第36話「温かな約束、冷たい祈り」
冬の透き通るような青空から、柔らかな陽射しが降り注いでいた。あの雪合戦から二日が経ち、いよいよルイたちが帰る日を迎えた。
ネビウス邸の中庭は、凛とした冷気に包まれながらも、どこか穏やかな時間が流れている。
庭の木々は葉を落とし、寒々しい姿を見せているが、そこに注ぐ光は暖かく、地面の霜をゆっくりと溶かしていた。
庭園の一角にある白い東屋。そのテーブルには、湯気を立てる琥珀色の紅茶と、焼きたての香ばしいクッキーが並んでいる。
向かい合って座っているのは、キオとルイだった。
今日、この屋敷は珍しく静まり返っている。
いつも騒がしいガロンは、昨日の雪合戦での一件――彼が引き起こしたちょっとした騒動のこともある為、ノックスによって強制的に家へと送り届けられることとなった。
そして、屋敷の中を駆け回る双子のルーアとネロは、今はセクの監視下で午後の勉強に励んでいる最中だ。
聞こえてくるのは、風が枯れ枝を揺らす乾いた音と、小鳥のさえずりだけ。それは、嵐の後の静けさにも似た、心地よい空白の時間だった。
「今日で、もうお別れかあ」
キオは温かなティーカップを両手で包み込み、指先に伝わる熱を感じながら、しみじみと呟いた。白い陶器から立ち上る湯気が、ふわりと顔にかかる。
「うん。でも、すぐに新学期が始まるしね」
ルイがからりと明るく笑って答えた。
彼女の灰色の髪が、冬の冷たい風にさらりと揺れる。その肩のあたりには、火の精霊フレアと、水の精霊トロプが気持ちよさそうに浮かんでいた。精霊たちもまた、この穏やかな午後を楽しんでいるようだ。
少し離れた芝生の上では、シュバルツが寝転がっている。冬の日差しを全身に浴びて、うつらうつらと微睡む。
「ルイ、本当にありがとう。遊びに来てくれて嬉しかったよ」
キオは改めてルイの顔を見て、素直な感謝を口にした。
「この間作ってくれたお昼ご飯、本当に美味しかった。あのスープの味、まだ忘れられないよ」
滞在中、一度だけルイが腕を振るってくれた昼食のことだ。野菜の甘みが溶け込んだあのスープは、冷えた体に染み渡るような優しさがあった。
「ふふ、お口に合ったならよかった。みんなが『美味しい、美味しい』って言って食べてくれるから、私、すごく嬉しかった」
ルイの青い瞳が、優し気に細められる。
「それに、ベアトリスさんともすっかり仲良くなれたみたいだね」
「うん! 一緒に雪だるまを作った時、すごく楽しそうだったなあ。ベアトリスさん、ああいう遊びは初めてだったんだって」
「うん、見てたよ。手袋がびしょびしょになっても気にせず、夢中で雪を丸めてたもんね」
二人の脳裏に、昨日の光景が蘇る。真っ白な雪の中で、普段は落ち着いているベアトリスが、子供のようにはしゃいでいた姿。
キオとルイは顔を見合わせ、その微笑ましい光景を思い出してケラケラと笑い声を上げた。二人の白い息が混ざり合い、高い冬空へと溶けていく。
ひとしきり笑ったあと、ルイはほう、と満足げな吐息を漏らした。そして、ティーカップをソーサーに置き、視線を屋敷の方へと向ける。
歴史を感じさせる重厚な石造りのネビウス邸。そこは今、静かだが、確かな生活の温もりが満ちていた。
「キオ君の家族って、みんな本当に賑やかで、楽しい人たちだね」
ルイが眩しそうに言った。その声には、心からの実感がこもっている。
「セクさんは優しいし、リーリエさんも凄く気配り上手だし......。ノックスさんも面白くて頼りになるし、双子ちゃんたちは、もう元気いっぱいだし!」
「はは、元気すぎてルイが疲れてないか、ちょっと心配だったんだ。特にルーアなんて、ずっとルイにくっついてたし」
キオは苦笑しながら、肩をすくめた。
「さっきも勉強の時間になったのに『やだやだ! ルイお姉さまと遊ぶの! まだ帰らないで!』って大騒ぎして、セク兄さんに連行されていったしね」
「ううん、全然。むしろ嬉しかったよ。あんなに懐いてくれて、『また遊びに来て』って言ってもらえて」
「うん、また来てよ。いつでも大歓迎だからさ。みんな、ルイのことが大好きなんだ」
「えへへ、ありがとう......。きっと、また遊びに来るね!」
ルイは照れたように微笑んでから満面の笑みを返す。
そこには、別れの寂しさを引きずるような湿っぽさは微塵もない。またすぐに会える友人同士が交わす、軽やかで前向きな「またね」の笑顔だった。
キオは空になったカップを置き、ふと思いついたように切り出した。
「そうだ、ルイ」
「ん? なあに?」
「今度は僕らが、ルイの実家の『リンネル洋食屋』に遊びに行きたいな」
「え?」
ルイが驚いたように目を丸くする。
「本当? ルーアちゃんたちも?」
「うん。トーマスさんやアンナさんが作る料理もまた食べたいし......双子たちもきっと大喜びすると思うから」
あの食いしん坊の双子たちが、美味しい洋食を前にして目を輝かせる姿が、キオには容易に想像できた。
「あはは、確かに! あの子たちが来たら、お店がすごく賑やかになりそうだね」
ルイも同じ光景を想像したのか、楽しげに声を弾ませた。
「お父さんとお母さん、すごく喜ぶと思う。待ってるね」
「じゃあ、次の夏休みにでも遊びに行くよ」
「うん! 約束!」
二人はテーブル越しに、笑顔で約束を交わした。
その楽しげな声を聞いてか、芝生の上で微睡んでいたシュバルツが、ゆっくりと上体を起こした。
『良い時間を過ごしているな、キオ』
心の中に、低く、けれど深い慈愛に満ちた声が響く。
『うん。ルイとこうしてゆっくり話せて、楽しかったよ』
キオは心の中で相棒に応える。
『そうか。友と笑い合う時間は、何よりの糧になるからな。存分に味わうがいい』
シュバルツは満足げに目を細めると、再び心地よさそうに喉を鳴らした。
キオはそんな相棒の気配を感じながら、美味しそうにクッキーを頬張るルイを見て、自然と笑みをこぼした。
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