表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/26

10.ふつうより、ちょっとうえ

 ルノーが顔を歪めると、医師がルノーの腕を押える。


『痛みが出るようでしたら、ここまでにしましょう』

『いいえ、まだできます!』


 ルノーは声を荒らげる。

 あんなに必死なルノーを見たことがなかった。


『無理は禁物です。焦ってはいけません。少しずつ慣らしていきましょう』

『早く治さないと。妹が心配します』


 ルノーは困ったように笑った。


『それに、僕はもっと強くなりたいんです。このままじゃ剣も持てないから』


 マナがなくなり、ここで鏡は消えてしまった。

 私は呆然と宙を見つめた。

 最後に見たルノーの笑顔が忘れられない。


(どうしよう……。未来が変わっちゃった……)


 前世でルノーは『光の剣士』と呼ばれるほどの剣豪に育った。

 けれど、前世はこんな事件が起こったのだろうか? もしかしたら、前世はこんな事件起こっていないかもしれない。

 前世ではレティシアはいなくて、狼から無事逃げられたかもしれない。

 前世でリオーク王国にレティシアという王女がいたのかもわからないのだ。


(私のせいで)


 私は花壇の隅で膝を抱えた。

 もし、あの時ためらいなく魔法を使っていたら、ルノーにあんなつらい顔をさせることはなかったのではないか。

 後悔しても遅い。

 私の意思で時間を巻き戻ることはできないのだから。


「こんなところでどうしたの?」


 急に声が降ってきた。

 私は慌てて顔を上げる。──イズールだ。

 彼は変わらない笑みを見せると、無遠慮に私の隣に座った。


「かくれんぼ?」


 彼の問いに私は頭を横に振る。


「元気になってよかった。風邪を引いたって聞いたよ」


 イズールは私の頭を撫でる。

 ここの人たちは私の頭を撫でるのが好きなようだ。

 いつも、意味もなく撫でている。はじめはこの手がうっとおしくも感じたが、今はどうしてか安心する。


「ひと月も寝込むなんて、災難だったね」

「へーき」

「でも、顔は平気じゃなさそうだけど」

「おにーたまが……」


 私は膝に突っ伏した。


「ルノーが心配?」


 イズールの問いに私は小さく頷く。顔を上げることはできなかった。


「大丈夫。ルノーは強いから」

「しってる」


 イズールはカラカラと笑う。


「そうか。兄妹だもんね。でも、レティシア姫が思っているより、もっと強いよ」

「もっと?」

「うん、もっと。だってルノーはお兄ちゃんだから」


 彼の言っている意味がわからない。


「おにーたまの手、上がらない」

「今はまだ病み上がりだから」

「ずっとだったら?」


 ずっと、剣が持てなかったら?

 彼は未来、『光の剣士』と呼ばれるようになるだろうか。


「そんなに心配なら、聞きに行こう」


 イズールが立ち上がる。そして、私に手を差し出した。

 私は慌てて頭を横に振る。

 そんなこと、聞けるわけがない。

 もしも、もう剣は握れないと言われたら、立ち直れそうにない。

 償う方法が思いつかないのだ。自分の腕を差し出せば、戻るわけでもない。

 イズールが小さく笑う。


「案外、臆病なんだね。大丈夫。私が一緒だから。さぁ、行こう」


 次は私の手をしっかりとつかんだ。

 私はしかたなく立ち上がる。ルノーに怪我の状況を聞くのはこわい。自らの過ちを目の当たりにするこういだからだ。

 しかし、知りたくもあった。

 私の背負うべきものだからだ。その罪を、そしてルノーの未来を。


 私とイズールは並んで歩いた。

 彼はずっと手を繋いだままだ。手を離しても逃げはしないのに。

 しかし、この手は嫌いじゃないので何も言わない。


「ねえ、まだルノーのこと、ふつう?」


 イズールが不意に聞いた。

 ふつう。

 そう、前に答えたことがある。


「ふつうより、ちょっとうえ」

「ちょっと上か」


 イズールが肩を揺らして笑う。

 どうしてそんなに笑うのかわからない。けれど、からかわれている気がして、私は頬を膨らませた。


「ふつうの上は好きだろ? じゃあ、もうほとんど好きってことだね」

「ちあう。ふつうの、ちょっとうえ」


 私はふいっと顔を背ける。

「好き」を他人に認めるのは難しい。


「素直じゃないなぁ。でも、いいね」

「どちて?」

「兄妹の仲がいいっていいことだよ」

「イズール、わるい?」

「少しね。前に言っただろう? 今の母は私のことが嫌いなんだ。弟たちにも嫌われているよ」


 イズールは眉尻を下げる。


(サシュエント王国はガルバトール帝国と似ているのかも)


 ガルバトール帝国でもきょうだい達の仲はよくなかった。

 きょうだいが多ければ多いほど、一人の取り分が減るからだと思う。

 父である皇帝は優秀な子、使える子だけを優遇した。だから、足の引っ張り合いが横行したのだ。

 前世、それを悲しいと思ったことはない。

 私はそういう世界しか知らなかったから。しかし、ルノーの優しさを知った今、あの世界は悲しみに満ちているように感じた。


「……おにーたま、すき」

「そっか。いいね」

「ん」

「ルノーにも言ったら、きっと喜ぶよ」


 私は思わず眉根を寄せた。

 ルノーに直接言うのは難しい。きっとルノーも突然そんなことを言われたら驚くだろう。

 イズールは目を細め肩を揺らして笑う。彼の揺れが手を通じて、私の肩まで伝わった。


 **


 私とイズールを見たルノーは目を丸くした。

 医師から離れたルノーは慌てて私たちに駆け寄る。

 ルノーは傷の治療をしていたのか、上半身は裸で右肩から腕にかけて包帯でぐるぐる巻にされていた。


「二人とも急にどうしたの?」

「レティシア姫が心配してたから一緒に来たんだ」


 イズールが私の背を優しく叩く。

 私はおずおずと聞いた。


「おにーたま、いたい?」

「もうぜんぜん痛くないよ」


 嘘だ。肩を少し上げただけで痛そうにしていた。しかし、それは私が勝手に魔法で覗いたもの。私はじっと彼を見つめる。

 ルノーは苦笑をもらした。


「ちょっとだけ痛い、かな。でも大丈夫だよ。すぐにもとに戻るから」


 ルノーは左手で私の頭を撫でる。

 傷を負った右手は動かさずに。


「て、うごかない?」

「こっち? 今はまだ治りかけだから。ちゃんと治れば動くよ。そうですよね? 先生」


 ルノーが医師に問う。医師は汗を拭いながら言った。


「ええ、生活に支障ないくらいには戻りますよ」

「けんは?」

「へ?」

「けん、もつ?」

「剣……ですか」


 医師は言葉を濁す。やはり、難しいのだろうか。私はルノーの未来を変えてしまったのだろうか。

 彼が口を開く前にルノがー言った。


「持てるようになるよ。僕の腕のことは僕がよく知ってる。レティを守れるようにもっと強くなるから」

「いらない」

「いらない? なぜ?」

「あたちのが、つよい」

「そうだね。だから、それより強くなるよ」


 どうしてそんな風に笑えるのだろうか。ルノーは剣技の授業が一番好きだった。それなのに、今は剣すら握れない。

 苦しくはないのだろうか。

 私のことを憎く思わないのだろうか。

 私のせいで、この腕は今思うように動かないというのに。

 私は彼の目を見ることができず、俯いた。

 彼が私の頭を撫でる。


「レティは何も悪くない。だから、悲しまないで」

「あたち……」

「それにね、右手がだめでも、まだ左手がある。だから、大丈夫だよ」

「でも……」

「それに、僕はレティには笑っていてほしいんだ。そのほうがかわいい」


 ルノーは私の濡れた頬を拭った。

 彼はいつもどおりの笑顔を見せる。

 私にできることは何かあるだろうか。三歳の私にはできることが少ない。


(今できることは一つだけ)


 私は意を決して彼を見上げた。


「おにーたま」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ