11.光の剣士
ルノーが首を傾げる。
金の髪が揺れた。
「おにーたま、すき」
「え……?」
ルノーは素っ頓狂な声を上げる。
聞き取れなかっただろうか。
「おにーたま、だいすき」
恥ずかしくなって、私はルノーに抱きついた。
こんな風に誰かに「好き」と言うのは、前世から遡ってみても初めてだった。
ルノーが私を抱きしめ返す。
「僕も。僕もレティが大好きだよ」
「ん」
「レティが安心できるように頑張るよ」
「あたちも」
私も、ルノーのために力を尽くそう。
この優しい兄のために。
今までは生き延びられさえすればそれでよかった。
けれど、今は少し違う。
ルノーも。いや、兄も一緒がいい。
(お兄様の腕を治す方法を探さないと)
「おにーたま、ひかりのけんち」
「光の?」
「ん。なる」
ルノーは意味がわからないのか首を傾げた。
うしろで静かに話しを聞いていたイズールが突然笑い出した。
「ははは。光の剣士か。かっこいいな」
「光の剣士? 僕が?」
「ん。おにーたま、つよい」
ルノーは強かった。
前世の私が何度も命の危険に晒されたほど。
私はルノーの腕を治そう。そして、彼は前世と同じように「光の剣士」と呼ばれるのだ。
「そうか。レティの期待を裏切らないようにしないといけないね」
ルノーが私の頭を撫でる。優しい手だ。この手を私は守りたいと思った。
私が人生で初めて手に入れたぬくもりだったから。
**
それからの私は、積極的に動くようになった。いつもは部屋で身体を鍛えるのが主だった。
家族に目をつけられず、長く生きることが目標だったからだ。
しかし、今は違う。
私はアランの執務室の扉をそっと開いた。正確にはメイドが開いてくれた。
三歳の私の力では、押してもまったく開かなかったのだ。
「どうした? レティシア」
アランが私を見つけ、席を立つ。
「おとーたま」
「もう大事ないか?」
「ん」
ルノーの一件から、わかったことがある。
家族はみんな私のことを大切に思っているということ。
私を利用しようとは思っていないこと。
このリオーク王国はガルバトール帝国とは違うということ。
ガルバトール帝国での常識とはまったく違うこの国の優しさに、まだしっくりとはきていない。
けれど、このくすぐったい優しさが、私の心をあたたかくする。
「よかった。だが、無理は禁物だ」
「ん」
アランは私を抱き上げる。
彼は本当に心配しているのだろう。心配された経験がないから、どう返事をしていいのかわからなかった。
体調はとてもいい。
身体の中のマナはほとんどないが、少しずつ集まってきている感じはする。
「今日はどうした?」
「あそび、きた」
私は懐にしまっていた積み木を取り出して見せた。
「ひとりではつまらなかったか?」
「ん」
「そうか。ではここで遊ぼう」
アランが大きな手で私を撫でた。不思議と心地よく感じる。
何が変わったのかわからない。
私が扉の近くで佇むメイドに視線をやると、彼女は慌てて残りの積み木を床に置く。
「陛下、まだいろいろと決まっていないことが……」
「レティシアがせっかくここまで来たんだ。追い出すわけにはいかない」
補佐官が苦言を呈す。しかし、アランは聞く耳を持たなかった。
だから、私は子どもらしく尋ねたのだ。
「おとーたま、いそがし?」
「いいや」
「いいやではありません。たんまりと仕事はございます」
否定したアランに補佐官が間髪入れずに言った。
そうとう忙しいようだ。
「おとーたま、しごと」
「それだとレティシアが寂しいだろう?」
「あたち、ここ。さみし、ない」
「ここで遊んでいれば寂しくないと言いたいのか?」
「ん」
私は強く頷いた。
別にアランと遊びたかったからここに来たわけではない。
アランが狼の件を調べていると聞きつけて、ここに来たのだ。
まだマナがじゅうぶんにたまっていない今、魔法で情報を手に入れるのは難しかった。
(だったら、直接おしかけちゃえばいいじゃないと、思ったけど正解だったわ)
アランは私の頭を撫でる。
「寂しくなったらすぐに言いなさい」
「ん」
私は力強く頷く。
そして積み木を一つ持った。積み木に興味はないが、みんなの緊張感を解かねばならない。
メイドは執務室の外に待機するように命じられ、執務室にはアランと補佐官、そして私という状態になった。
「こちらの輸入の件ですが、滞りなく進んでいるようです」
「そうか」
「明日の会議に関してですが──……」
二人はどんどん仕事を進めていく。
しかし、肝心の狼の件に関してはなかなか話を始めなかった。
(もしかして、諦めちゃった?)
王太子の一大事だというのに、それはないだろうか。
アランは私も大切にしてくれるが、ルノーのことも可愛がっている。
(もしかして、私に気を使ってる……とか?)
自分で思い至って頬を染めた。
前世、私は誰かに気遣われたことなんてない。
もしも、二人が当事者である私の耳に入れないようにしているのだとしたら?
私の思い過ごしかもしれない。
たまたまかもしれない。そう思いつつ、私は真相が知りたくなった。
高く積み上げた積み木を放置し、ソファの上に乗る。そして、横になった。
(寝たふりをしたら、話し始めるかも)
子どもは突然眠るもの。きっと、誰も怪しいまない。
目をつむって少しすると、二人の話し声が止まった。
「眠ってしまったようだな」
アランの低い声が響く。
足音と衣擦れの音のあと、ふわりとぬくもりに包まれた。
(あったかい。けど、少し重い)
布団。いや、アランの上着だろうか。人肌程度にあたたかい。ぬくぬくとしている感じから、アランが着ていた上着だと予想できた。
「レティシア様は相変わらず、おとなしく、ものわかりのいい子ですね」
「ああ、もう少しわがままを言ってもらえたほうがいいのだがな」
「そうなりますと、私の胃痛が増えます」
「だが、子どもはわがままなものだ」
(わがまま……)
あまり縁のない言葉だ。
前世でも、わがままを言うきょうだいはいた。しかし、そういうきょうだいは、母親が地位のある子ばかりだった。
私がわがままを言って叶えてもらったことはない。だから、言ってもしかたないのだ。
(執務室に居座るのも、立派なわがままだと思うけど)
ガルバトール帝国では許されないことだ。
皇帝の執務室に居座り積み木をする姿など想像もできない。
「陛下。狼の件ですが」
(きた!)
「何かわかったか?」
「捕まえた狼の胃から、特殊な餌を見つけました」
「特殊な?」
「はい。野生の狼が食べないようなものです。専門家に詳しく聞いたところ、野生動物を調教する際によく使われるそうなのですが……」
補佐官が言葉を濁す。
私は慎重に息を吐いた。起きていると知られれば、話をやめてしまうかもしれない。
「つまり、何者かがルノーとレティシアを狙った可能性が高いということだな?」
「はい。無差別に王宮を荒らす目的であれば、調教の必要がありません」
「王族を狙うとは……」
アランの低い声がさらに低くなる。
声から怒りを感じた。
「必ず探し出せ。ルノーを傷つけ、レティシアを苦しませた罪は償ってもらう」
「かしこまりました」
(狼は捕まえたけど、犯人はまだ見つかってないのか)
みんな、私には何も教えてくれない。それどころか、狼の話すら避けているようだった。
(まだ捕まっていないなら、また私かお兄様を狙ってくるかも)
どうにかして捕まえよう。未来のために野放しにはできない。
「レティシア様の魔法の件は今のところ関係者以外には公表していません。どうしますか?」
「今は内密にしろ」
「いいのですか? 公表すれば、国民の関心を引くことができますよ?」
「そうだな。だが……」
アランは言葉を濁した。