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第3話 すっごい戦闘描写

 非常灯が断続で瞬き、蛍光灯が低く唸る。

 廃ビル高層階の事務室。

 使われなくなった長机が島のように散り、鉄骨の支柱が視界を切る。

 窓の向こうは真っ黒だ。

 静けさの合間に、無線のノイズが小さく絡みつく。


 心春は椅子に固定されていた。

 猿轡は外されて呼吸はできるが、手首と足首は結束バンドで縛られていて動かない。

 薄暗さが濃く、窓外の街明かりは遠い点にしか見えない。


「ここ……どこ……?」


 細い声が空気に沈む。

 返事はない。

 銃を持った男たちが一度だけ視線を寄こすが、すぐに興味を切るように顔を戻した。


 その時、向井(むかい)が心春へと歩を詰めた。

 タバコとガンオイルが混ざった匂いが近づいてくる。

 床板が一枚ずつ、重さを確かめるように鳴る。


 歳は四十代半ばだろうか。

 角ばった顎には無精髭、底知れない目つきが浅い眠りから起きた猛獣みたいに濁っている。

 古びたワークジャケットの胸元のジッパーは半分だけ閉じられ、鎖骨のあたりに火傷の古傷がひとつ。


 腰には革巻き柄の奇妙な刃物が三つ、扇の骨のように開いて並んでいる。

 鉄の刃はところどころ黒ずんでいるようだ。

 湾曲した刃は奇妙な形に枝分かれしており、動くたびに金属同士が触れ合う乾いた音を立てた。


 視線がそこへ落ちた心春は、思わず喉を鳴らした。

 向井は一歩手前で止まり、心春の顔を上から覗き込む。


「……違うな」


 短い息。

 向井は舌打ちをひとつ鳴らし、顎で合図を送った。


「コイツは春日井の娘じゃねえ」


 低く、喉で転がすような言葉。

 語尾が濁り、部屋の空気が少し沈む。


 心春は縛られた手を一度握り、かすれ声を押し出す。


「ひ、人違い……?」


 向井はわざとらしく肩をすくめ、片手で耳をほじる仕草をしてから指先の汚れを払った。


「ああそうとも、人違いだよ。よかったなあ、嬢ちゃん」


 薄く笑い、すぐに目だけが冷える。


「だがな、知られたもんは元に戻らねえ。余計な口は塞いでおかねえとよ」


 向井は肩越しに軽く手を振った。

 その掌は厚く、拳の皮膚は無数の擦過傷で硬く光っている。

 ちょっとした動作にも、荒っぽい重さがある。

 彼の周囲の空気が、指先のわずかな動きで沈んだ。


 銃を持った男がひとり、合図を受けて前へ出る。

 靴音を立てない。

 向井は心春から視線を外さず、低い声を落とした。


「泣いてもいいんだぜえ? 叫んでもいい。どうせここからじゃ、誰にも聞こえねえがな」


 その声は、鉄をひきずるように掠れている。

 喉の奥に石を詰めたような低音。

 その言葉のひとつひとつが、壁に染みて消えていく。


「…………!!」


 心春の顔がみるみる青ざめていく。

 背筋を固くして、縛られた手を小さく動かそうとするが、結束バンドが軋んだだけだった。


 向井は笑った。

 だが、唇だけが動き、目は少しも笑っていない。

 右頬の古傷が動き、皮膚がわずかに引きつる。


「嬢ちゃん、なかなかいい顔するな。その震える表情、嫌いじゃねえ」


 そう言うと、彼は無造作に舌で犬歯をなぞる。

 舌の裏の刺青が覗いた。

 火を吹く蛇のタトゥーだ。


 そのとき――


 廊下で鈍い音が聞こえた。

 何か重いものが床に落ちたような低い衝撃音。

 向井の笑みが消える。

 わずかに顎を上げ、彼は音の方向へ首を傾けた。


「……誰だ」


 部屋の空気が凍る。

 ドアの向こうに、影が動く。

 銀縁眼鏡の光がかすかに差し込み、静かな足音が続いた。


 矢上――


 かっちりと着こなした黒いジャケットに、まっすぐ伸びた背筋。

 たった今倒した見張りの身体を乗り越えて、矢上が部屋へ入ってきた。

 その仕草には、一切の無駄がない。


「挨拶抜きで失礼します。もっとも、それが必要な相手だとも思えませんが」


 穏やかな声。

 だがその瞬間、室内の空気が一段低く沈む。


「マスター!」


 心春の声が破れた。

 向井の目が細くなる。

 その視線には、余裕も笑いもなかった。


「……矢上、まだくたばってなかったとはな」


「向井さん、こちらは貴方がた『ブラック・フラッグ』の邪魔をするつもりはない。ですが、私の身内に手を出したとなれば、話は別です」


「ほう? よほど死人になりたいらしいな」


 矢上はフッと笑い、銀縁のブリッジを軽く押し上げた。


「逆です。むしろ貴方の詰めが甘いから、死人を叩き起こしてしまうのですよ」


「アァ?」


「まずは基礎のやり直しからお願いしたいところですね。狙う相手を取り違えるなど素人以下」


 矢上の挑発に、向井が牙を剥いた。


「あ? 舐めてんのか」


「いいえ、事実の指摘です。加えて貴方の部下たちは職務意識に問題があるようだ。先ほど廊下で一名が動かなくなったというのに、誰ひとり気づきもしない」


「……てめぇ」


「装備もなっていない。刃の錆は怠慢の証です。手入れの甘さが、そのままお仕事ぶりに伺えますよ」


 ついに向井の堪忍の尾が切れた。


「……殺すぞ!」


「どうぞ。ただし、今度は狙いをお間違えなく。標的はこの『私』です」


 言葉の刃が、室内で短くぶつかる。

 男たちの息づかいが、一瞬、硬直する。


 その時、夜風が窓から吹き抜けた。

 矢上の前髪がふっと動き、額の横を走る一文字の傷がほんの一瞬露わになる。

 そこに見えるのは、古い切り傷。

 黄ばんだ皮膚の盛り上がりが、その歴史を語る。


 光がその傷を拾うと、辺りの空気が一変した。

 部屋の温度が一段下がり、向井の表情がほんの少し固まる。

 周囲の男たちの肩が、無意識に後ろへ引く。

 誰も言葉を発さず、音は意味を失う。


 矢上の瞳が向井を捕らえる。

 ゆっくりと、だが、確実に向けられた視線には、『終わらせる意思』が静かに宿っていた。

 言葉の端は柔らかいが、怒りと皮肉が言外に滲み出ている。

 

「向井さん」


 その声は穏やかだが、コンクリートの床に響く重さがある。


「貴方の動き、昔から変わりませんね。雑で短気……戦場で生き残れない者の所作です」


 向井の動悸が、わずかに速くなる。

 利き腕が微かに震え、革の柄に力が入る。

 傷つけられた自信の欠片が、表情の隙間からこぼれ落ちる。


 矢上は片手でコートの裾を払うようにして立った。

 引き締まった筋肉のラインが、光の下に晒される。

 無駄のないその動きだけで、室内の『主導権』が移った。

 相手を見誤ったか、しかし今さらもう遅い。


「やれ」


 向井の合図でいくつもの銃口が上がる。

 矢上の視線が一瞬で凄みを増し、唇の端にほんの僅かな笑みが走った。

 それは脅しでも挑発でもなく、強者の余裕だ。


 瞬間、電灯の配線が指先で引き抜かれ、非常灯が一段落ちた。

 空気の色が変わる。


 パチン――


 矢上は長机の端を滑り、最も近い銃口へと一直線に入った。


「なっ……!?」


 銃身を掌で内側へ弾き、射線を壁へ逃がす。

 同時に喉へ短い掌底。


 ドンッ!


 一人目の男の体幹が折れる。

 その手首を靴底で踏み、銃のスライドを後退させたまま固定して撃発不能にした時、左から二人目が突進してきた

 矢上は前腕での360ディフェンスで腕を払い、額で鼻梁を打つ。


「ゴッ……!」


 頭突きの衝撃で相手の視界が白く飛ぶ。

 その脇腹へ膝、さらに後頭部へハンマーフィストを一発。

 息が抜け、体が沈み、男が静かになった。


 奥の三人目が構える。

 銃口がこちらを向いた瞬間、矢上は長机を押し倒し、即席の壁にする。


 パン! パン!


 布張りの背凭れが発砲された弾を吸い、木端が舞う。

 机の陰から一歩で踏み出すと、内側から銃口を押し上げ、相手の前腕を二の腕へと二点固定した。


「うっ……!?」


 足の甲で膝の外側を蹴り、関節の角度を潰す。

 バランスが崩れたところに、顎へ肘を入れる。

 男は支柱へ背中から落ちた。


「何をしている、撃て!」


 向井の怒声が部屋を叩く。

 四人目が慌てて引き金を引く。

 矢上は空いた片手で近くの椅子を持ち上げ、盾の角度で弾を逸らす。

 椅子の脚が弾かれ、金属音が薄く跳ねた。


 ドガッ!


 椅子をたたきつけて視界を奪い、喉へ掌底を一発。

 続けざまに、耳へ平手のイヤークラップが炸裂する。


 ガッ! パンッ!


 流れるような連続攻撃に平衡感覚が飛び、男はへたり込んだ。

 そのタイミングを狙って、五人目が横合いから突く。

 矢上は腰を切り、踵で脛の内側を払うロースタムプを放つ。

 男の膝が折れ、低くなった頭に、重ねて掌で顎を跳ね上げる。


「グウゥッ……!」


 男の奥歯が鳴り、意識が遠のく。

 廊下側からは駆け込む足音がふたり分。

 矢上は壁際の消火器のピンを抜き、床へ一瞬だけ噴霧する。


 プシュウゥゥ――


 細かい粉が薄い幕を作り、男たちの照準が鈍る。

 その霧の陰から六人目に蹴りを放ち、かかとの軌道で喉頭を潰す。


「グボッ!」


 男が崩れるのを利用して、その肩越しに七人目の手首をつかみ、銃口を天井へ叩き上げる。

 リコイルで腕が浮いたところへ、鎖骨へ肘を叩き込む。

 男の手から銃が離れ、矢上はそれを蹴り出した。


 中央では向井が、腰のマンベレを抜いた。

 湾曲した刃が薄明かりを撫でる。

 投擲の角度を作り、肩が沈む。


 シュッ!


 刃が螺旋を描いて飛ぶ。

 矢上は45度のステップでそれを躱す。

 続けさまに低く沈み、二投目の刃を柱の方向に逃す。


 ガキィン!


 背後で火花が跳ねた。


「ハッ、俺の刃で踊りな!」


「お断りします。むさ苦しい男性とダンスを楽しむ趣味はございません」


 向井が踏み込み、三本目の刃を振りかざす。

 そのまま薙ぎ、引っかけ、突きの連携技で攻めてくる。


「オラオラオラッ!」


 だが矢上はインサイド・ディフェンスで刃筋を外し、手首と肘を二点で束ねて肩の線を折った。


「何だと……っ!?」


 続く胸骨への短い掌底に、向井の呼気が詰まる。

 さらに肋骨下へ膝を入れ、腰が落ちる。


「グッ……!」


 刃の先が床に触れた瞬間、矢上は向井の手首を自分の鎖骨へ寄せ、骨で挟んで封じる。

 ナイフクリンチだ。


「ガァッ……!」


 肩にかかる内旋の圧に、悲鳴を飲み込む向井の低い息が漏れ、指が開く。


 シャーッ!


 マンベレは音を立てて、柱の方向へと滑っていった。

 だが、背後には六人目と七人目が迫っている。

 矢上は向井の肩を支柱へ押し当ててその身体を遮蔽物にし、側面へスライドした。

 部下に銃口を向けられて、向井が慌てる。


「おいやめろ、撃つな!」


 ボスの身体を盾にされて、ふたりは思わず動きを止めた。

 その隙を突いて、六人目の喉へ掌底、七人目の顎へ水平肘を入れる。


 ガッ! ゴッ!


 ふたりがほぼ同時に横倒しになる。

 銃が床に転がり、乾いた金属音が遠のいた。


 パン! パン!


 その瞬間を狙って、八人目と九人目が同時に撃つ。

 矢上は長机の影に回り込み、ふたりの間へ体をねじ込んだ。

 肩でふたつの胸板を同時に弾き、ふたりのバランスを同時に奪う。


 ズンッ! ゴッ!


 八人目の喉に掌を入れ、九人目の側頭部へハンマーフィストを落とす。

 崩れた上体に踵落としで前腕を押さえ込み、銃口を床に封じて、ふたり同時に無力化した。

 粉塵の層がゆっくり落ち、足元で蛍光灯の破片が転がる。


 矢上はゆっくりと、向井に向き直った。


「さて、残っているのは私と貴方だけのようですが?」


「……クソったれが! 死ね!」


 向井が踏み込んでくる。

 だが、矢上の膝が太腿外側を目掛けてオブリークを仕掛けた。

 タイミングをずらされた向井の足が流れる。

 その瞬間を狙って掌で顎を押し上げ、矢上は向井の背中を机の角へぶつける。


 ドガンッ!


 体勢を崩した向井の懐に踏み込み、矢上は両掌で胸骨を叩く。


 ドン! ドン!


 二度の衝撃が骨を震わせ、空気が吐き出された。

 続けて肘をみぞおちへ深く突き込む。

 向井の身体がくの字に折れ、膝が床へ沈む。

 その瞬間、矢上は倒れ込む向井の右腕を逃さず掴む。

 そして手首を返し、そのまま肩を外へひねり上げた。


 ミシミシミシ……!


「ギャアアァァッ――!」


 筋肉が軋み、関節が悲鳴を上げる。

 動こうとする力が、完全に抜け落ちる。

 向井の右腕がぶらりと垂れ、抵抗は途絶えた。

 だが、向井は執念で矢上へとにじり寄る。


「まだ……終わっ……ちゃ……」


「いいえ、貴方にその権利はありません」


 蛍光灯の低い唸りと、倒れた男たちの浅い呼吸だけが残った。

 向井は片膝をつき、左手で床を掴んでいる。

 もう右腕は動かない。

 矢上は足元のマンベレを拾い上げ、柄を上にしたまま床へ突き立てた。

 向井の目が憎しみで濁る。


「ヘッ……殺せよ……俺を終わらせろ」


「お断りします。それは喫茶店主の仕事ではありません」


 矢上は淡々と答え、周囲を見渡す。

 その時、遠くでサイレンの音が薄く聞こえた。

 音は小さいが、確実に近づいている。


 矢上は心春の縄を切った。

 手袋の縫い目が動き、結束がほどける。

 心春の肩が震えた。


「心春さん、立てますか」


「だ、だいじょぶ……行ける」


「ここで止まると見つかります。移動しましょう」


「うん……わかった」


 心春は頷き、足を揃える。

 矢上は彼女のトートバッグを肩にかけ直し、非常口へと導く。


「こちらへ」


 廊下の先、階段の踊り場が黒い口を開けていた。

 下へと続く闇。

 遠くのサイレンが一段近づき、鉄骨が微かに震える。


 矢上は先に足をかけ、踏み板の軋みを確かめた。

 問題なし。

 手で心春の肩を軽く押し、先に降ろす。

 自分は背後に回り、周囲の音を拾う。


 足音は短く、軽く。

 階を一つ降りるたびに、外の光が斜めに差し込み、壁の陰影が動く。

 最下段で矢上は非常口の押し棒を静かに押し込み、外気を探る。

 湿った風。

 人の気配はあるが、視線はまだ届かない。


「右手の路地へ」


 低く短く告げる。

 二人は外へ滑り出た。

 街灯の死角を縫い、建物の影を伝って進む。


 パトカーのライトが外壁を舐め、光の筋が一瞬階段室を照らしては去る。

 サイレンが音の頂点を越える前に、角を曲がる。


 矢上は振り返らず、足を止めない。

 心春も息を殺して続く。

 背後で無線が混線し、遠くに人の声が重なって、遠ざかっていった――

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