第41話「怒りと自責の念」
翌日の放課後。
キオは再び、あの小さな訓練室に呼び出されていた。
魔力吸収の魔法陣が施された壁に囲まれた、薄暗い空間。窓から差し込む夕陽だけが、冷たい石壁をわずかに温めている。
室内には、キオとシュバルツ、そしてヴィクトールの三人だけ。
昨日と同じ構図。
だが、空気は決定的に違っていた。
「......では、始めましょうか」
ヴィクトールの声は表面上は穏やかだったが、その奥底には、押し殺した何かが蠢いている気配があった。
昨日の訓練で、キオは新しい魔力制御の技術を編み出した。何度打ちのめしても立ち上がり、最後には自分の攻撃を完全に防いでみせた。
あの光景が、ヴィクトールの脳裏に焼き付いて離れない。
『キオ、今日はいつも以上に警戒しろ』
シュバルツの低い声が、心の中に響いた。
『うん。わかってる』
キオは深呼吸をして、意識を集中させた。
今日の訓練も、昨日と同じ——魔力の放出と停止の反復練習から始まった。
「始め」
キオは魔力を解放した。黒い靄が足元から立ち昇る。
「止め」
キオは即座に魔力を引き戻した。昨日掴んだ「多重層」の感覚を意識しながら、薄い膜を一枚ずつ畳み込むように。
......まだ完璧ではないが、昨日よりも確実に速くなっている。
「......ふむ」
ヴィクトールの声に、微かな苛立ちが混じった。
「もう一度。始め」
キオは再び魔力を放出した。
「止め」
今度は、さらに速く反応できた。
ヴィクトールの眉が、ピクリと跳ね上がる。
「......もう一度」
訓練は続いた。
十回、二十回、三十回——。
繰り返すたびに、キオの反応は少しずつ改善されていく。
それを見つめるヴィクトールの表情が、徐々に歪んでいくのを、キオは気づいていなかった。
―――
一時間後。
訓練が一区切りついた頃、キオは額の汗を拭いながら、ヴィクトールに向き直った。
全身が疲労で重いが、昨日よりも確実に上達している実感があった。多重層の制御も、少しずつ手応えを掴めてきている。
「ヴィクトールさん」
キオは、疲れた体に鞭打って背筋を伸ばした。
「今日もありがとうございました。おかげで、昨日よりもずっと——」
その瞬間だった。
「——いい加減にしろ」
低い声が、キオの言葉を遮った。
「え......?」
「いい加減にしろと言っている......!!」
ヴィクトールが、一歩前に踏み出した。
その動きは速く、キオが反応する間もなかった。
ガシッ!
ヴィクトールの手が、キオの胸ぐらを掴み上げた。
「......っ!?」
キオの体が、勢いよく壁に押し付けられる。
背中に走る鈍い痛み。息が詰まった。
「私を......馬鹿にするのをやめろ......!!」
ヴィクトールが叫んだ。
その顔は、怒りで真っ赤に染まり、額には青筋が浮かんでいる。整った顔が、醜く歪んでいた。
「なんなんだ、お前は!! 私がどれほど皮肉を言っても、嫌味を込めても——お前は感謝する!? 頭を下げる!?」
ヴィクトールの拳が、キオの胸ぐらをさらに強く締め上げる。
「私がお前を攻撃しても、『勉強になりました』だと!? ふざけるな!! 私を愚弄しているのか!!」
「ヴィクトールさん、僕は——」
「黙れ!!」
キオの言葉を、怒声が遮った。
「お前には私の苦しみなど、見えてすらいないんだろう!! いや、見る気もないんだ!! 私など、お前の眼中にすらないんだからな!!」
ヴィクトールの目に、涙が滲んでいた。
だが、それは悲しみではなく——抑えきれない憤怒から溢れ出たものだった。
「私がどれほど努力してきたか、お前に分かるものか!! 分家の生まれで、髪の色すら本家に届かない私が、どれだけ苦労してこの地位を......!!」
声が震えている。
「なのにお前は......!! 生まれながらに全てを持っている癖に、へらへら笑いやがって......!! 私の努力を、足掻きを、何も知らない顔で踏みにじって......!!」
ヴィクトールの言葉が、矢のようにキオの胸に突き刺さっていく。
「お前のような奴が、一番許せないんだ......!! 努力しなくても全てが手に入る奴が......!! 私みたいな人間の気持ちなど、一生分かるはずが——」
刹那。
漆黒の影が、閃光のように二人の間に割って入った。
ガンッ!!
鈍い音と共に、ヴィクトールの手がキオから引き剥がされる。
「——それ以上は許さん」
シュバルツだった。
その声は静かだったが、絶対零度の冷たさを帯びている。
紫の瞳が、怒りに燃えていた。
ヴィクトールは、突然の衝撃に数歩よろめいた。
目の前には、漆黒の竜人が壁のように立ちはだかっている。
その全身から放たれる威圧感に、ヴィクトールの体が本能的に震えた。
「......っ」
言葉が出ない。
目の前の存在が、自分とは次元の違う「何か」であることを、体が理解していた。
「キオに手を出すな」
シュバルツの声が、地を這うように響く。
「次はない」
その言葉には、警告以上の——明確な殺意が含まれていた。
ヴィクトールの顔から、血の気が引いた。
怒りも、嫉妬も、一瞬で吹き飛んだ。
残ったのは、純粋な恐怖だけ。
「......っ」
ヴィクトールは何かを言いかけて、口を閉じた。
そして、逃げるように訓練室を飛び出した。
その背中は、どこか——壊れかけた人形のようだった。
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