38.サシュエントの花
イズールは用事がない限りほとんど出歩かない。部屋で本を読んでいるような人間だ。
そのイズールがいない。
胸がざわめいた。
(そういえば、忙しいって言っていた)
私は鏡に映す場所を移動する。――ルノーの部屋だ。
イズールが自分の屋敷にいないのであれば、ここだと思った。
彼らは同じ年齢ということもあって仲がいい。二人で遊んでいるのかもしれない。
(いない……)
ルノーの部屋ももぬけの殻だった。
ルノーの勉強部屋にもいない。それどころか、使用人たちもいつもよりも少ない気がする。
(なんで?)
めぼしい場所は探した。
イズールだけではない。ルノーもアランも、シェリルさえも。
いつもいる場所にいないのだ。
私は唇をかみしめた。心臓が早歩きになる。
世界に取り残されたような不安に、押しつぶされそうになった。
私は首から下がるペンダントを握りしめる。
(大丈夫。だって、みんないる)
ペンダントの宝石は輝いているまま。
四人に何かあれば、宝石が知らせてくれるはず。
宝石が輝いているということは、四人が健在だということだ。
(そうだ!)
私は蝶のペンダントを持ち上げる。
四人には一羽ずつ蝶をつけている。それを辿れば、彼らの居場所がわかるのだ。
私は慌てて魔法の鏡にイズールにつけた蝶の視界を映し出した。
**
王族の居住区を出て、イズールはゆっくりと息を吐いた。
(大丈夫、大丈夫……)
何度も心の中で呪文のように唱える。
これは自分で言い出したことだ。
今日はイズールにとって戦いの日――自分を囮にして黒幕を捕まえる日だ。
イズールの不安を察したのか、シェリルがイズールの肩を優しく叩いた。
「安心して。きっと、うまくいくわ」
「ありがとうございます」
シェリルの笑みにぎこちない笑みを返すのがやっとだった。
「レティシア姫はまだ眠っていますか?」
「ええ、ぐっすりよ。ルノーはお医者様のところ。だから、心配ないわ」
「はい」
この計画はレティシアとルノーには秘密だ。
二人には危険な目にあってほしくなかった。
「これが終わったら、またみんなでお出かけをしましょう。私たちにも息抜きが必要だわ」
「はい。楽しみです」
シェリルのおかげで、少しだけ気持ちが落ち着いた。
彼女の隣に立っていたアランがイズールを見下ろして、静かに言う。
「イズール。一つ約束してほしい」
「はい」
「無茶はするな」
「はい。気をつけます」
もし、サシュエント王国の第一王子に何かあれば外交問題になる。だから、彼はそう言うのだろう。
もしもイズールに何かがあっても、継母はリオート王国を糾弾することはないはずだ。
継母はイズールに何かあることを願っているのだから。
「だから安心してください」なんて言えるわけがないので、イズールは頷くしかなかった。
「ヴァロニエル様も見守っていてくださっているもの。大丈夫よ」
シェリルの笑顔が場を和ませる。
イズールはアランとシェリル、そしてアランの補佐官であるクロッツとともに、王宮のホールの入り口をくぐった。
王宮のホールでは飾りつけが進んでいた。
数日後に行われるパーティーの準備だ。
イズールがリオート王国の貴族たちと交流を持つためのパーティーを開催することになった。と、いうのが今回の趣旨だ。
(まさか、このために本当にパーティを開催しちゃうなんて思わなかったな)
イズールは飾りつけを眺めながら、苦笑を浮かべる。
そして、アランやシェリルたちの会話を思い出した。
アランの執務室で、シェリルが提案したのだ。
『イズールの歓迎会なんてどうかしら?』
『歓迎会……ですか?』
『歓迎会をしてはどうかと以前、夫人たちから提案を受けていたことがあったの。いろいろあったあとだったから、実現できてはいなかったのだけれど、それを利用できないかしら?』
シェリルの提案にアランが頷いた。
『悪くない。パーティを開くとなれば、使用人たちを借り出すことになる。騎士たちも警備に必要だ』
『でも、それでは多くの方を巻き込んでしまうことになりませんか?』
歓迎のパーティとなれば、多くの貴族が駆けつけることになるのだろう。
イズールの年齢を考えると昼間、しかも貴族の子どもたちも呼ぶことになる。
犯人はイズールを狙うだろうけれど、他の人が巻き込まれない保証はなかった。
すると、補佐官が思いついたとばかりに口を開いた。
『では、準備の日に狙いやすくするというのはいかがでしょうか?』
そうして決まったのが今日だ。
イズールたちが会場に入ると、使用人や騎士たちが一斉に並ぶ。
そして、深く頭を下げる。
アランが使用人たちに声をかけた。
「ご苦労。どうだ? 準備は進んでいるか?」
「陛下、順調でございます」
「これはサシュエント王国とリオート王国の交流の場と言ってもいい。細部にまで気を遣ってくれ」
「はい。お任せください」
使用人たちは再び深々と頭を下げた。
この中に継母と繋がっている人物がいるかもしれない。そう思うと緊張感が増した。
「いくつか確認のため、イズール殿下のお力をお借りできればと思っているのですが……」
使用人の一人が遠慮がちにイズールに視線を送った。
イズールは思わずつばを飲み込む。手の平にじわりと汗がにじんだ。
「イズール頼めるか?」
「……はい。もちろんです」
アランに言われ、イズールは頷く。計画どおり。だから、怖がる必要はない。
イズールは拳を握りしめ、言われるがまま使用人についていった。
「こちらのテーブルクロスは、サシュエント王国の伝統的な染めを使用したものです」
「はい。とてもいいと思います」
「料理は現在、試作を重ねていますので、後日試食をしていただく形になるかと思います」
「はい」
使用人は一つ一つ丁寧に確認していく。
イズールは返事をしながらも、心臓が速くなるのを感じていた。
「お庭にはサシュエント王国から贈られた花を飾っておりますので、ご確認を」
イズールは使用人とともに外に出た。
サシュエント王国でよく見た花が目の前に広がる。
継母が好きな花だ。なんという名前だったか。思い出せない。毒々しいほどの赤い花。
息が詰まる。
「殿下、顔色が……」
「すみません。母国を思い出してしまったようです。少し、ここで休んでもいいですか?」
「構いません。何かお飲み物をお持ちしましょう」
「はい。お願いします」
イズールは置かれたベンチに腰かけた。
深いため息をつく。
すると、突然うしろから口を塞がれた。
「んんっ……!」
**
イズールのうしろに迫る怪しい影を見つけて、私は魔法の鏡をしまった。
「レティシア様~。お食事の用意ができましたよ~」
侍女ののんきな声が部屋に響く。
食事を用意していた侍女が戻ってきたのだ。
「レティシア様~。どちらにいらっしゃいますか~? またかくれんぼですか~?」
私はベッドの隅から出ると、扉に向かってまっすぐ走った。
「レティシア様!?」
侍女の言葉を無視して、空いている扉をくぐる。
自分では重くて扉が開けられないから助かった。
廊下に出ると、すぐに身体が宙に浮く。オーバンだ。
「どちらに参りますか?」




