36.イズールの提案
イズールの心臓が早歩きになる。
この提案が正解なのかはわからなかった。
本当のところ、囮になってまで犯人を捜そうなどと思ったことはない。
犯人はわかっているのだ。――継母の手の者だと。継母にとってイズールは邪魔存在だ。
いなくなればいいと思っているのは知っている。
何度も命の危険に晒されてきた。
王宮にいる継母の手の者を捕まえても、本当の解決にはならない。
だから、イズールは諦めていた。
けれど、レティシアがどうにか切実に解決を望んでいると知ったとき、こうするのが一番だと思ったのだ。
「君はまだ子どもだ。とても囮などさせられない」
「そうよ。あなたを含め子どもたちは私たちが守るわ。一度安全な場所に避難させる計画をしていたところなのよ?」
アランとシェリルが反対する。
彼らはレティシアやルノーと同じように、イズールのことを扱ってくれているようだ。少しだけ胸がキュッと締めつけられた。
自国での扱いを考えるとあまりにも違い過ぎて、息をするのも苦しくなる。
レティシアもルノーもそうだ。
彼らは分け隔てなくイズールを受け入れてくれる。
イズールにとって、この場所はどこよりも穏やかでいられる場所だった。
(私にできることがあるのに、逃げるなんてできないよ)
今までずっと、諦めて生きてきた。
継母に逆らうことはできなかった。
けれど、ここで暮らすようになって少しだけ抵抗したいと思ったのだ。
イズールは拳を握り締める。
「レティシア姫は魔法が使えます。どこにいても、何かあれば一瞬ですよね?」
「そう、なのよね……」
シェリルが困ったように眉尻を下げた。
みんながため息をつく。
「魔法の檻を作ることはできますが、マナの消費が激しいものなので長期間は難しいですねぇ」
トリスティンは肩をすくめた。
興味深げに補佐官のクロッツが問う。
「そんなに難しいものなのですか?」
「ええ。持続性のある魔法はマナをずーっと消費するのですよ。火の球を千個投げるほうがよっぽど楽です」
「なるほど……」
「それに、殿下は無邪気な天才ですから。殿下に破られない檻となると……」
トリスティンは困ったように笑った。
「なので、私が囮になって捕まえるのが現実的だと思ったんです!」
「一理ありますね」
イズールの提案にトリスティンだけが頷く。
彼には王族や子どもといった括りはないのだろう。実にフラットだ。
「それに、私を狙ったということは、おそらく継母の関係者だと思うので……」
イズールの言葉は尻すぼみになっていく。
アランやシェリルはある程度事情を知っているはずだ。
イズールは深く頭を下げた。
「私に力を貸してください」
部屋に静寂が訪れる。
イズールは頭を下げたまま唇を噛みしめた。
「そんなふうに言わなくてもいいのよ?」
「そうだ。この王宮で起きたということは、わが国の問題でもある」
シェリルとアランの言葉にイズールは顔を上げた。
「囮なんてさせるのは心配だけれど……」
シェリルは眉尻を下げたままだ。
母親が生きていたら、こんなふうにあたたかい存在だっただろうか。
「それでしたら、私がひと肌脱ぎましょう」
トリスティンが弾んだ声を上げる。
みんなの視線が集まると、彼は嬉しそうに笑った。
「イズー殿下が囮になる日は、私が防御魔法を使うことで解決です」
「でも、持続性のある魔法はマナの消費が激しいんですよね?」
「イズー殿下は鋭いですねぇ。でも、心配ありませんよ。イズー殿下一人、数時間であれば」
トリスティンはイズールの頭を撫でる。少し乱暴な手にイズールはギュッと目を閉じた。
「ヴァルニエル様が手助けしてくださるなら安心ね」
シェリルは安心したような表情でアランを見上げる。
彼は神妙な面持ちで頷いた。いや、もとからそういう顔なのかもしれない。
そこから感情を読み取るのは難しそうだ。
「それにしても、レティの興味をどうやって引こうかしら?」
シェリルが困ったように言った。
それについてはイズールも悩んでいた。今日はうまくいった。しかし、レティシアに子ども騙しは何度も効かないだろう。
「それに関しても、私にお任せください」
トリスティンが胸を張って自信ありげに言う。
再び全員の視線を浴びたトリスティンが嬉しそうに笑った。
「犯人捜しなんて考えられないほど、たくさん遊べばいいのです」
トリスティンの不気味な笑い声が部屋中に響いた。
**
犯人捜しを始めてから数日、私は毎日王宮の端にある練習場にいる。
ともにいるのはトリスティン一人だ。
「さあ、もう一度やってみましょうね」
トリスティンは私の隣にしゃがむと、うたうように言った。
(こんなことしてる暇ないのに……)
私は頬を膨らませる。
数日前から突然、トリスティンが本気を出してきたのだ。
私の体調を考慮して数日に一回だった魔法の勉強が、最近は毎日ある。
私は言われたとおり、桶の水に魔法をかけた。
魔法がかけられた水は桶を飛び出し形を変える。
「おやおや、うさぎさんですか~。お上手ですねぇ」
トリスティンから拍手を送られた。
「……いぬ」
「おや、犬さんでしたか。お耳が長いので、うさぎさんかと思いました」
私は威力調整がとにかく下手らしい。
それを改善するための練習だ。
前世では威力を調整する必要はなかった。いや、そんな効率的な方法を知らなかったのだ。
魔法の何もかもを知ったつもりでいたけれど、本当は何もわかっていなかったのかもしれない。
(犬の次は……)
私は水の形を変えていく。
この訓練になんの意味があるのかはわからないが、つまらなくはない。
「おおっ! 次のこれは……くまさんですかね?」
「……ねこ」
「おやおや、少し独創的な形をしていたので、間違えてしまいましたね」
トリスティンは「愉快、愉快」と笑う。
「随分魔力の調整がお上手になりましたね」
「ん」
連日練習しているのだから当たり前なのだが、褒められて悪い気はしない。
「では、次は久しぶりに攻撃魔法を試してみましょうね」
トリスティンが指をパチンッと鳴らすと、練習場の真ん中に藁の人形が現れた。
最初のころ練習場にあった人形と同じものだ。木の棒にくくりつけられた藁の人形が佇んでいる。
「前回と同じ雷の魔法がいいかと思いますよ」
「ん」
私は藁の人形に向けて腕を伸ばす。
遠くて小さい。
けれど、連日魔法を使っているせいか、不安はなかった。
私は小さな声で呪文を唱える。
瞬間、空から強い光が藁の人形の上に落ちた。
ズガンッ。
非常に大きな音だ。そして、激しく地面が揺れる。
私はゆらゆらと揺れたあと、ペタンと地面に転んで尻もちをつく。
藁の人形は木の棒とともに姿を消し、地面にぽっかりと大きな穴が空いて、煙が立ち上っていた。
この光景には既視感があった。
「おやおやおやおや」
トリスティンが藁人形があった場所を凝視した。
そして、目を細め笑う。
(やっちゃったかも)
前回よりも上手く調節できたと思ったのだが。
藁の人形は跡形もなく消えている。
トリスティンは私を抱き上げると、消えた藁人形のもとへと連れて行った。
大きな穴だけがある。
「よーくわかりました。殿下は攻撃魔法がお下手なのですねぇ」
「むう……」
(攻撃魔法が一番得意だと思っていたのに?)
前世で一番使ってきた魔法が攻撃魔法だ。
それを「下手」と言われるのはなんだか悔しい。
「もっかい」
「もう一回ですか? しかたありませんね」
トリスティンは魔法で藁人形をもとの姿に戻すと、私をもとの位置に下ろす。
私は再び藁人形に向けて雷を落としたけれど、結果は変わらなかった。
ズガンッ。と大きな音を立てて消える藁人形。
トリスティンは「やっぱりお下手ですねぇ」と苦笑をもらした。
私は頬を膨らませる。
そんなはずはない。私は攻撃魔法で生き抜いてきたのだ。
「もっかい!」
「おやおや~。しかたないですね~。もう一回だけですよ?」
トリスティンはにこにこと笑いながら、準備をする。
けれど、結果は同じ。
何度やっても雷は地に穴を空け、大地を揺らした。
私は座り込む。
「なんで……」
「慌ててはいけませんよ。威力調整がお下手なだけで、魔法が使えないわけではありませんからね」
トリスティンは慰めるように私の頭を撫でた。
しかし、そんな言葉は慰めにはならない。
「ゆっくりゆっくり覚えていきましょうねぇ」
まるで子どもを諭すような口調に腹が立つ。
私は八つ当たりとばかりにトリスティンの手を叩いた。
すると、練習場の扉がガタガタと揺れる。
「レティーッ!」
ルノーの叫び声が聞こえた。




