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私はまず、吸血鬼について調べることにした。
ここは多種多様な種族が暮らす国だ。その分、様々な種族の研究が進んでおり、資料には事欠かない。そういった資料は図書館にまとめられていて、一般にも開放されているようだった。
その中に吸血鬼についての情報があればと期待して、夜行性の種族のために設けられている夜間開放日を狙って、私はこっそりと家を出た。
吸血鬼は霧の姿になれるため、小さな隙間さえあれば音を立てずに脱出できる。どうやらヴァンは霧の姿にはなれないようで、私がこういった姿で移動できることを知らない様子だった。
見慣れた闇の中で、図書館から漏れる明かりは煌々と辺りを照らしていた。国が運営している施設だからか、ふんだんに照明の魔道具が使われている。月明かりだけでは見えなかった建物の全貌が顕になって、私は感嘆の息を吐いていた。まるで、子供のころに本で見た宮殿のようだった。
恐る恐る近づいて、中へ入る。人は少なく、雑音はほとんどしない。柱やアーチは美しく彫刻され、高い天井を彩る絵画のせいか、静謐な雰囲気が感じられた。
時折、職員らしき人を見かけた。ほんの数人程度だったのは、先程から感じている無数の魔術の気配のおかげだろうと予想がついた。
人が暮らす国に比べて、この国では魔道具が至るところで使用され、その品質も良い。
始めは弱小国だったこの国が強国になったのは、種族間の隔たりを無くして、ひたすらに多くの種族を身のうちに取り入れて来たから。多種多様な種族が集まるということは、それだけ様々な種族の知恵が集まるということで、それらが国の発展に寄与してきたのだ。
……と言うのは、ヴァンが教えてくれたから知っていることだった。
以前、ヴァンが学校で学んだことや過ごした時間を教えて欲しいとお願いしたことを、彼は律儀に守ってくれていた。私が期待していたような同級生との交流はあまり聞けないけれど、この国の常識が足りない私にはこういった情報が助かるのは事実だった。
「……こんな風に本を探すのは、随分と久しぶりね」
夜中にこそこそと書庫に忍び込む必要は、もうない。時折見かける人影は、人間の姿を持たない者ばかりだ。
本は何かの法則を元に並べられているように思えたけれど、なんとなく、端から順に見て行くことにした。
「初めて書庫に足を運んだときみたい……なんだか懐かしいわ」
ふいに、記憶の中の彼女が、蘇った。
懐かしいような、寂しいような、そんな感情が湧き上がる。
『お嬢様はどういったお話を好まれるのですか?』
思い出したのは、立ち並ぶ本棚を前に途方に暮れていた私に、彼女がかけてくれた言葉だった。
確か、自分の好きなものがわからないと答えたはずだ。
『……では、今日は好きなものを探してみましょう。お好きな本がわかれば、お嬢様の代わりに、私も取りに来ることができますから』
記憶の中の彼女が、私に微笑んでいる。
今ならこの質問に答えることができるのにと、残念に思った。
あの時はまだわからなかったけれど、今は魔術の本が一番好きだと感じている。薄暗い部屋の中を彩ることができるからではなく、苦労も多いけれど、外の世界で生きていけるから。
あの時あの本を差し出されなければ、今ここにいることもなかったかもしれない。
懐かしさで、少し胸が痛い。
「……これほど広いと、一人では難しいわね」
小さくため息をついた。途方に暮れても、助けてくれる人はいない。
あの女性が、今どこでなにをしているのか、私にはわからない。
『お嬢様、こちらはいかがでしょうか?』
そう言われた気がして、ゆっくりと振り返る。棚の隅っこに、吸血鬼についての本が、数冊だけ置かれていた。
「……」
驚きで、言葉を失った。
「……不思議な偶然ね」
抜き出した本を、胸に抱える。
少しだけその場で立ち止まって、周囲に視線を巡らせた。相変わらず、誰もいない。
私を置き去りにしたあと、彼女はどういう気持ちで生きていたんだろう。彼女が私へ向ける微笑みが嘘だったとは思えなくて、私は今でも憎めずにいる。
閑散とした閲覧席に本を置いて、私は一番端の席に腰掛けていた。
重ねて置いた本の中から一番上の本を取って、それを机の上で開く。
「あまり期待はしていなかったけど、まさか本当に吸血鬼についての本があるなんて。もっと早くに来れば良かったわ……」
そう呟きながら、本のページを捲っていく。
図書館の静けさは、一人集中するのには丁度良かった。
読み進めていくほどに、どんどんと没頭していく。気がつけば一冊を読み終えていて、私はようやく本から顔を上げた。
「……これは、本当のことなの? ううん、まだ決めつけるには早いわね。他の本も見てみないことには……」
いくつかの事実がわかったけれど、およそ信じがたい内容だった。それが本当のことか知りたくて、私は次の本を手に取った。今度は一から読もうとせずに、必要なページだけを順番に確認していった。
「内容は……あまり変わらないみたいね」
“吸血鬼の真祖は魔術によって作られる。人の身を魔族やエルフのように、魔術に特化するように作り変えようと実験を繰り返した結果、できあがったのが吸血鬼だ”
そう、本に書かれていた。
「私は魔術によって作られた吸血鬼だった……?」
……一体どういうこと?
私の記憶では、物心ついたときにはもう部屋にはカーテンが引かれていた。日の光に弱い体質は、吸血鬼の特性と一致する。なら、そのころから私は吸血鬼だったのだろう。
一番怪しいのは、私の父。
あの人も魔術師なのだから、私を吸血鬼にすることは可能かもしれない。書庫にはそれらしき本はなかったけれど、大切な研究資料を使用人も入れるような書庫に置いたりはしないだろう。
「……気にしても、しょうがないわね」
鬱屈した感情を振り払うように、私は小さく首を振った。
私があの地下室から逃げ出して、もう何年も経っている。今更思い返したところで、仕方がない。
「……それよりも、もっと重要なこともわかったのだから、そちらに集中するべきだわ」
本には、こうも書かれていた。
“眷属である吸血鬼が生存するにあたって、真祖、あるいは人間の血液の摂取は必須となるが、両者には大きな効能の違いがある。眷属である吸血鬼が真祖の血液で生存する場合、人間の血液ほどの量を必要とせず、それに加えて、一度の摂取でおよそ二十年に渡って生存し続けることが可能である。その際、血液を定期的に摂取し続けることにより、眷属は人間の寿命を越えて生存し続ける”
「……私の血を飲めば、ヴァンはしばらくは生きていられる。定期的にこの国へ帰ってきて、彼に血を与えればいい」
ヴァンを私という重荷から解放することができるとわかって、ホッとした。
私と旅を始める前は、彼だってやりたいことや人生への展望があったはずだ。今のようにずっと一緒に暮らしていると、どれだけ言い含めても、ヴァンは私を優先してしまうだろう。なら、私からいなくなるしかない。
少し頭を休ませたくて、ふぅ、と息を吐きながら、私は椅子に寄りかかった。
「……大昔には、この国にも吸血鬼がいたのね……」
人間によって作られ逃げ出してきた吸血鬼が、この国に逃げ込んだのかもしれない。どの資料もかなり古く、年代を感じさせた。
資料の少なさと古さから察するに、今はもう一人も残っていないのかもしれない。
いくら吸血鬼が不老不死でも、長い年月を生き続けていれば、いつかは精神が摩耗してしまう。元より長命な種族と違って、私やヴァンの元になったのは人間だから、いつかは終わりを迎えるはずだ。
「国に吸血鬼だと申告をしてもいいのかしら……? ううん、前は吸血鬼も受け入れていたのかもしれないけど、今もそうだと思うのは危険だわ。私の血があれば、誰でも吸血鬼になって長く生き続けることができてしまう。……やっぱり、私はこの国にいるべきではないかもしれないわね」
吸血鬼の情報が国にあるということは、私の正体が露見する可能性もあるということ。
私の体質をどのように利用されるか、あるいは危険分子として処分されるか。どんな未来が待ち受けているのか、想像もつかない。
「私はこの国にいるのは難しいけれど……ヴァンだけなら、大丈夫。瞳の色も隠しているし、私と違って明るい時間にも外に出ることもできるし、傍から見たらただのエルフにしか見えないもの」
ようやく見つけた安住の地を、ヴァンは失わなくて済む。
いつ頃、この国を離れよう。
あれこれと考えながら、私は光に包まれる美しき宮殿を後にした。
後日、あの輝きが忘れられなくて、夜間開放日を待てずに、暗闇に紛れて図書館にやってきた。
あの日見た美しい光景は闇に溶けて消えてしまった。まるで私だけが違う世界を見ているようで、胸がチクリと痛んだ。
*
ヴァンが学校を卒業した後、彼は王城に出仕が決まった。
士官候補生として軍部に配属になると言う。それが誇らしくて、嬉しかった。
余所者であったというネックはあれど、ヴァンは成績優秀で努力家な生徒だったらしい。
吸血鬼となった彼にも魔術の適性があるけれど、素質だけでは厳しい選抜に勝ち抜けるとは思えない。生まれたときから人の国で暮らし、その後の人生を私と旅をしていた彼が、この国に馴染むのも大変だっただろうと思う。
ヴァンがこの国で必要とされていることが嬉しい。
もう私があれこれと心配することもない。
あとはもう、彼を自由にするだけだ。
2話を削除して、カミラが追手に追われている描写を削りました。