ある日の事件のお話
「あら!おかえりなさい!」
王都から少し離れた小さな町集落。仕事から帰ってきた夫を、家事をしていた嫁が迎える。いたって平凡な家族の様子、突然その事件は起きた。
犯行時刻は夜の12時。ご近所さんも寝静まり、小鳥のさえずりだけが夜道に響く中、ネクタイをほどいた男性は、エプロン姿の女性の首を絞める。
「ガッ……。な、なに。やめ、て……」
女性は苦しそうに、かろうじて声を出し、助けを求めている。しかし、田舎で人通りも少ないこの町で、助けがくるわけもなかった。
「ア、アア……アッ……」
ゴキッッッッッ!
そのまま女性はうつ伏せの状態で倒れ、天井をじっと見つめていた。
女性を床へ放り出したその男性は、眠りこけている幼子の方に近づく。
「俺の邪魔をしやがって。こいつを作るために結婚してやったが、全く最後までいけ好かない女だったな」
聞き取れないほど小さな声で何かを口ずさむ男性。はあとため息を吐いてから、男性は幼子の額にそっと指を置いた。
「やっとだ……。やっと完成する。俺の最高傑作が、世界の希望が!」
男性がそう言い放った途端、あたり一面を真っ黒な光が覆った。文字通り黒い光だ。
同時に突風が巻き起こり、幼子が乗っていたゆりかごが激しく揺れる。
黒い霧がその額へと吸い込まれ、消えていく。
あたりの霧が一通り幼子の体へと吸い込まれたことを見て、男はそっと額から手を離し、満足そうな笑みを浮かべた。
男性は、ポケットからスマホを取り出し、いじり始めた。
またもやぶつくさ何かを呟いている。
何をしているのかは見えなかったが、黒い画面をずっと触っているように見えた。
「ククッ、将来が楽しみだ」
男性はそう言い残して部屋を出ていった。
ガチャッ。
扉が開く音で、俺は目を覚ます。
……ここはどこだ?
俺は辺りを見渡す。
「おい、ユリ……?ユリ‼」
その男は、床に転がっている女を見て、顔を青ざめた。
何度も何度も体を揺らしては声をかけ、返ってくるはずのない返事をずっと待っていた。
「おい!返事しろ!返事しろよ……ユリ」
段々と男の顔から生気が失われていくのが見てとれた。
目は真っ黒に染まり、先ほどまで冷や汗を浮かべ、取り乱していた顔とは思えないほど、冷静な顔に変貌していた。
心から絶望した人間は、一周回って冷静さを取り戻すようだ。知らなかった。
ところがどっこい、男はまた冷や汗を額に浮かばせ、目が血走るほどの憤怒の表情を浮かべた。目の周りには細い血管が浮かびあがり、今にも血の涙を流しそうだ。
「あ、アア……アアアアアアアアアアアアアアアアアア‼」
男は咆哮する。よっぽどその女の死亡がショックだったのだろう。言葉にならない声を上げる。
「あ、ライン……お前は生きてたのか……」
ライン……とは俺のことだろうか。今になってようやく俺の存在を思い出したらしい。
男は俺に優しい目を向ける。血圧が上がり白目は真っ赤に充血。黒目は光を失っている。
男は俺の手を握る。……痛い。
「なんでお前は生きているんだろうな……はは」
強く握りすぎだ。俺の手が段々と白くなる。手に血が回らない。
男は俺の右手に視線を移動させる。
「おい、なんだこれ。生まれたときは『腕章』なんて無かったはずじゃ……」
ドタンッ!
急に部屋の扉が開き、三人の若い男と一人の老人が入ってきた。
若い男たちは全員同じ、薄橙色のTシャツにだぼっとした短パンを身に着け、筋肉質な肉体が服の隙間から見える。
老人は杖をつき、男の一人に腰を支えられながらのご登場だ。
女が倒れているのを見つけた男二人は駆け寄り、容態を確認している。もっとも、あんな状態で生きているとは到底思えないが。
部屋の様子を確認した老人は、泣き崩れている男に話しかける。
「これはどういう状況じゃ?」
「……知りませんよ。帰ってきたら妻がこんな状態、ラインは生きていましたが、右腕に『腕章』がありました。なぜかは知りませんが。」
男は少しぶっきらぼうに答える。
男の話を聞いた四人は目を見開き、女の容態を確認していた男たちは向き直り、問い詰める。
「おいどういうことだ!生まれたときには無かったはずだろう!」
「まさか報告していなかったわけじゃないだろうな⁉」
二人のうち、若干背の高い方の男が、男の胸倉をつかんだ。
「落ち着けお前ら」
老人は終始落ち着いている様子で、頭に血が上ったらしい男たちを諫める。
老人は意を決したように男に問いかける。
「『腕章』の色と階級は……?」
「……紫。『奴隷』です」
四人の顔が一気に青ざめた。一人は唇を震わせ、一人は何かぶつくさ口ずさみ、一人は座り込んでいる男を恨めしそうに見つめ、老人は、一呼吸置いた後言った。
「殺処分だ」
これ以降の話はいまいち覚えていない。
しかし、後になって知る。泣いていた男が俺の父親で、殺された女は母親で、俺は『魔族』の腕章を持った、いわゆる忌み子として殺されそうになったことを。