27.ちゅー
ネズミ。
それが私たちのことを差しているのだということは、すぐにわかった。
しかし、「まずい」と思ったときには時すでに遅し。
アランはまっすぐ私たち――本棚のもとに近づき、隠し通路の扉を開けた。
鈍い音を立てて扉が開く。
私たちは何もできず、何も言えず、ただ呆然とアランを見上げる。
アランの表情からは怒っているのか呆れているのかもわからない。
もともと、表情があまり変わらない人だからだ。
(言い訳……)
この状況で思いつくわけがない。
まさか、こんなにあっさりバレるとは思っていなかったのだ。
話を盗み聞きしているあいだ、音を出さないように細心の注意を払っていた。
バレるとしたら、のちのち護衛騎士たちが報告したあとだろう。そう思っていたのだ。
ルノーとイズールもこんなにすぐバレるとは思わなかったのだろう。
微動だにしない。
(えっと、えっと……。何か言わないと!)
私は頭の中でぐるぐると言い訳を考えたあと、どうにか言葉を絞り出した。
「ちゅー」
(そうじゃなくて……!)
私は自身の口から出た言葉に絶望し、頭を抱えた。
しかし、アランが小さく笑う。そして、私を抱き上げた。
「こんなに可愛いネズミが三匹も紛れているとはな」
アランはそのまま私をソファに座らせる。
怒ってはいないと思う。しかし、怒りを隠しているということもあり得るので、安堵するのは早いだろう。
すると、慌ててルノーとイズールが私とアランのもとへと駆け寄ってくる。
そして、深々と頭を下げた。
「父上、申し訳ありません」
アランは二人のつむじを見ながら、小さく息を吐く。
「あんなところで何をしていた?」
「それは……」
ルノーは言いよどむ。
どう説明するか、迷っているのだろうか。
それとも言い訳が思いついていない?
ルノーは目を泳がせた。
(しかたない、ここは私がひと肌脱いであげよう)
止めなかった時点で私も共犯だ。
三歳の私が言い出したことだと言えば、罪は軽くなるかもしれない。
(食事抜きくらいの罰だといいんだけど)
むち打ちはいやだ。あれは痛みが長引くから。
私はアランの袖をくいくいと引っ張った。
「あたち、あそんで、した」
二人にはたくさんの恩がある。
ここは罪を引き受けようと思った。
二人は目を丸くする。
「レティシアが隠し通路に行きたいと言ったのか?」
「ん」
アランの問いに、私は覚悟を持ってしっかりと頷いた。
しかし、イズールが叫ぶ。
「違います! レティシア姫は何も悪くありません。私がルノーにお願いしたんです。誘拐事件のことを知りたいと。申し訳ございません」
「そうです! 父上、レティは悪くありません。イズールが悩んでいたから、僕が隠し通路を見つけて、イズールと一緒に聞こうって言ったんです」
二人は再び頭を下げた。
「まったく……。おまえたちは……」
アランはため息をつく。
彼は立ち上がると、ルノーとイズールの頭を乱暴に撫でる。
「よく正直に話した。だが、盗み聞きが悪いことはわかるな?」
「……はい」
「申し訳ありません」
「今回の件に関しては、まだ調査中だ。事実確認が取れるまでは大人たちに任せなさい」
アランは有無を言わせない強い口調で言った。
イズールは唇を噛み締め、小さく頷く。
(自分のことなのに、除け者にされるのはいやだよね)
大人びていてもイズールはまだ八歳。
大人たちが秘密にしようとするのも理解できないわけではない。
少なくともこの国――リオート王国ではそれが普通なのだ。
子どもを危険な目に合わせないようにしているのだろう。
「このままうやむやにするつもりはない。だから、今は耐えてほしい」
「わかりました。何かわかったら、教えてくださいますか?」
「ああ、もちろん」
「どうか、サシュエントにはこのことは……」
イズールは俯いた。
アランは床に膝をついて、イズールに目線を合わせる。
「わかっている。君の立場を第一に考えて行動すると約束しよう」
「ありがとうございます」
アランは小さく頷くと、イズールの頭を再び撫でた。
「この話はこれで終わりだ。あの通路は緊急時以外は使用してはならない。いいな?」
「はい」
アランは厳しい口調で言うと、私たちを執務室から追い出した。
三人そろって執務室の扉の前で大きなため息をつく。
「ごめん。僕のせいだ」
「いや、私がわがままを言ったからだよ。二人ともごめんね」
「へーき」
私はイズールの手を握った。
なぜかそうしたほうがいいと思ったのだ。
イズールは困ったように笑う。
「レティシア姫もありがとう。かばってくれようとして」
「ん」
結局、無駄にはなってしまったけれど。
しかし、ルノーの反応は違った。
彼はしゃがんで私に目線を合わせると、眉根に皺を寄せる。
その姿は少しだけアランに似ていた。
「レティ、次からはあんなことしちゃだめだよ」
「め?」
「うん。ああいうときは、全部僕のせいにしていいから」
(全部、お兄様のせいに? それはいけないことでは?)
ガルバトールには、人に責任や罪を押しつけるきょうだいはたくさんいた。
私も何度も罪をなすりつけられ、そのせいでひどい目にあってきた。
特にガルバトール帝国の皇帝は用心深く無慈悲だ。
罪を押しつけられたら、命取りになる場合が多い。
そんな卑怯な真似をルノー相手にしたくはない。
私は頭を横に振った。
「だめ? 僕としてはレティが怒られるよりもそのほうが安心なんだけどな」
ルノーは肩を落とした。
なぜがっかりするのかがわからない。
自分に罪をなすりつけろなどという人がどこにいるのか。
「あたち、つよい。へーき」
痛いのは嫌いだけれど、ルノーに押しつけるようなことをするつもりはなかった。
もう、痛みに耐えるルノーは見たくない。
ただでさえ、私のせいで彼は大好きな剣を振るえないのだ。
「レティが強いのはわかっているよ。けど、兄としては頼ってほしいというか……」
ルノーは恥ずかしそうに笑う。そして、少し寂しそうな表情を私に向けた。
こういうとき、どう返事をすべきなのだろうか。
私はおろおろしながらルノーを見上げる。
すると、隣でイズールが肩を揺らして笑った。
「レティシア姫、いいことを教えてあげるよ」
「ん」
「こういう時は、『好き』って言えばいいんだよ」
イズールは私に満面の笑みを向ける。悪気のない笑顔だ。
私は狼狽えた。
ルノーなんて、イズールの言葉を聞いただけで花が咲いたような笑顔になっているではないか。
(そんなのなんの解決にもなってないじゃない)
今は罪を押しつけるか押しつけないか、そういう話をしていたと思う。
好きかどうかは関係ない。
しかし、ルノーからは期待の眼差しを向けられ、聞かなかったことにはできそうになかった。
私はおずおずとルノーの袖をつかむ。
「おにーたま、すき」
はじめて言う言葉ではない。
けれど、なんだかとても気恥ずかしくて、私は俯いた。
「レティ~~~! 僕も大好きだよ」
ルノーが勢いよく私を抱きしめる。
(く、苦しい……!)
私は何度もルノーの身体をペシペシと叩いたけれど、腕を緩めてはくれなかった。
イズールの笑い声が廊下に響く。
**
私は久しぶりに積み木と向き合っている。
そう、積み木だ。
それは、三歳の私にとって重要な体力づくりの一環だった。
私は一番高いところに向かって腕を伸ばす。
私の頭を超えた積み木の城だ。残り一つ、三角の積み木を上に乗せれば完成するのだ。
少し離れたところから、数人のメイドと護衛騎士のオーバンが見守っている。
この視線にも慣れた。
これが監視ではないことも、理解している。
プルプルと手を震わせながら積み木を乗せた瞬間、勢いよく扉が開いた。
「レティ~! 一緒にブルーベリーを食べよう!」




