40.赤
どの宝石が?
そんなことを確認する暇もなく、一人の騎士が剣を抜き、叫びながらまっすぐアランの背に向かっていった。
「アラン・リオート! 覚悟っ!」
私はなんと叫んだのか覚えていない。
アランを呼んだのか、それとも呪文だったのか。
世界がゆっくりゆっくり動いているような感覚。
私が放った雷は騎士の上で鳴り響き、彼にまっすぐ落ちた。
「ぐあっ……!」
騎士が声を上げて倒れる。
しかし、ほんの少し遅かった。
静かなホールに剣が転がる音だけが響いた。
騎士の手にしていた鮮血のついた剣が床に転がる。
「おとー……たま?」
小さな声だったはずなのに、やけに大きく聞こえた。
「陛下っ!」
「アランッ!」
遅れて響いたのは補佐官とシェリルの声。
シェリルがアランのもとに駆け寄る。倒れるアランを補佐官とシェリルが抱きとめた。
「早く医師をっ!」
「傷を塞ぐのが先だ!」
「男を捕らえろっ!」
私は騒がしくなるホールをただただ呆然と見つめる。
補佐官とシェリルがアランを担いでホールを出て行く。
残ったのは真っ赤な血痕。
赤い。
赤い。
赤い。
私はその赤をよく知っている。
それは終わりの色。
私の大嫌いな色。
「レティシア姫?」
イズールが私に声をかけた。額の傷に赤がにじむ。
「いやーーーーーーーーーー!」
私は叫んだ。
その瞬間、何かが弾けた気がする。
目の前が真っ暗になった。
(怖い。怖い。怖い)
私はうずくまる。
(一人はいや。もう一人になりたくない)
誰よりも一人は慣れていると思っていた。
きょうだいも家族も、誰も信じることはできない。
足を引っ張り合うのがきょうだいだ。産んだ母親ですら、私を愛してはくれなかった。
魔法使いになっても、誰よりも強くなっても、愛されたのは私の才能だった。
それが寂しいと思ったことはない。
才能さえあれば、皇帝の寵愛を得られるから。皇帝の寵愛があれば生きることができるから。
私の願いはただ、長く生きること。
『生まれてこなければよかった』
そう母に言われ続けて生きた私ができる、たった一つの抵抗であり復讐だった。
今は違う。
私はただ生きることを望んでいるわけではない。
(また一人になるくらいなら――……)
私は目を閉じる。
**
ホールは一気に嵐に包まれた。
突風に全員が騒ぎ出す。突然のことに多くの人は恐怖し、ホールから逃げ出した。
残っているのはルノーとイズールだけだ。
なぜなら、嵐の中心にレティシアがいるからだ。
「レティッ!」
ルノーはレティに手を伸ばす。けれど、風の勢いが強すぎて弾かれてしまう。
風に吹き飛ばされたイズールが、どうにかルノーに近づいて尋ねた。
「ルノー、これは!?」
「わからない。でも、中にレティがいるんだ!」
激しい風は窓を割り、装飾品をなぎ倒していく。嵐が段々と威力が強まる。
吹き飛ばされそうになったルノーとイズールにオーバンが覆い被さった。
「オーバンッ!」
「私がお二人を部屋の外へお連れします」
「だめだよ。中にレティがいるんだ……!」
「レティシア殿下も私がお連れしますので、安心してください」
オーバンは真面目な顔で言ったけれど、それは難しいように思える。
とにかく風が強く、前が見えないほどだ。
避難するのが一番だということはわかる。けれど、ルノーはレティシアを置いて行くという判断はできなかった。
今、父は傷を負い母と補佐官が付き添っている。
レティシアを守れるのはルノーだけだ。
ルノーはギュッと左手を握りしめる。
「オーバン、先にイズールを――……」
ルノーがオーバンに指示を出そうとした途端、急に嵐が収まった。
いや、収まったわけではない。ルノーたちの周りだけが見えない壁で守られているのだ。
「おやおや。すごい魔力を感じると思って来てみれば……」
「トリスティン!?」
ルノーは素っ頓狂な声を上げた。
「困りましたね。魔力暴走が起こっています。何があったのですか?」
「陛下が狙われて怪我を。それのせいだと思います」
トリスティンの問いにイズールが答える。
ルノーは慌ててトリスティンの服をつかむ。
「トリスティン、その魔力暴走ってやつを早く止めてください!」
「それは少し難しいですね」
トリスティンはルノーとイズールの頭を撫でる。
いつもの笑顔とは違う、少し哀愁を帯びた顔にルノーは胸騒ぎを覚えた。
「今日は随分たくさん魔力を使ってしまいましたから。それと……」
トリスティンはまっすぐ嵐の中心を見つめる。
レティシアがいる方向だ。
「魔力に魔力をぶつけるということは、殿下を傷つけることになります。彼女自身は一番無防備な状態ですので」
「そんなのはだめ! レティを傷つけずに助ける方法は!?」
「一番はマナを使い切るのを待つことですね」
「マナを使い切れば、レティシア姫の暴走は収まるのですか?」
「はい。マナがなければ魔法は使えませんからね。ですが……」
トリスティンは言いよどむ。
その少しの間で息が詰まりそうだった。息を吸うことも忘れて、ルノーはトリスティンを見上げる。
「マナがなくなるといことは、命を失うことと同じです」
「いつもの魔力の枯渇とは違うのですか?」
「そもそも魔力の枯渇は危険なものです。限界までマナを使うなんて、下手をすれば命を落とす行為です」
「そんな……。じゃあ、このままだとレティは……」
トリスティンは答えない。
答える必要もないのかもしれない。トリスティンの魔法を使えば、レティシアが傷つく。
魔力暴走が収まるのを待ったとしても、レティシアが無事である可能性は低いということだ。
「僕が行く」
「えっ!? ルノー!?」
「レティに『大丈夫だよ』って言ってくる」
驚くイズールにルノーは笑った。
魔力暴走の原因が父の怪我だとしたら、父の無事を伝えればレティシアも安心するだろう。
レティシアはまだ三歳だ。目の前で父が傷つけば驚くに決まっている。
ルノーだって何もできなかった。ただ呆然と父が傷つけられる様を見つめ続けただけ。
魔法を使って止めようとしたレティシアより何もできていない。
きっと今、レティシアは一人で怖い思いをしている。
「ただの魔法ではありませんよ? 制御が効いていない嵐です」
「はい。でも、今レティを助けられるのは僕だけだから」
迷いはなかった。
きっと、父や母がこの場にいれば、同じことをするだろうから。
もしもここに両親がいても、「僕が行く」と言っていただろう。
「トリスティン、ここから出してください」
「ヴァルニエル殿、なりません」
オーバンがトリスティンの肩に手を置き止める。
板挟みになったトリスティンは、困ったように眉尻を下げた。
「愛の力ですねぇ……。どちらにせよ、私の力もそろそろ限界です」
フッと力が抜ける。
突風がルノーの、そしてみんなの髪をさらう。
四人を守っていた壁が消えたのだ。
ルノーはまっすぐレティシアに向かって駆けた。
「レティーッ!」
ルノーの叫び声は風がさらっていく。
後ろからオーバンとイズールの声がかすかに聞こえたけれど、振り返る余裕はなかった。
風の刃がルノーの服を切り裂く。
レティシアの恐怖が風になっているように感じた。
(大丈夫だよ。レティ。怖がらないで)
強すぎる風に目を開けることもできない。
けれど、目をつむっていても怖くなかった。
風に逆らってゆっくりと進む。
(いた……!)




