因を探ろうと動き始めたルドルフの後ろ姿。その足取りは、夜の廊下で焦燥を孕んでいた。


 そして、キオに教えられるのは自分だと確信するベゼッセンの横顔。理知的な瞳の奥に、使命感という名の熱が灯る。



「ああ、愉快だ。実に愉快ですねぇ」


 パラッツォは、闇に溶け込むような黒衣の袖を揺らし、優雅に指を鳴らした。パチン、という乾いた音が、静寂に満ちた空間を鋭く切り裂く。その音に呼応するように、周囲の影がざわりと波打った。


「ヴィクトール君は、期待以上の働きをしてくれました。お陰で、キオ君の心に——小さな、でも確かな傷がついた」


 彼は、霧の中のキオを愛おしげに見つめた。窓から漏れる微かな光が、パラッツォの顔に深い陰影を落とす。



「『無自覚に人を傷つけていた』......ああ、なんて美味しい疑問でしょう。その困惑、その自問——後々、きっと役に立ちますよ」


 そして、ルドルフとベゼッセンの映像を並べて眺める。霧が揺らぎ、二人の姿が歪んで混じり合う。


「彼らも、それぞれの思惑で動き始めましたねぇ。ルドルフ君は『原因を』と。ベゼッセン様は『教えなければ』と」



 クククと、忍び笑いが漏れた。その吐息が白く濁り、闇に溶けていく。


「善意ほど厄介なものはありませんからねぇ。彼らは自分が正しいと信じているからこそ——もっともっと、キオ君に近づこうとするでしょう」


 パラッツォは背後を振り返ることなく、ゆっくりと腰を下ろした。彼の意志に応えるように、足元の影がねっとりと隆起し、凝縮され、彼を受け止めるための豪奢な玉座を織りなした。冷たい影の感触を楽しみながら、彼は深く腰掛ける。



「さて、次の幕が楽しみですねぇ。キオ君は、あの傷をどう乗り越えるのでしょうか」


 霧の窓の光を受けて輝くその瞳に、周囲の闇よりも深い、陰湿な期待が渦巻く。


「友人たちに救われるのでしょうか? それとも、別の何かに飲み込まれてしまうのでしょうか?」


 パラッツォの高笑いが、再び闇の底に響き渡った。それは、獲物を追い詰める蜘蛛が巣の中心で上げる、歓喜の歌のようだった。



「どちらにしても——私は、特等席で見届けますよ」





 ―――


 キオは寮の自室で、ベッドに腰掛けたまま、窓の外を見つめていた。


 月明かりが、静かに部屋を照らしている。


 シュバルツは、いつものようにキオの傍らに座っていた。何も言わず、ただ寄り添うように。


 長い沈黙の後——キオが、ぽつりと呟いた。


「......私は、あの人の苦しみを、見ようとしていなかったのかな」


 独り言のような、小さな声だった。


「皮肉を言われていることも。悪意があることも、オーウェンやシュバルツに教えてもらって知っていた。でも......」


 キオは、自分の手を見つめた。


「それでも、感謝を伝えることが正しいと思っていた。だってそれが本心だったし......」


 シュバルツは黙って聞いていた。


「でも、それは......あの人にとっては、嫌なことだったんだね」


 キオの声には、自責と困惑が入り混じっていた。


「私......全然気づいてなかった」



 『私の苦しみなど、お前には見えてすらいないんだろう』



 ヴィクトールの言葉が、まだ頭の中で響いている。


「......どうすればよかったんだろう」


 答えは出ない。


 キオは静かに目を閉じた。


 シュバルツの大きな手が、キオの頭にそっと置かれた。


「......今日は休め」


 低く、穏やかな声。


「答えは、明日考えればいい」


「......うん」


 キオは小さく頷いた。


 シュバルツの温もりを感じながら、ゆっくりとベッドに横になる。


 眠れるかどうか、分からなかった。


 だが、今はただ——目を閉じていたかった。


 窓の外では、月が静かに学園を照らしていた。


 嵐の前の静けさが、夜の帳の中に溶けていく。


 答えは見つからないまま。




最後までお読みいただきありがとうございます。

面白い、続きが気になると思っていただけましたら、

下の☆マークから評価や、ブックマーク(お気に入り登録)をしていただけると、執筆の励みになります!

(お気軽にコメントもいただけたら嬉しいです)

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ