第16話 安納の過去
「まさか……安納さん……?」
「うん、そうだよ。」
驚愕している晶に、人形が首を振って答える。
「どうしてこうなったか。薄々、気付いてるかもしれないけど……、晶ちゃんが思い出せないトラウマって、きっと、
私が事故に遭って、死んでしまった事だと思うんだ。」
安納の声が、酷く遠くから聞こえたように感じた。辺りが一瞬、無音に包まれる。
表情が変わらないはずの人形が、安納の面影に重なって、泣きながら笑っている。そんな幻覚を、晶は見た。
遡る事、12年前。肌寒い、ある日の冬の出来事。
「どうしてムシするの?
サラはここにいるのに! 」
道路の真ん中で小さな少女は悲痛な叫び声を上げた。
「もう、アキラちゃんなんてしらない!」
こちらを一向に見ようともしない友の背に言い放って、少女は泣きながら走りだす。
どこからかサイレンの音が鳴っていた。
少し落ち着いて周りを見ると、いつのまにか見慣れない場所に迷い込んでしまっていた。
「ここ、どこ……?」
不安で押しつぶされそうになり、再び視界が涙で滲み出す。涙が溢れそうになるのを必死に堪えながらひたすら歩いていると、誰かが道すがら声を掛けてきた。
「嬢ちゃん、迷子かな? 行くあてが無いようならあたしの店に来なよ。」
「……サラはまいごじゃないもん。」
「じゃあどうして泣いてるのか教えてくれるかい?」
「泣いてない!」
馴れ馴れしいお婆さんに、紗良は警戒心と反発心をあらわにする。お婆さんは朗らかに笑った。
「そうかい、泣いてないのかい。すまないねぇ、あたしの勘違いだったよ。」
「……うん。」
「……うーん、そうだねぇ。それなら、お菓子はどうだい?あたしのお店にたぁんとあるよ。」
「……! おかし!」
お菓子で食いつく子供に、お婆さんは苦笑した。
「知らない人にはついて行ったら駄目だと教わらなかったのかねぇ。まぁ、あたしにとっちゃ、好都合さ。」
お婆さんは紗良を自身の店へと連れ帰り、約束通りお菓子を与えて落ち着かせた。
「どうしたらおうちにかえれるの?」
「ここから帰るにはあんたの悩みを解決しなきゃいけないんだ。悩みを持ったままだとこの商店街をずうっと彷徨うことになるよ。」
「どうして?」
「さぁね……あたしもどうしてかは分からないけどさ。このつばき通りは迷い込んだ人を助ける為に作られた商店街だと思うんだよ。
だから悩みを持ったままで帰す事が出来ない優しさを、ここにいるみんな持っているのさ。」
「ふーん?」
紗良は足をぶらぶらさせながら相槌を打った。
「さぁ、紗良ちゃんが持ってる悩みを話してごらん。」
「なやみ?」
「そうさ。なにか困ってる事はないかい?」
そうして話を聞いたお婆さんは眉を下げて、しょんぼりとしている紗良の頭を優しく撫でた。
「そうかい、無視されちゃったのか。それは悲しいよなぁ。」
「サラのことがきらいになったのかな……」
「いいや。安心しな。そんな事は絶対にないよ。みんな紗良ちゃんが大好きだから泣いているんだよ。」
「じゃあ、どうして?」
「それはね。良ぉく、お聞き。
あんたはね。今、幽霊なんだよ。」
紗良は驚いて声を上げた。
「ゆうれい? サラがぁ?!」
「ああ、だからみんなには見えないんだ。」
「でもおばあちゃんにはみえてるよ。」
「それは、あたしも人間じゃないからね。」
お婆さんは前屈みになって頭の上をよく見せた。そして「ほら。」と指差した場所を見ると、小さな黒いツノが三つ、ちょこんと生えていた。
「辛いとは思うが、気付かないままだと天国にだって行けやしないからね。
……あんたは、死んでしまったんだ。」
興味津々にツノを見ていた紗良は、その言葉に我に返る。
「……死んじゃった? サラ、死んじゃったの? みんなともう会えないの?
……っうぇ…ぐす…。う、ぅう……うわーん!!」
止まっていた涙が再び溢れ、ついにボタボタとこぼれ落ちて地面を濡らした。
「どうしても……どうしてもまた会いたいなら、ここに住むのが一番だ。人間が迷い込んでくることがあるから、きっとその友達もいつか迷い込んでくるだろうよ。」
「……ほんと?」
「ああ、本当さ。ただ、困ったねぇ。幽霊のままだと友達にあんたの姿が見えないままだ。」
「どうしたらいい?」
「うーん。そうだねぇ……。」
何かないかと考えるお婆さんの目に止まったのは、壁にかかった組紐だった。
お婆さんは組紐を手に取って、紗良に笑いかけた。
「これを使ってみようか。」
「そうして、あたしの魂を特別な組紐で依代となるものに繋ぐことにしたんだ。」
人形は、ふわふわと浮かぶシャボン玉を見つめながら、一旦話を区切った。
晶はぼんやりと何かを考えながら、地面に目を落とす。
「でもなかなかあたしの魂が馴染む依代が無くて、何度も替えていたのさ。それで、たまたま晶ちゃんが作った人形が一番馴染んで、そのまま定着しちまったんだ。アキラちゃんが大事にしてたものなのに、勝手に依代にしてごめんな……。」
どんよりとした空気を漂わせて、小さくうずくまる人形に、晶はゆっくりと話しかけた。
「……それは多分、無意識のうちにあなたを思い浮かべて作ったと思う。今の話を聞いてそう思ったんだ。」
晶は先程とは打って変わって、晴れやかな表情をしていた。
「だから、それはサラちゃんへのプレゼントだよ。そんな顔しないで、喜んで欲しいな。」
そう言って、にっこりと笑う。晶は思い出していた。目の前の人形が、大切な友達だった事を。
人形の翡翠色の目に涙が滲んだ。それを腕で拭ってからブーツを履き、その途端に人形の身体が元の姿に戻る。
安納は鼻をすすって泣きながらも顔を緩ませた。
「ありがとう。アキラちゃん、ありがとうな。」
二人はどちらからともなく抱きしめ合い、そして笑い合った。