第40話「特別な指導(3)」
一時間後。
キオは床に膝をつき、荒い呼吸を繰り返していた。
制服はあちこちが裂け、腕や脚には無数の擦り傷ができている。深い傷はないが、全身が悲鳴を上げていた。
だが——。
「......もう一回」
キオは顔を上げた。
「......何?」
ヴィクトールが眉をひそめる。
「もう一回、お願いします」
キオは膝を震わせながら、それでも立ち上がった。
「さっき、少しだけ......わかった気がするんです。だから、もう一回」
ヴィクトールの表情に、僅かな動揺が走った。
何度打ちのめしても、這いつくばっても、折れない。
そんな反応は、予想していなかったのだろう。
「......いいでしょう」
ヴィクトールは苛立ちを隠すように、強引に魔力を練り上げた。
「......今度は容赦しない」
ボソリと小さな声で呟く。
銀色の光が、今までで最も強く収束する。
もはや「手加減」とは呼べない威力だった。
ヒュウウウウッッ!
放たれた銀の礫は、鋭い風切り音を伴って、キオに向かって飛来する。
その瞬間——脳裏に鮮烈な記憶が蘇った。
『——力が大きすぎるなら、小さく分ければいい』
それはかつて、魔力に乏しかった自分が強大な魔石を使用する為に理論と工夫で編み出した答え。
一度に全てを制御しようとするから溢れるのだ。ならば、小さな単位に分けて、一つずつ積み重ねればいい。
——過去の自分が、今の自分に力を貸してくれる。
その確信と共に、キオは魔力を放出した。
だが今度は、全てを一度に奔流として出すのではない。
小さな「核」を作り、その周囲に薄い膜を何重にも重ねていく。
イメージするのは、何層にも重なる玉ねぎの皮。あるいは、極薄のガラスを千枚重ねた防壁だ。
ガキィンッ!
ヴィクトールの攻撃が、構築したばかりの多重盾に激突した。
衝撃が走る。外側の膜が一枚、砕け散る。
だが、その下にはまだ膜がある。衝撃が次の層で減衰し、さらにその下で——。
最終的に、攻撃はキオの体に届く前に、完全に消滅した。
「......なっ」
ヴィクトールの顔から、血の気が引いた。
「......できた」
キオは自分の掌を、信じられない思いで見つめた。
いつもなら指の間から溢れ出してしまう魔力が、今はピタリと止まっている。薄い膜の一枚一枚に意識を配ることで、結果として魔力を「留める」ことができていた。
「スバル、今のわかった? 一気に縮めようとするから溢れてたんだ。でも、薄く分けて重ねれば......僕でも『絞り込める』!」
「ああ、見事だ。お前らしい『制御』の形だな、キオ」
シュバルツの声に、深い誇りが滲んでいた。
ヴィクトールは、呆然とキオを見つめていた。
何度打ちのめしても立ち上がり、最終的には自分の攻撃を完全に防いでみせた。
しかも、たった一時間の訓練の中で、新しい技術を編み出して。
これが、シュバルツ一族本家の力か。
これが、ルドルフ様やセレネ様が注目する男の本質か。
ヴィクトールの胸の中で、嫉妬の炎がさらに激しく燃え上がった。
同時に——得体の知れない恐怖が、背筋を這い上がってきた。
「......今日はここまでにしましょう」
ヴィクトールは努めて冷静な声で言った。
だが、その拳は震えていた。
「あ、ありがとうございました! すごく勉強になりました!」
キオが無邪気に頭を下げる。
その姿を見て、ヴィクトールは奥歯を噛み締めた。
「......では、失礼します」
ヴィクトールは背を向け、訓練室を後にした。
その足取りは速く、逃げるようだった。
―――
訓練室に残されたキオは、ようやく緊張が解けて、その場にへたり込んだ。
「はぁ......疲れた......」
全身が痛い。傷は浅いとはいえ、あちこちがヒリヒリする。
それでも、キオの顔には達成感が浮かんでいた。
「シュバルツ、どうだった? 意外と僕もやるだろ?」
「えへへ」と笑いながら、キオはシュバルツを見上げた。
シュバルツは静かにキオの隣に腰を下ろした。
大きな手が、優しくキオの頭を撫でる。
「......お前は、本当に変わらないな」
「え?」
「あいつはお前を傷つけようとしていた。それがわかっていて、なぜ続けた」
キオは少し考えてから、小さく笑った。
「だって、あの人の言ってることは正しかったから。僕の魔力制御は未熟だし、このままじゃ儀式で迷惑をかける。......それに」
「それに?」
「あの人、すごく悔しそうだった」
シュバルツが眉を上げる。
「悔しそう?」
「うん。僕を見る目が......なんていうか、羨ましいって言ってるみたいだった。だから、ただ意地悪したいんじゃなくて、何か理由があるんだと思う」
シュバルツは呆れたように溜息をついた。
だが、その目は優しかった。
「......お前のそういう考えは俺には持てないものだ。だが、嫌いではない」
「ふふ、ありがとう」
キオはシュバルツの腕に寄りかかり、目を閉じた。
疲れた体に、シュバルツの温もりが沁みる。
「......でも、気をつけろ。あいつの中にある闇は、お前が思っているより深い」
「うん......」
シュバルツは何も言わず、ただキオの頭を撫で続けた。
窓の外では、夕日が完全に沈み、夜の帳が下りようとしていた。
―――
一方、その頃。
ジルヴァ一族の控室では、ヴィクトールが一人、闇の中に佇んでいた。
明かりもつけず、ただ窓の外を睨みつけている。
その脳裏に、繰り返し蘇るのは——。
何度打ちのめしても立ち上がるキオの姿。
最後に見せた、あの魔法のコントロール。
そして、無邪気に「ありがとうございました」と頭を下げる、あの笑顔。
「......なんなんだ」
低い呻きが漏れる。
「なんなんだ......あいつは!」
拳が壁を叩いた。
鈍い音が響き、壁に亀裂が走る。
どれだけ努力しても、得られない魔力。
どれだけ傷つけても、折れない精神。
どれだけ侮辱しても、恨もうとしない心。
まるで——自分という存在など気にもとめてないその姿勢。
「......許さない」
ヴィクトールの瞳に、憤怒の光が宿った。
「あの男は......私の全てを否定している。私の努力を、私の苦しみを、何もかも......」
足元で、銀色の狼が不安そうに主人を見上げた。
だが、ヴィクトールはそれに気づかない。
彼の心は、怒りの深淵へと、沈み始めていた。
窓の外では、月が雲に隠れ、学園を深い闇が包み込んでいく。
その闇に呼応するかのように、ヴィクトールの中で、一つの決心が固まりつつあった。
あの男だけは絶対に認めない。
何があったとしても。
認めてなるものか。
絶対に身の程というものを、「わからせて」やらねばならない。
ヴィクトールはギリリと音をたてて歯を食いしばった。
それは、獲物を追い詰める狩人のような——冷酷で、昏い悦びを含んだ表情だった。
嵐の前の静けさが、学園を覆っていた。
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