第38話「委員会と皮肉な会話(2)」
廊下に出ると、すでに日は大きく傾き、長い影が伸びていた。
キオが帰ろうとした時、ヴィクトールが数人の生徒を引き連れて、再びこちらへ近づいてきた。
彼はキオたちの前で足を止めると、ゆったりとした動作で道を塞ぐように立つ。
「ネビウス殿。少々よろしいですか」
「はい、何でしょうか」
キオが足を止めると、ヴィクトールはその長身からキオを見下ろした。
夕陽が逆光となり、彼の表情に陰影を落とす。その瞳は、値踏みするようにキオの全身を舐めるように見てから、優雅に細められた。
「練習補助担当として申し上げます。空間属性の制御は非常に難しい。ましてや、ネビウス殿は『奇跡的にも』黒竜の眷属と契約された身」
ヴィクトールの視線が、キオの隣にそびえ立つシュバルツへと向けられた。
漆黒の鱗、鋭い爪。圧倒的な力の象徴。
ヴィクトールの瞳には暗い色が浮かんでいた。
「その身に余る強大な力に振り回されぬよう、ご自身の実力をわきまえた練習が必要かと存じます」
「はい、もちろんです」
キオは素直に頷いた。
シュバルツが強い精霊であることは事実だ。そして、そんなシュバルツと出会えたことは、自分の実力というよりは、運命や巡り合わせによるものが大きかったと、キオ自身も思っている。
「僕も自分の未熟さはわかっています。基礎からしっかり頑張ります」
「......」
ヴィクトールの笑顔が、一瞬だけ固まった。
彼は軽く咳払いをすると、言葉を継ぐ。
「それは重畳。伝統ある創世祭です。くれぐれも、その『穢れを知らぬ』振る舞いで、三大一族の威厳、ひいてはセレネ様やルドルフ様の格式に泥を塗らぬよう、お気をつけください」
その言葉には、含みがあった。
だが、キオにはその「含み」が、純粋な注意喚起に聞こえていた。
キオは居住まいを正し、真っ直ぐな瞳でヴィクトールを見つめ返した。
「はい! シュバルツの名にかけて、精一杯努めます。ご指導ありがとうございます、ヴィクトールさん」
そして、深々と頭を下げる。
その迷いのない感謝の言葉に、ヴィクトールの顔が微かに歪んだ。
拍子抜けしたような、それでいて苛立ちを募らせたような、複雑な表情。彼は何やら小声で呟くと、すぐに表情を戻した。
「......では、失礼します」
ヴィクトールは背を向け、取り巻きの生徒たちと共に去っていった。
取り巻きたちも、キオとシュバルツを奇異な目で一瞥してから、慌ててその後を追う。
その後ろ姿を見送りながら、キオはほうっと感心したように息を吐く。
「すごいなぁ、ヴィクトールさんは。僕みたいな一年生のことまで、あんなに真剣に心配してくださるなんて。やっぱり上級生は違うね」
「......キオ」
呆れたような、それでいて深い慈しみを含んだ声がして、キオは振り向いた。
そこには、オーウェンが腕を組み、壁に寄りかかって立っていた。
夕陽に照らされたその端正な顔は、なんとも言えない渋い表情をしている。
「オーウェン? どうしたの、難しい顔して」
「君は......本当に気づいていないのか?」
「え、何に?」
キオが不思議そうに首を傾げると、オーウェンは深いため息をついた。
「あれは、心配してくれているわけじゃない。遠回しに貶されているんだよ」
「えっ!?」
キオは目を丸くして、ヴィクトールが去っていった廊下の奥と、オーウェンの顔を交互に見た。
「でも、『無害』とか『穢れを知らない』とか......」
「『覇気がない』『何も考えていない愚か者』......あるいは『お前のような子供に務まるのか』という意味だ」
オーウェンは苦笑しながら解説した。
「『奇跡的にも』というのも、『実力ではなく運だけで』という嫌味だろうな」
「う、うわぁ......」
解説を聞くうちに、キオの顔から血の気が引いていき、次いで羞恥で真っ赤に染まった。
両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込みそうになる。
「僕、ニコニコして『ありがとうございます!』って言っちゃったよ......。うう、恥ずかしい......」
「ははっ」
オーウェンが堪えきれずに吹き出した。
「いや、それでいい。現にヴィクトールは調子を狂わされていたようだしな」
「え?」
「彼のような手合いは、相手が嫌味に気づいて顔をしかめたり、言い返してくるのを期待しているんだ。君のように真正面から感謝されては、まさに霧に剣を振るようなものだろう」
オーウェンは楽しそうに笑って、キオの肩を叩いた。
「キオ、君はそのままでいい。その『高貴な鈍感さ』は、時として最強の武器になる」
その時、キオの隣に立つシュバルツが、腕を組んだまま同意するように低く唸った。
「全くだ。俺もあいつの言い回しには虫唾が走っていたが......お前の反応を見ていたら、どうでもよくなった」
「スバルまで......! 気づいてたなら教えてくれればよかったのに!」
キオは縋るような目で、自分を見下ろす相棒を見上げた。
「言ったところで、お前は動揺して顔に出るだけだ。今の対応が正解だ」
シュバルツは口の端を少しだけ上げ、大きな手で、キオの頭を優しく撫でる。
「安心しろ。お前のそういうところを、俺は気に入っている」
―――
一方、その頃。
ジルヴァ一族の生徒たちがよく使用する一室。
そこは、壁は純白で統一され、静謐な空気が流れる、まるで礼拝堂の控え室のような場所だった。
ヴィクトールは革張りのソファに深く腰掛け、苛立たしげに紅茶のカップを置いた。カチャリ、と硬質な音が静寂を切り裂く。
「......何なのだ、あの男は」
ヴィクトールの端正な顔が歪み、眉間に深い皺が刻まれる。
「私の言葉の意味を理解していないのか? それとも、わかった上でとぼけているのか?」
「ヴィクトール様......」
取り巻きの男子生徒、マティアスが恐る恐る声をかける。
「やはり、ネビウス殿は少々......その、幼いのでは? 本家とはいえ、三男坊ですから」
「ふん......だとしたら、尚更救いようがない」
ヴィクトールは吐き捨てるように言った。
「シュバルツ一族の本流にありながら、あのような頼りない有様......。セレネ様やルドルフ様と肩を並べる資格などない」
彼の脳裏に、幼い頃の記憶が蘇る。
礼拝堂で一心に祈りを捧げる、女神のように美しいセレネの横顔。
才気煥発で、常に先を行く目標であるルドルフの姿。
二人は、ヴィクトールにとって絶対的な「貴族の理想」そのものだった。
それに比べて、あのネビウスはどうだ。使用人に話しかけるような気安さで誰にでも接し、あろうことか、三大竜の中でも最も畏怖されるべき黒竜の眷属を、友人のように連れ回している。
あれでは貴族の威厳もへったくれもない。
「私の役割は、創世祭を完璧なものにすること。ジルヴァ一族の栄光を守るためにも......」
ヴィクトールの琥珀色の瞳に、冷たい光が宿る。
傍らの狼の精霊が、主人の感情に呼応して低く唸り声を上げた。
「相応しくない者は、排除しなければならない」
彼が具体的に何をしようとしているのか、まだ誰も知らない。
だが、その歪んだ正義感は、静かに、しかし確実にキオへと向けられていた。
―――
その夜。
寮の自室に戻ったキオは、ベッドに入り、昼間の出来事を思い出していた。
窓の外には満天の星空が広がっている。
『貴族の会話って、やっぱり難しいなぁ......』
天井を見上げながら、ぼんやりと考える。
家にいた頃も、父や兄たちはもっと直截的だった。それに、同学年の貴族の子たちも、基本的には意見を直接言ってくることが多かった。あんな風に幾重にもオブラートに包んだ悪意を向けられたことはなかった。
貴族社会の、まだ見ぬ一面を垣間見た気がした。
「それが社交界というものだ」
シュバルツの声がして、キオは顔を向けた。
部屋の隅にある椅子には、シュバルツがゆっくりと腰掛けている。月明かりに照らされた黒い翼が、鈍く光沢を放っていた。
彼は眠る時も、こうしてキオの部屋で静かにキオを見守っている。
「だが、オーウェンの言う通りだ。お前は変に勘ぐらず、今まで通りでいろ。悪意には俺が気づくし、守ってやる」
「うん。頼りにしてるよ、シュバルツ」
「......ああ。ゆっくり休め」
シュバルツの声は、昼間よりもずっと穏やかで、温かかった。
窓の外では、風が強まり始めていた。木々がざわめく音が聞こえる。
創世祭への道のりは、予想よりもずっと険しく、冷たい風が吹くものになりそうだ。
けれど、この部屋には頼もしい相棒がいる。
キオは布団を深く被り、明日の練習に備えて静かに目を閉じた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
面白い、続きが気になると思っていただけましたら、
下の☆マークから評価や、ブックマーク(お気に入り登録)をしていただけると、執筆の励みになります!
(お気軽にコメントもいただけたら嬉しいです)
よろしくお願いします。




