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夜空色の青春  作者: 上永しめじ
第三章 「紅・銀の波乱と創生の祭典」
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第41話「怒りと自責の念(2)」

 



 訓練室に静寂が戻った。


 シュバルツが振り返ると、キオは壁にもたれたまま、立ち尽くしていた。


「キオ」


 シュバルツが歩み寄り、キオの肩にそっと手を置いた。


「......大丈夫か」


「......うん」


 キオは短く答えた。


 その声は平坦で、表情も動かない。


 ただ、虚ろな目で、ヴィクトールが去っていった扉を見つめている。


 シュバルツは何も言わず、キオの傍に立った。


 今は、何を言っても届かないだろうと分かっていたから。



 キオの頭の中で、ヴィクトールの言葉が反響していた。




『私の苦しみなど、見えてすらいないんだろう』


『私など、お前の眼中にすらない』


『私の努力を、足掻きを、何も知らない顔で踏みにじって』




 「......そうだったのか」


 キオは、静かに目を伏せた。


 自分はずっと、ヴィクトールの言葉を「助言」として受け取っていた。だからこそ感謝を伝えることが、正しい対応だと思っていた。


 だが、それは——ヴィクトールにとっては、最大の侮辱だったのだ。




 『私は、無自覚にヴィクトールを追い詰めていた』


 その事実が、重く胸にのしかかる。


 悪意を持っていたのはヴィクトールの方だ。理不尽に攻撃してきたのも、胸ぐらを掴んできたのも、全て彼の側の問題だ。


 頭では、それが分かっている。


 だが——。



 『私みたいな人間の気持ちなど、一生分かるはずがない』



 あの言葉が、どうしても頭から離れなかった。


 ヴィクトールの目に浮かんでいた涙。怒りの奥に見えた、深い苦しみ。


 

 『......私は、どうすればよかったんだろう』


 答えは出ない。


 キオは黙ったまま、冷たい石の壁に背を預けていた。



「......帰るぞ、キオ」


 シュバルツの声が、静かに響いた。


「......うん」


 キオは短く頷いた。


 シュバルツに支えられるようにして、訓練室を後にする。


 その足取りは重く、顔には何の表情も浮かんでいなかった。






 寮へ向かう廊下は、すでに夕闇に沈みかけていた。


 窓から差し込む最後の茜色が、長い影を落としている。


 キオは俯いたまま、シュバルツの隣を歩いていた。




 ——その時だった。



「キオ様?」


 聞き覚えのある声が、廊下に響いた。


 キオが顔を上げると、前方からルドルフが歩いてくるところだった。


 白銀の髪が夕陽に照らされ、優美な輝きを放っている。


 だが、キオの顔を見た瞬間——ルドルフの表情が、驚きに変わった。


「キオ様......? どうかされたのですか? ヴィクトールとの練習の状況を見させて頂こうと思ったのですが......」


 ルドルフは足早に近づいてきた。



「顔色が優れないように見えますが......何かありましたか?」


 その声には、純粋な心配が滲んでいた。


「あ......ハイリヒ君」


 キオは我に返ったように、慌てて表情を作った。


「ううん、大丈夫。少し疲れただけで......」


「本当ですか?」


 ルドルフが眉を寄せる。


「何かあったのではありませんか? 訓練で......」


「いえ、本当に......ちょっとした行き違いがあっただけだから」


 キオは曖昧に答えた。



 ヴィクトールの名前を出すべきか、迷った末に、言わないことを選んだ。


 同じジルヴァ一族の問題だ。下手に口を出せば、話がややこしくなる。


「スバル殿」


 ルドルフが、キオの隣に立つ竜人に視線を向けた。


「キオ様に何があったのですか」


「......些細なことだ」


 シュバルツは短く答えた。



「キオは疲れている。今日は休ませてやりたい」


 ルドルフは何か言いたげだったが、シュバルツの威圧感に押されるように、一歩引いた。


「......わかりました。キオ様、どうかお身体をお大事に」


 ルドルフは深々と一礼した。


「何かあれば、いつでもお申し付けください。僕にできることがあれば、何でもいたしますから」


「......ありがとう。ハイリヒ君」


 キオは小さく頭を下げた。


 そして、シュバルツと共に、寮への道を急いだ。



 その背中を見送りながら、ルドルフは一人、廊下に佇んでいた。


「......キオ様の様子がおかしい」


 呟きが、夕闇に溶けていく。


 彼の胸の中で、何かがざわめいていた。


 『何があったのだろう』


 『ヴィクトールが何かしたのだろうか』


 ルドルフの拳が、無意識に握りしめられた。


 原因を突き止めなければ。



 そして——キオ様の憂いを無くさなければ。


 それが、ジルヴァ一族として――キオ様を導くものとしての当然の務めだ。


 ルドルフは踵を返し、歩き出した。






 同じ頃。


 学園の一角にある、ある一室。


 ベゼッセン・シュバルツ・ヴァーグナーは、窓辺に立ち、夕闇に沈む学園を眺めていた。


 ——その背後に、音もなく影が滲み出した。


「ご機嫌麗しゅう、ベゼッセン様」


 甘く、囁きかけるような声。


 ベゼッセンは振り返ることなく、冷ややかに答えた。


「......パラッツォか。何の用だ」


「ふふふ、そう邪険にしないでくださいな」


 パラッツォは、まるで散歩でも楽しむかのような足取りで、ベゼッセンの傍に歩み寄った。


「今日は、とっても面白いことがありましたのでねぇ。お知らせに参ったのですよ」


「......面白いこと?」


「ええ、ええ」


 パラッツォは楽しげに目を細めた。


「キオ君がねぇ......随分と落ち込んでいたのですよ」


 ベゼッセンの肩が、ピクリと動いた。


「......何?」


「ふふふ、やっぱり気になりますか?」


 パラッツォは嬉しそうに手を叩いた。


「訓練室でのことです。ヴィクトール君——ほら、ジルヴァ一族の分家の坊やですよ——が、キオ君に掴みかかりましてねぇ」


「......」


「『馬鹿にするな』『お前には私の苦しみなど見えていない』『私の努力を踏みにじりやがって』と、まあ、色々と怒鳴っておりました。すぐに、あの竜人に止められましたが」


 パラッツォは肩をすくめて見せた。


「キオ君はすっかり意気消沈してしまって。まあ、子供同士の喧嘩と言ってしまえばそれまでですが......ふふ、可哀想に」


 その声には、同情のかけらもない。


 むしろ、愉悦が滲んでいた。


 ベゼッセンは、しばらく黙っていた。


 やがて、静かに口を開く。


「......子供同士の諍いか」


「そうですねぇ。ヴィクトール君は嫉妬していたのでしょう。キオ君の魔力量に、立場に、そして......あの天真爛漫な態度に」


「ふむ」


 ベゼッセンは、窓の外を見つめたまま、低く呟いた。


「......貴族特有の皮肉の言い回しにキオが気づかなかった、ということか」


「そのようですねぇ。善意で受け取っていたようで」


「......あの子は、そういうところがある」


 ベゼッセンの声に、批判の色はなかった。


 むしろ、何かを確信したような響きがあった。


「純粋と言えば聞こえはいいが......貴族社会を生き抜くには、あまりに無防備だ」


「そうですねぇ。無垢なのは美徳ですが、それだけでは......」


 パラッツォが、探るような目でベゼッセンを見つめる。


 だが、ベゼッセンの表情には、暗い影は見えない。


 代わりにあったのは——大人としての、静かな確信。


「......やはり」


 ベゼッセンは、独り言のように呟いた。


「あの子には、私が教えてやらねばならないことが、多いようだな」


 皮肉の読み取り方。悪意への対処法。貴族社会を生き抜くための術。


 そう呟く声には、教育者としての使命感が込められていた。


「あの子は優秀だが、世間を知らなさすぎる。兄たちは甘やかしすぎた」


「ふふふ、さすがベゼッセン様。大人の視点ですねぇ」


 パラッツォが、意味深な笑みを浮かべる。


「では、私はこれで。また何かあれば、お知らせに参りますよ」


「......ああ」


 パラッツォの気配が、音もなく消えた。


 一人残されたベゼッセンは、夕闇に沈む学園を見つめ続けた。


「キオ......」


 小さく呟く。


 ――あの子を、一人前の貴族として育て上げる。


 ――それが、私の役目だ。


 ――私にしかできぬ事だ。


 ベゼッセンは静かに目を閉じた。


 その確信は、一見普通のように見えるが。


 その言葉の裏には暗い影が潜んでいた。





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