25.いたいの、や
トリスティンの紫色の瞳に映る私は明らかに動揺していた。
「ふり?」
私はわざとらしく首を捻る。
「ここの人たちを騙せても、私は騙せませんよ?」
トリスティンはクククと楽しそうに笑った。
「成長促進魔法を無意識に使ったくらいなら、私も納得したでしょう」
トリスティンは私を抱き上げると、ソファに座らせた。
私は黙って彼を見上げる。
「しかし、殿下は屋敷の隣に生えていた木の根を的確に選び、そして敵と認識した者だけを確実に捕らえています。知識のない者が無意識にそこまでできるはずがありません」
トリスティンの言っていることは、間違っていない。
今回、成長促進魔法を使った。
誰も殺さず、イズールを守るためにはそれしか思いつかなかったのだ。
そもそも成長促進魔法は前世で使ったことはなかった。知識として本でサラッと読んだ時のことを思い出しただけだ。
攻撃魔法の威力操作ができればいいのだけれど、そんなものを練習したことはない。
練習すらしていないのに、実践で使えるとは思えなかった。
「殿下はあえて、成長促進魔法を使ったのでしょう?」
(やっぱりみんなは騙せても、天才魔法使いは騙せないか……)
私は小さくため息をつく。
「ん」
「なぜ、成長促進魔法だったのですか? あの場合、攻撃魔法を使うのが一般的です」
(そうなんだ)
一般的の基準はよくわからない。
前世には魔法の師はいなかった。
魔法は基本独学だったし、勝つためなら手段を選んではいなかったから。
「成長促進魔法を使えるのであれば、攻撃魔法も使えたはずです。殿下はなぜ成長促進魔法を使ったのですか?」
紫の瞳は「絶対に逃さないぞ」という気迫に満ちている。
私はどう説明していいかわからなかった。
攻撃魔法を選択しなかった理由を説明するには、前世の人生から語る必要がある。
しかし、それはするつもりはなかった。
だって、そんな突飛な話をしても信じてもらえるとは思えなかったし、なによりこの男の真意がわからない。
私のことを知って何をしようと考えているのか。
どうして、ここにいるのか。
まだわからないことばかりだ。
(ガルバトール帝国との繋がりはないはず。でも、警戒はしないと)
私が知る限り、前世では表舞台には出てきていない。しかし、今世がどうかはわからないではないか。
私がレティシアとして生まれ変わったように、この男も何かしらの変化したのかもしれない。
(あくまで三歳の子どもでいないと)
私は悩んだ末に理由を口にした。
「いたいの、や」
トリスティンは目を瞬かせる。
何度も、何度も。
十回ほど数えたところで、私は数えるのをやめた。
「い、痛いのがいやだから、捕まえようと思ったのですか?」
「ん」
「たったそれだけの理由で、あんな面倒な魔法を?」
「ん」
「成長促進魔法はマナを栄養にして植物を成長させる魔法です。下手をすればマナをすべて失って死ぬかもしれないのですよ?」
トリスティンの言葉に、今度は私が目を瞬かせる。
そんなことは知らなかった。
死ぬかもしれないなんて、聞いたことがない。
トリスティンの頬がヒクリと動く。
「ま、まさか、何も知らずに使っていたのですか? いや、殿下はまだ三つ。知らなくて当たり前か……」
トリスティンはぶつぶつと呟きながら部屋中を歩いた。
私は置いてけぼりだ。
ぐるぐると部屋を歩くトリスティンを見ているだけ。
(とりあえず、あの魔法は危険ってことか)
攻撃魔法以外で、イズールを守り相手を殺さない魔法。咄嗟に思いついた魔法があれだけだった。
しかし、そのせいで十日も眠る羽目になったのだ。
いや、イズールの助けがなければもっと眠っていたかもしれない。
マナがじゅうぶんに貯まるまでは使わないほうがいいのだろう。
(その代わり、マナの器はさらに大きくなったみたいけど……)
今感じるのは大きな器の中にほんの少しだけのマナがあるだけ。
(まずはマナを貯めることを考えないと)
私はまじまじと手を見つめる。
(それにしても、どうやって瞬間移動できているんだろう?)
一度目はよく覚えていない。
ルノーが大怪我をして必死だった。
二度目はシェリルの紅茶に毒が盛られたとき。
あの時、私は彼女を助けたいと願った。
しかし、移動した場所はアランのもとだったのだ。
そして、三度目。
あの日は願う暇もなかったと思う。
「助けなきゃ」と思ったときにはすでに、イズールのもとにいたのだ。
「殿下っ!」
「ひゃいっ!?」
現実に引き戻され、私は驚きに声を上げた。すぐ近くにトリスティンの顔があって、胸が大きく跳ねた。
「殿下のことはよぉくわかりました。天才とは孤独であることが多い。殿下にはよき師が必要です」
「……ん」
話がつかめない。
トリスティンは私の小さな手を取ると、にんまりと笑う。
「このトリスティンが来たからには、もう安心ですよ。私がこの世界のすべてをお教えしましょう」
「とりちゅが?」
「はい。先日も陛下がそうおっしゃっていたではありませんか」
(それはそうだけど……)
まさか、本気なのだろうか。
私はトリスティンを睨みつける。
トリスティンは身体をくねらせた。
「そんな愛らしく見つめられては緊張します」
(そもそも、本当に紫の魔法使いなのかしら?)
すべてが怪しく見える。
私が知っている限り、紫の魔法使いと呼ばれたトリスティン・ヴァルニエルは、紫の髪と紫の瞳を持つという特徴しか知られていない。
性別も、年齢も、何もわかっていないのだ。
紫に偽装すれば、誰だって名乗れてしまう。
「おや。そろそろタイムリミットのようですね」
トリスティンが部屋の扉に目をやった。
私は彼の視線を辿る。
彼が指をパチンッと鳴らした途端、部屋の扉が開く。
「わっ!」
扉の奥から現れたのは、ルノーとイズールだった。
突然開いた扉に驚き、バランスを崩した二人は部屋の中に転がる。
「いたたたた……」
トリスティンはツカツカと二人のもとまで歩くと、腕を組んで見下ろした。
「お二人とも、盗み聞きはいけませんよ」
この部屋には防音魔法が使われている。だから、二人がどんなに耳をそばだてても聞こえないのだが、そのことは言わないようだ。
おそらく二人は私を心配して、行動に移してくれたのだろう。
二人はトリスティンに怒られると、ばつの悪そうな顔をした。
「すみません。レティが心配で」
ルノーが頭を下げる。
「殿下たちは殿下の……、殿下に殿下に殿下……。んー、私が混乱しそうです」
トリスティンは私たちを一人ずつ見ると、困ったように笑った。
彼の様子から、まだトリスティンは彼の様子を知らないのではないだろうか。
二人が魔法を習うわけではない。だから、紹介されていない可能性が高い。
私がルノーの教師全員を知っているわけではないの同じように。
私はルノーとイズールのあいだに立つ。
まずはルノーの腕を引いた。
「おにーたま」
次はイズールの腕を引く。
「イズー」
これで紹介はじゅうぶんだろう。
トリスティンは納得したように頷いた。
「おにーたま殿下とイズー殿下ですね? 私はトリスティン・ヴァルニエル。しがない魔法使いの端くれです。どうぞお見知りおきを」
トリスティンはルノーとイズールに対し深々と頭を下げる。
「僕はリオート王国第一王子のルノーです。レティをよろしくお願いします」
「私はサシュエント王国第一王子のイズールと申します」
「おにーたま殿下もイズー殿下もご丁寧にありがとうございます。当面のあいだこちらにお世話になりますので、これからどうぞよろしくお願いいたします」
トリスティンは満面の笑みを二人に向ける。
飄々としていて、彼が何を考えているかはわからなかった。
「あまり長くやっても疲れてしまうだけですからね。今日は終わりにしましょう」
「ん」
トリスティンは私の頭を撫でる。
ルノーはトリスティンをキッと睨みつけた。
**
トリスティンから解放された私とルノー、そしてイズールは廊下を歩く。
「レティ、大丈夫だった?」
「ん」
「あいつに変なことされてない?」
「へーき」
「僕も一緒に受けるって言ったんだけど、父上にダメっていわれちゃったんだ」
ルノーは肩を落とした。ルノーに魔法の才はない。
一緒に受ける意味がないと判断されたのだろう。
「ほら、二人とも。早く行かないと遅れるよ」
イズールが少し落ち着かない様子で言った。
「いく? どこ?」
私は首を傾げる。
そういえば、目的地を聞いていない。
そもそも用事があったのだろうか。
ルノーがニッと笑った。