37.四羽の蝶
ガタガタと激しく揺れる扉を見て、私はため息をつく。
これは毎日の魔法の勉強とともに恒例になっている。
「おにーたま」
「レティーッ! 大丈夫!? 今開けるから!」
ルノーは扉の向こうで再び叫んだ。
そして、固く閉まっていた扉が勢いよく開く。
バンッ。
大きな音を立てて開いた扉をくぐって、ルノーが私のもとへと駆け寄ってきた。
「レティ、怪我はない?」
「ん」
「よかった」
ルノーは心底安心したように息を吐いた。
この会話も何回目だろうか。
この練習場で魔法の勉強を始めてから毎日だ。
トリスティンは大きな拍手をルノーに送った。
「七十八秒。素晴らしい。どんどん魔力耐性が強くなっています。愛の力ですねぇ~」
トリスティンはトリスティンで楽しんでいる。
少しずつ扉にかける魔法を強くしているのだ。
ルノーの肩のことを考えたら、あまり無茶をしてほしくない。
けれど、そのことをどう伝えていいのかわからなかった。
(痛くない……わけないよね)
私はルノーを見上げた。
彼はにこりと笑うと、私の頭を撫でる。
「トリスティン、レティに危ないことをさせないでください!」
「危ないだなんて、人聞きの悪い。私はきちんと殿下の能力を考えて教えておりますよ。ね、殿下」
話を振られて私はなんと返事をしていいかわからなかった。
最近は毎日特訓の日々で忙しい。
これが三歳児の適正量かと聞かれれば、そうではないように感じる。
しかし、紫の魔法使いから指南してもらえる機会だと考えると大いに越したことはない。
「おにーたま、へーき」
「レティはいつも平気っていうから心配だよ。疲れたら言わないと。最近いつも疲れて眠っちゃうだろう?」
「ん」
私は頷いた。
最近はよく魔法を使うせいか、疲れて眠ってしまうことが増えたのだ。
マナが枯渇するほどではない。けれど、魔法を使うのには集中力も体力も消費する。
三歳の身体ではすぐに限界が来てしまう。
晩餐の時間に食事をしながら何度眠ってしまうこともしばしば。
ルノーを心配させるのも致し方なかった。
「おにーたま殿下、過保護なのはよろしくありませんよ」
トリスティンがルノーの頭を撫でながら言う。
ルノーは少し不機嫌そうにトリスティンを睨んだ。
少し不思議だ。
ルノーはトリスティンにだけは八歳の子どもの顔になる。
いつもはもっと大人びて見えるのに。
「ちゃんと殿下の体力は計算に入れていますから、安心してくださいね。今日はおしまいにしましょう」
トリスティンは私とルノーの頭を乱暴に撫でる。そして、私たちを練習場から追い出したのだ。
私はルノーと手を繋ぎ歩いた。
「イズー?」
「イズールは忙しいんだって」
「ん」
最近イズールの顔を見ていない。
『何か新しい情報を手に入れたら教えるよ』
そう言って別れてから数日。
私は魔法の練習が忙しくなって、なかなか調査が進んでいない。
イズールともあまり会えていなかった。
私が疲れてすぐに眠ってしまうからだ。散歩と称してイズールの屋敷に行く暇がなくなってしまった。
「今度、トリスティンにお休みをもらってイズールと一日遊ぼう」
「ん」
ルノーの提案は悪くないと思った。
魔法の訓練は必要だ。もっと強くならないといけない。
誰よりも強くならないといけない。
けれど、他にもやらなければならないことがたくさん――……。
「レティ? 大丈夫?」
「……ん」
頷いた瞬間、コクン、と頭が大きく前に揺れる。
頭が重い。
抗えない睡魔が襲ってきた。
「オーバン」
ルノーが少し後ろを歩くオーバンを呼んだ。
「へー……き」
「うん。疲れたね」
ゆらゆらと身体が揺れる。
ふわりと身体が浮いた。
平気なのに。まだやることがたくさんあるのに、睡魔には勝てない。
子どもの身体は不便だ。
早く、早く大人になりたい。そうすれば、これくらいの魔法、平気で使えるのに。
**
このままではまずい。
私はそう直感している。
毎日魔法を使ってクタクタになり、眠りにつく。
健全ではあるけれど、問題を先延ばしにしているだけだ。
(でも、私ができることは少ないし……。そうだ)
私はきょろきょろと辺りを見回した。
まだ早朝。誰もいない。
(珍しく早起きができてよかった)
私は呪文を唱えた。
手の平の上に五羽の蝶を出す。
そして、私は一人一人の名前を蝶に伝えた。
アラン、シェリル、ルノー、そしてイズール。蝶は各々彼らのもとに飛んでいく。
残った一羽の蝶がひらひらと舞う。私が胸の前で両手を広げると蝶は私の手の上でペンダントに変わった。
蝶の羽には四つの宝石が埋まっている。
それぞれ、四人につけた蝶とつながっている宝石だ。
(これで、大丈夫)
彼らに危険が迫ったとき、蝶がこの宝石を通じて私に教えてくれるだろう。
連日の特訓の成果だ。
今までだと長期的に魔法を使うのは難しかった。しかし、トリスティンとの訓練で得た魔力量の調整は役に立つ。
必要最低限のマナを蝶に流すことで、長い時間維持できるのだ。
私はふわりとあくびをした。
まだ早朝。たまたま早く目が覚めただけ。
私は再びベッドの上で丸くなる。そして、蝶のネックレスを握った。
**
魔法の練習はそれからも毎日続いた。
何度、調整できない雷を落とし藁の人形を燃やしただろうか。
「殿下、素晴らしいですよ。穴が開かなくなりましたね」
トリスティンが拍手を送る。
本気の拍手だ。しかし、藁人形は跡形もない。それでは意味がないではないか。
「もっかい」
「さすが殿下。向上心がありますねぇ」
私は「もっかい」を繰り返した。
あともう少しで魔力調整の感覚をつかめそうなのだ。
なぜこんなにむきになっているのかはわからない。
ただ、何かに夢中になるのは嫌いじゃなかった。ごちゃごちゃと難しいことを考えなくて済む。
その上、魔法の技術が磨けるのであれば最高だ。
何度も何度も魔法を使って疲れた私は、床に転がった。
「さて、今日はこれで終わりにしましょうね」
トリスティンが私の頭を撫でる。
文句の一つも言いたいところだったけれど、疲れが限界だった私はそのまま意識を失うように眠ったのだ。
**
目が覚めたら、私の部屋に戻っていた。
記憶がない。
日の高さから考えると、次の日の昼だろうか。
私はベッドから降りた。
「レティシア様、おはようございます」
「おはよ」
「たくさん眠りましたね」
「ん」
私は目をこすった。
眠りすぎたせいか、身体がだるい。
「レティシア様、今日はお休みだそうですよ」
「とりちゅ、きた?」
「はい。ですから、ゆっくりしましょう。お食事をお持ちしますね」
「……ん」
私は床に座ると、ボーッと天井を見た。
今日はなんだか静かだ。
いつもは朝からルノーが来る。私が眠っていたから気をつかったのだろうか。
この時間だと、ルノーは勉強時間かもしれない。
(せっかくだし、イズールのところに行こう)
イズールは責任感が強い。だから、一人で犯人捜しをしている可能性がある。
言い出したのは私なのに、何もしていないのは問題だ。
私は立ち上がった。
「レティシア様、どうされました?」
「さんぽ」
侍女たちは顔を見合わせた。
「今日はお部屋でゆっくりいたしましょう」
「ヴァルニエル様もたくさん寝たほうがいいとおっしゃっておりましたよ」
「へーき。いっぱいねた」
「ですが、お食事がまだですよ」
「イズーと」
私が何を言っても侍女は頷かなかった。
(怪しい……)
これではまるでイズールのもとに行かせたくないみたいではないか。
侍女は困ったように眉尻を下げると、私に目線を合わせて言った。
「ではイズール殿下と食べるお食事を用意してきますから、レティシア様はゆっくりお待ちくださいね」
「ん」
二人の侍女が部屋を出て行った。
部屋に一人残され、私はため息をつく。
(もしかして、イズールに何かあった?)
蝶のペンダントを確かめる。
しかし、宝石は輝いていた。イズールがなんでもない証拠だ。
(今なら誰もいないし。……よし)
私はベッドの隅に隠れると呪文を唱えた。
鏡にイズールの屋敷を映し出す。
しかし、イズールはどこにもいなかった。
(なんで!?)




