09.魔法の才
天使かと思った。
次こそ私を死の世界へと迎えにきたと思ったのだ。
けれど、違った。
「レティ、おはよう」
「おにーたま」
まだ身体が重い。
(あれ? 狼に襲われて……どうしたんだっけ?)
たしかに狼に襲われた。
ルノーが私を庇って狼の攻撃を受けたところまでは覚えている。
そのあとの記憶がまったくなかった。
身体が重くて起き上がることができない。
私は頭だけを動かして状況を確認することにしたのだが……。
(何これ)
私の周りには石が置かれている。ベッドの上だけではない。部屋中にだ。
ルノーが私の頭を撫でる。
「よかった。このまま目を覚まさなかったらどうしようかと思った」
ルノーの言葉に私は目を瞬かせた。
どうしてそんなに安堵しているのか、わからなかったのだ。
「レティ、ひと月も寝たままだったんだよ?」
「ひとつき?」
「そう。三十日だよ! マナが戻ってくるのにすごい時間がかかったんだって」
「マナ?」
「うん。レティは魔法を使ったんだよ。覚えていない?」
覚えていない。
魔法を使わなかったことを後悔したことしか覚えていなかった。
魔法を使っていれば、ルノーは傷つかずに済んだのだ。
(ルノーの怪我は!? 大丈夫!?)
「おにーたま、肩。いたい?」
彼が私を守って傷ついたのは肩だった。
傷は大丈夫だろうか。
ルノーは優しく笑う。
「もう大丈夫だよ。傷口もすっかりよくなった」
私は安堵のため息をつく。
彼は私の頭を撫でて言った。
「助かったのはレティのおかげなんだよ」
なぜ私のおかげなのか。意味がわからなくて私は首を傾げた。
「魔法で父上のところまで連れてきてくれたんだよ。だから助かったんだ」
ルノーは私の頭を撫でた。
「レティが僕を助けてくれたんだよ。ありがとう」
「ちあう」
違う。
私は何もしていない。
ルノーが私を助けたのだ。何もできない私をかばった。私のことさえ気にしなえれば、ルノーは逃げられたはずだ。
「どうちて?」
「ん?」
「あたち、助けた」
(どうして私を助けたの?)
怪我までして。
私は何もあげられていない。非力な存在だ。
しかし、ルノーは満面の笑みを見せた。
「レティが僕の妹だからだよ。兄は妹を守るものなんだ」
「ちあう」
違う。
そんなルールは知らない。
私の知っているきょうだいは、いつも僻み合っていた。だから、なんの見返りもなしに私を助けることなんてあるわけがない。
「違わないよ。僕にとってレティは大切なお姫様だから」
世界が歪む。
私の目から涙がこぼれた。
そんな理由は知らない。今まで聞いたことがない。
前世でたくさんいたきょうだい達は、みんなで足の引っ張り合いをしていた。
「レティ!? 大丈夫? もしかして、どこか痛い?」
ルノーはオロオロし始める。しかし、私は涙を止めることができなかった。
「いたい」
「どこが?」
私はギュッと胸を押さえた。心臓が痛い。
こんなに痛みを感じたことはなかった。
涙なんて流したのはいつぶりだろうか。もう覚えていない。涙を流しても意味がないことを知ってから、私の目から涙がこぼれることはなかったのに。
「レティ、お医者様を呼んでくるから待っててね」
ルノーがベッドを飛び降りようとして私は慌てて彼の袖をつかんだ。
理由はわからない。ただ、行ってほしくなかったのだ。
ルノーは困ったように私を見た。
「や」
手を離さないといけないのはわかっている。けれど、私は手を緩めることができないでいた。
わがままを言って嫌われたら。
「わかった。行かない」
ルノーは私の横に寝転がる。
「まだ疲れてるだろ? 一緒に寝よう」
彼はニッと笑うと私の手を握った。
あたたかい手に私は目を細める。
「待っててね。僕、もっと強くなるから」
ルノーは真剣な顔で言う。
私は目を瞬かせた。
「あんな狼なんかすぐにやっつけられるくらい強くなるよ。次は絶対守るから」
「おにーたま、つよい」
ルノーはじゅうぶん強い。
獰猛な狼を前にして、私を守ろうとしたのだ。
「もっと強くなるよ。だから、安心して。もう泣かなくていいから」
ルノーの手はあたたかい。
こんなにあたたかい手を私は知らない。
妹だからという理由でここまで優しくしてくれる理由は、やはりよくわからない。
しかし、私は心の中で誓った。
(もっと強くなるのは私だ。もっともっと強くなって、お兄様を守る)
好きは作らないつもりだった。
好きを作るということは弱点を作ることだから。けれど、その分強くなればいいと思った。
その日、私に弱点ができた。
**
狼に襲われた日、私はとても大きな魔法を使ったらしい。
瞬間移動。
それは、前世でも使うことができなかった魔法だ。
(どういうこと? 瞬間移動なんて)
物体を瞬時に移動させることはできる。しかし、人間の身体を移動するとなると話は別だ。
「レティシア殿下は魔法を使った影響で、まだ体内のマナが安定していません。くれぐれも魔法を使わないように」
王宮に仕える魔法使いが厳しい口調で言った。
私は自身の両手を見る。
マナを感じる。しかし、すごく少ない。いや、違う。三歳のマナの量としては普通だ。
いつもこの程度だった。
マナの量が少なく感じるのは器が大きくなったせいだろう。
(これ、前世より器が大きくなってない!?)
感覚的なものだが、そう感じる。
大きな魔法を使ったせいで無理に器を広げたのだろうか。
よくわからない。
「王妃殿下、レティシア殿下の様子をこまめに観察してください。これだけ早く魔法の才が出るのは稀なことですから」
「ええ、わかりました」
シェリルは真剣な顔で頷く。そして、私を抱き上げ膝に乗せた。
「レティ、大丈夫よ」
シェリルは私の背中をゆっくり撫でる。
彼女はいつもと態度が変わらなかった。
私に魔法があるとわかったとたん、もっと豹変すると思ったのだ。
前世がそうだった。
私に魔法の才があると知ったとたん、手のひらを返して擦り寄る人間の多いこと。
母親ならばなおさらだ。私を使えば自分の地位を上げることができる。そうしないのは王妃ゆえの余裕からだろうか。
私はシェリルを見上げる。
「どうしたの?」
「あたち、やくたつ?」
この力は何か役に立つだろうか。
ガルバトール帝国にいたころは、魔法の才のおかげで私の地位は格段に向上した。
もしもこの力がなければ、私はもっと早くに死んでいただろう。
リオーク王国では私の価値を見出してくれるだろうか。
シェリルは困ったように眉尻を落とした。
「レティはすごい力を持っているの。だけど、まだ小さいから使っちゃだめ」
「め?」
「そうよ。あなたがこの力を使わなくてもいいくらい、お父様とお母様が幸せにしてあげる」
シェリルは私を優しく抱きしめた。
あたたかい。でも、それでいいのだろうか。
何もしないで幸せになる。そんな世界があるのだろうか。
私はどう返事をしていいかわからなかった。
**
いつの間にか眠ってしまったらしい。
目が覚めたとき、シェリルはいなかった。
彼女の腕の中はとてもあたたかくて優しい。だから、つい眠ってしまうのだ。
私はベッドから飛び降りる。
(ここの人たちはみんな優しい。なんでだろう?)
ルノーも、シェリルも。
ガルバトール帝国と何が違うのだろうか。ガルバトール帝国の後宮は冷たい場所だった。
母の身分、皇帝からの寵愛ですべてが決まった。
生き死にですら簡単に。
(魔法は使っちゃだめって言われたけど……。少しだけ)
私は部屋を抜け出してこっそり庭園に出た。
メイドたちが出入りしていて、部屋では魔法が使えそうになかったのだ。
マナはまだ完全にたまっていない。しかし、簡単な魔法は使えるだろう。
私は魔法の鏡を出した。
(お兄様はどうしてるかな?)
鏡がルノーを映しだした。
彼は医師のところにいるようだ。
医師の指示でゆっくりと腕を上げる。それを繰り返していた。
(何してるんだろう?)
『そうです。ゆっくり上げてください』
『……っ!』




