35.イズールの裏切り
食堂のテーブルは細長い。
身体の小さな私は立っても余裕があるけれど、オーバンは違う。
座ってもテーブルに頭がついてしまっているため、変な形で身体が折り曲がっていた。
山のように大きなオーバンが小さくなっている姿は少し滑稽だった。
真っ白で汚れが一つもないテーブルクロスがかかっているため、私とオーバンの姿は外からは見えないだろう。
「オーバン、つらい?」
「自分は平気です」
小声で尋ねると、オーバンは真面目な顔で返事をする。
すると、遠くから足音が聞こえてきた。
「レティシア姫〜? どこかな〜?」
イズールの声だ。
私は両手で口を押さえる。
オーバンも難しい顔をして、息を止めた。
足音が止まって、食堂の扉が開く。
「うーん、いないか」
イズールは大きな独り言を呟く。
私たちに存在を知らしめるように。
「この辺にいると思ったんだけどなぁ」
わかりやすくため息をつくと、イズールは部屋から出ていった。
足音が遠くなる。
隣でオーバンが小さく息を吐いた。
私も合わせて「ふう」と大きく息を吐く。
「危険なところでした」
オーバンが真面目な顔で言う。
私は頷いた。
(ごめんねオーバン。こんなことに付き合わせて)
私は心の中で隣に小さくなって座るオーバンに謝罪する。
なぜこんなことになったのか。
それはほんの少し前に遡らなければならない。
私とイズールはオーバンから騎士たちのことを聞き出すことにした。
そうは言っても、「騎士の中に怪しい人いない?」と聞くわけにはいかない。
そんなことを尋ねれば、オーバンはアランに報告をするだろう。
「レティシア様が騎士たちを探っているようです」と。
それでは私の行動が筒抜けだ。
イズールは私に言った。
『陛下に報告がいかないように、雑談で聞き出すのがいいと思うんだ』
『ん』
言いたいことはわかる。
しかし、オーバンと雑談などしたことがない。
彼とはほんの少し打ち解けただけ。存在に慣れた程度だ。そんな中、雑談ができるだろうか?
『イズー、やって』
そういうのは私よりもイズールが適任だと思った。
イズールは穏やかでいつも笑顔だ。だから、みんな彼とはすぐ打ち解ける。
きっとオーバンもイズールとなら、気軽に話すのではないかと思った。
しかし、イズールは頭を横に振る。
『だめだよ』
『め?』
『他国の人間がリオート王国の騎士について尋ねるなんて、絶対だめだよ』
『むぅ……』
イズールの言い分はもっともだった。
『だから、レティシア姫がオーバンと二人きりになったときに聞かないと』
『ふたり?』
『そう。二人』
『ない。みんな、いっちょ』
『う〜ん。わかった。じゃあ、かくれんぼをしよう!』
イズールは満面の笑みで言ったのだ。
かくして私とオーバンは二人で隠れている。
私たちがオーバンに「かくれんぼをする」と言うと、オーバンは難色を示した。
かくれんぼをするということは、オーバンの目の届かないところに私が行くことになるからだ。
それもイズールの計画の一つ。
「かくれんぼは絶対だめだって言われるとおもうんだ」と、いい笑顔で言っていた。
イズールは難しい顔をするオーバンに言った。
「レティシア姫を一人にはできないなら、二人で隠れればいいんじゃないかな?」と。
**
イズールは食堂から離れると、ふうと息を吐いた。
食堂のテーブルの下に二人が隠れていることはすぐにわかった。
そもそも自由に出入りできる場所で、大きなオーバンが隠れられる場所が少ない。
それに、テーブルクロスから、彼の服の一部がちらりと見えていた。
(二人がテーブルの下で小さくなって話をしている姿を見てみたい気もするけど)
大きなオーバンと小さなレティシアが並んでいる姿を想像して、イズールは肩を揺らして笑う。
これで当分のあいだ、オーバンに聞き込みをするため話に夢中になるだろう。
これはレティシアとイズールが計画したとおりだ。
イズールは急ぎ足で、別の場所に向かった。
イズールは大きな扉を見上げる。
イズールが向かった先。それは――……。
コンコンコンッ。
「陛下、イズールです。少々お時間いただけないでしょうか」
リオート王国の国王であるアランの執務室だ。
扉はすぐに開かれた。
アランの補佐官――クロッツだ。
クロッツはイズールを見下ろすと、にこりと笑う。そして、辺りを見回した。
近くにレティシアやルノーがいないか確認したのだろうか。
「どうぞ。お入りください」
イズールはぺこりと頭を下げると扉を潜った。
アランの執務室には、アランの他に王妃のシェリル、そして魔法使いのトリスティンが揃っている。
重い雰囲気に少しだけ来たことを後悔した。
まだ子どもとはいえ、ここは他国。イズールは今、サシュエント王国の代表としてここにいることになる。
敵国ではないけれど、迷惑をかけているのは間違いない。
肩身が狭い。
重い空気を変えたのはシェリルだった。
「私たちはお邪魔かしら?」
彼女の笑顔のおかげで、イズールの緊張が少しだけ解けた。
「いえ、皆さんいてくださって問題ありません」
「そう、よかった。では、座ってゆっくり話しましょう。ちょうどお菓子も用意していたの。ね?」
シェリルはみんなをソファーに誘導した。
大きなテーブルをみんなで囲む。
アランとシェリルが並んで座り、イズールとトリスティンが並んで座った。
クロッツは定位置とばかりにアランの後ろだ。
シェリルはお菓子や紅茶を勧めてくれたけれど、イズールは緊張で手に取ることができなかった。
「イズー殿下、そんなに緊張されてどうしたのですか?」
トリスティンはいつも変わらぬ笑顔でクッキーをかじる。
緊張という言葉すら知らなさそうだ。
「レティシア姫のことでご相談があります」
「レティシアに何かあったのか?」
レティシアの名前を出したとたん、アランが口を開いた。
彼がレティシアを愛している証拠だろう。アランはいつも表情が変わらない。だから、何を考えているのかはわからないのだが、レティシアやルノーのことを愛していることはわかる。
イズールは真面目な顔で頷いた。
「レティシア姫が今回の件を色々気にしているようで」
「今回……というと、誘拐犯のことか」
「はい。誘拐以外にもいろいろあったと聞いています。とても不安に思っているようです」
「……そうか」
「レティはいつも大変な目に合っているものね」
シェリルが悲しそうに呟くと、空気が一気に重くなった。
「でもこんなことを私たちに言っていいのかしら? レティに口止めされていたのではない?」
シェリルの問いにイズールは苦笑を浮かべた。そして、小さく頷く。
「レティシア姫を裏切ることになっても、危険な目には合わせたくなかったので」
今日をきっかけに、レティシアに嫌われてしまうかもしれない。
それでもまだ幼い彼女の行動を止めたかった。
わかっているのだ。
止めれば彼女は確実に一人で行動する。
誰にも気づかれないように。そして、それは彼女を危険な目に合わせてしまう。
だから、一緒に犯人捜しするふりをした。
「今はオーバンに聞き込みをしていると思います」
「君がそうするように助言したのか?」
「はい。できるだけ危ないことはしないような提案をするつもりですが、どこまで上手くいくか」
アランの問いにイズールは苦笑を浮かべる。
トリスティンが同意とばかりに頷いた。
「そうですねぇ。殿下は三歳とは思えないほど聡明ですからね」
トリスティンの言うとおりだ。
レティシアは三歳とは思えない。
イズールの弟たちのことを思い出すが、もっと衝動的でわがままだった。
レティシアはとても物わかりがいい。よすぎるくらいだ。
それなのに、彼女は家族が関わると少々破天荒になる。火の中だろうと構わず飛び込んでしまいそうだ。
だから、今回は止めたかった。
次こそ命を失うようなことになるかもしれないからだ。
イズールはギュッと拳を握り締める。
(私に出来ることは少ないけど……)
イズールは顔を上げ、アランをしっかりと見つめた。
「そこで、提案なのですが。私を囮に使ってはもらえませんか?」
イズールの言葉に全員が目を見開いた。




