12.悲願の子
王宮の魔法使いの言葉が正しければ、私のマナの量は前世を超える。
瞬間移動という魔法は未知の領域だった。
それを公表すれば、国民は間違いなく王族を支持するだろう。
民は強い者に惹かれる。
そうなれば、政治をしやすくなる。
ガルバトール帝国もそうだった。
皇帝は真っ先に私の魔法使いの力を公表し、民心を惹こうとしたのだ。
「三歳の子どもが背負う重さではない。自分の意志で決めさせるつもりだ」
「そう言うと思っていました」
補佐官は小さく笑う。
私は胸がいっぱいになった。
前世とはまったく違う。前世の父は私をいかに利用できるかばかり考える人だった。
最後はすべての責を私になすりつけ、魔女として処刑した。
「では、引き続き極少数の人間のみで対処いたします」
「頼む。レティシアは魔法の才のある王族の前に、三歳の子どもだ」
「肝に銘じておきます」
補佐官が深々と頭を下げた。
なぜか胸が痛い。
ぎゅっと心臓がつかまれるような感覚に、私は身体を丸めた。
私はただの娘として愛されてもいいのだろうか。
魔女にならなくても、私を大切にしてくれるのだろうか。
この幸せは本物だろうか。
幸福感とともに襲うのは不安だった。
(怖い)
幸福が怖い。
この幸福を知ってしまったら、私は昔に戻れないだろう。
もしもこれがすべて夢で、目が覚めたらすべて元にも戻っていたらどうしよう。
どくどくと心臓が脈打つ。
アランが汗ばむ私の額を撫でた。
「私たちはこの子を誰よりも幸せにしてやりたい」
「はい」
「悲願の子だ」
(悲願の子? どういうこと?)
優しい手が何度も私の頭を撫でた。
もっと話を聞いていたいのに、私の意識は徐々に遠のいていった。
**
アランは眠るレティシアの頭を撫でる。
アランとシェリルにとってレティシアは悲願の子だった。
ルノーが生まれたあと、二人のもとには何度か子宝に恵まれたことがある。
しかしそのすべてが流産か死産だった。
『父上、母上。僕にも弟か妹がほしいです』
そうキラキラとした目で言うルノーは、大きくなるシェリルのお腹に毎日話かけた。そんな彼に死産について説明するのはとても心苦しかった。
アランは何よりもシェリルの心と身体が心配だったのだ。
シェリルの負担が大きい。だから、もういいのではないかと思った。
『私たちにはルノーがいる。じゅうぶんだ』
『いいえ、もう一人産みたいの。ルノーにはきょうだいが必要よ』
シェリルは王族の孤独さを言いいたいのだろう。
ルノーはいつも友人関係においてもどかしさを感じているようだと、報告を受けていた。
子どもは親に影響を受ける。
王太子という立場上、どうして壁ができやすい。
傍系に近しい年齢の子どもはいても、やはり対等に付き合うのは難しいものだ。
それはアランも幼いころに感じたものだった。
『だが、君の負担が大きい』
『私は大丈夫。それに、次は大丈夫な気がするの』
シェリルはにこやかに笑った。
それから間もなくして生まれたのがレティシアだ。シェリルに似たピンクブロンドの髪と、王族特有の紫色の瞳を持つ姫。
みんなの希望の子。王族という生まれゆえ、これから大きなものを背負っていくことになる。
だからこそ、幼いうちは愛情をいっぱい受けて育ってほしいと思った。
「魔法の才か」
アランは呟いた。
「魔法使い曰く、今まで見たこともないほどの力を秘めているとのことですが」
「すごい力など、持たないほうが幸せなのだが……」
すくすくと育ってくれさえすればいい。
いつか、愛する人と巡り合い新しい家族を作る。そんな当たり前の幸せが手にできる未来であればいいと思っていた。
「いつかこの力を悪用しようとする者が現れるだろう」
「そうですね。この力があれば、大陸を征服することも可能でしょう」
「難儀な力だ。狼の件もある。より一層レティシアとルノーの警護を強固にしよう」
「かしこまりました」
アランは眠ったままのレティシアを抱き上げる。
幼い子どもの顔だ。
ふとしたとき、レティシアは大人の顔になる。すべてを見透かしたような目をするときがあった。
だから、ずっと心配していたのだ。
「どちらへ?」
「レティシアの部屋へ。こんなところで眠っては風邪を引く」
「まだ終わっていません。すぐに戻ってきてください」
「わかっている」
アランはレティシアを抱いたまま執務室を出た。慌てたメイドを制しアランはまっすぐ歩く。
すると、慌てた様子でルノーが走ってきた。
怪我の治療に専念するため、授業は当分休止している。今は医師の元に通っているはずだ。
「父上っ!」
「どうした?」
「レティがいなくて!」
慌てていたのはレティシアが部屋にいなかったからのようだ。
アランは小さく息を吐いた。
「レティシアならここにいる」
「父上のところだったんですね。よかった」
ルノーは安堵のため息をつく。
アランがまっすぐレティシアの部屋に向かうと、ルノーもついてきた。
「傷はどうだ?」
「もう平気です」
まだ強く痛むようだと医師からの報告を読んだばかりだ。
しかし、アランは何も言わなかった。彼にも何かしらの思いがあるのだろう。
アランはルノーの強がりを受け入れることにしたのだ。
「父上」
「どうした?」
「剣術の勉強をもっとしたいです」
「突然どうした?」
「レティは特別な子だから、守るためには強くならないと」
特別な子というのは、魔法の才のことを言っているのだろう。
そして、才のある者はどうしても標的になってしまう。今回の狼は王太子であるルノーを標的にしたかもしれない。しかし、次はレティシアが標的になる可能性がある。そう言いたいのだろう。
「医師がいいと言ったらな」
「でも……」
ルノーからもどかしさを感じる。
アランはルノーの頭を撫でた。こうやって彼の頭を撫でるのはいつぶりだろうか。
「焦るな。今は大人たちに任せておきなさい」
「では、一番強い騎士をレティにつけてくれますか?」
「ああ、そうしよう。おまえには二番目に強い騎士をつける」
「約束ですよ!」
ルノーは嬉しそうに飛び跳ねる。アランは何度も頷いた。
「んん……」
腕の中でレティシアがもぞもぞと動き出した。
「あ! レティ。起こしちゃってごめんね」
レティシアは目をこすりながら起き上がった。何度も瞬きをし、きょろきょろと辺りを見回す。
彼女はアランの腕の中からルノーを見つけ破顔した。
「……おにーたま」
その瞬間、ルノーは目を見開く。
あまりの愛らしさに驚いたのだろうか。
「あれ? ちゅみきは?」
「積み木はメイドが持ってくるから安心しなさい」
レティシアは小さく頷く。
そして、こくりこくりと舟を漕ぎ始めた。まだ寝たりないのだろう。頭をゆらゆらと揺らしたあと、アランの胸に頭を預ける。
すぐに寝息を立てた。
「レティが妹でよかった」
しみじみといった様子でルノーは言う。
ルノーの目はキラキラと輝いていた。
「そうか」
「父上もそう思いませんか?」
「そうだな。ルノーとレティシアは私たちの宝だ」
アランはふだんは言わないようなことを口にした。
国王として、アランはあまり感情は表に出さないようしている。出さないようにしているというよりは、感情を表に出さないことに慣れてしまった。
シェリルには「家族相手にはもう少しわかりやすく」とよく叱られる。
笑うことはアランにとっては難題の一つだ。しかし、この程度の言葉なら。
柄にもないことを言っている自覚はある。
アランはルノーを一切見ずにまっすぐ前を見た。どんな顔をして彼を見ていいのかわからなかったのだ。
もし、側にシェリルがいたら叱られただろう。
「僕も。僕も父上と母上の子として生まれてよかったです!」
ルノーは弾んだ声で言った。
廊下に彼の声が響く。腕の中のレティシアの肩がぴくりと跳ねた。
**
ルノーはうまく動かない腕を見つめた。
「先生、僕の腕はいつになったら剣を持てますか?」
ルノーは思わず医師に尋ねる。