明くる朝
「あの者は一体何者でしょう。服装などはここらでは見ないものでしたし……」
「……あの格好では、この街では目立ちすぎます。どこかの国のスパイ、という可能性は低いでしょうね。」
「では旅人という事ですか?」
「そうですね。所持していた物はごく普通の物ばかりでしたし。ただ気になるのは、護身用の武器を一切勿体無かった点です。地方の農民であっても、町などの遠方へ向かう際はナイフなどを持つのは常識です。」
「武器を持っていなければ冒険者ではない事になりますし……盗賊に襲われて、奪われたという可能性は?」
「それでは金銭が奪われていないのが不自然です。」
「なるほど……」
円形のテーブルを挟んで二人の男女が真剣な表情を向かい合わせ、立っている。
質問を多くしているのは男の方で、大柄な体格に節々から覗く盛り上がった筋肉は普段の鍛錬のたまものと思われる。銀色を主調とし胸元に国旗が彫られた鎧を纏い、背には大剣を担いだその男はガスタ連合国駆逐隊副隊長、リカード・ベルモントだ。
その向かいにいる女性も騎士の格好はしているが、リカードと違い白色を主調とした鎧だった。両腰には短剣を一本ずつ提げている。顔立ちはとても美しく、街を歩けば通りがかりの男はもちろん、女ですら振り返ってしまうだろう。彼女はリカードと同じ隊、駆逐隊隊長、ミーナ・アーモンド・カタストロフ。年はまだ一八程度だろうが、隊長の座についているのには訳がある。
「隊長、彼が目を覚ましました!」
ノックする音が聞こえ、一人の隊員が部屋へ入ってきて要件を伝える。
「様子は?」
「それが……訳の分からないことを言っているんです。『こいつが見えないのか?』『お前はいったい何なんだ!』などと誰もいない場所に向かって言っていて……」
「混乱しているのかもしれませんね……私が行きましょう。リカード、付いてきなさい。」
少し前から目は覚めていたが、体が頭に追いつかずしばらく目のみで当たりの様子を見まわしていた。
全身には倦怠感があるが、生命の危機は感じない。寒気、吐き気、頭痛などもなくただだるいだけだった。眼を動かして見える範囲には、ライトが備え付けられていない天井や外から光が差し込む窓があった。
だんだんと首回りが動くようになり、横を向くとそこには森で見つけた猫のような生物だった。
「目が覚められましたか。」
喋った。
猫が人の言葉を。
そして、宙に浮いている。
「そう身構えるのも分かります。あなたを殺しかけたのは事実なのですから……ただ、なんの危害も加えるつもりはありませんので安心してください。」
体は動かないが目を細めたのでそのように言ったのだろうが、殺しかけられたことに対してではなく人の言葉を話していること、そして宙に浮いていることに対してであった。夢や幻聴の可能性、以前幽霊を見た時のように幽体離脱をし天界にいる可能性、などを考える。
「えーっと……君は誰?」
「はい、私はヘクトルと申します。あなた様には命を助けて頂き……」
「おい起きたか!」
ヨハンを挟んでヘクトルの反対側には一人の騎士がいた。
肌は褐色ですらっとした好青年だ。
どうやら、ヨハンが声を発したことに気づき、目が覚めたと思って声をかけてきたようだ。
「グレックだ。体の具合はどうだ?」
「あ、えっと……全身に倦怠感があるだけで他は問題ないです。ヘクトルは?」
「はい、私も特に……」
「ヘクトル?誰のことを言ってるんだ?誰もいないだろ。」
「いや、ここに……」
そう言って宙に浮くヘクトルのことを指さすが、グレックは眉を細めるだけだった。
まるで何も見えていないかのように。
「まぁいい、ちょっと席を外すぞ。」
「なぁ、お前って何者なんだ?」
部屋から出ていくグレックが横目でこちらを見た気がするが、今はヘクトルに尋ねることが重要だと考え、ヨハンは問う。
「私はこの世界では『精霊』と呼ばれています。」
「精霊?」
「はい。人間たちに知覚されることはありません。彼の反応も当然のものだと考えられます。」
「……誰にも見つからないから、森で死にかけていたのか。」
「お恥ずかしい限りです……あの時あなた様が助けて下さらなかったら、今頃消滅していたでしょう。本当にありがとうございました。」
「いや、構わないよ。というか俺は君に触れただけなんだけど……」
「はい。触れて下さったとき……生命力を供給していただいたのです。」
(なるほど。それで俺は死にかけたのか)
「私たちは精霊は神々の世界、神界という場所で生まれます。その後通常であれば、天界にとどまるか各世界で暮らすかを選ぶのです。」
「へぇ、あそこで生まれたのか。」
「神界をご存じなので?」
ヘクトルは目を見開く。
「あぁ、以前というかつい最近行ったんだよ。」
「左様でしたか。神界のことすら存じているとは、流石あなた様ですね。」
「……その様付けはやめないか?」
「私としては助けられた身なのでそうおっしゃるのであれば構いませんが……では何とお呼びすれば?」
「そうだな……」
「入りますよ。」
突然、扉の向こう側から女の声がしたと思うと、三人の騎士が入ってきた。
一人は先ほどまでいた騎士グレック。残りの二人のうち一人は大柄な男騎士。もう一人は可愛い顔立ちの女騎士だった。残りの二人はグレックが連れてきたことから、おそらく彼の上司だろう、そうヨハンは考える。
「私はガスタ連合国駆逐隊隊長の、ミーナ・アーモンド・カタストロフ。ミーナで構いません。こちらが副隊長のリカード、それからグレックです。混乱していると聞いたけれどもう落ち着いたみたいね。えっとそれじゃあ名前となぜあの場所で倒れていたのか教えてくれるかしら?」
尋ねてくるのは女騎士。年はヨハンと同じくらいではあるが、既に騎士としての生活に慣れている様子である。だが、ヨハンは今別のことを考えていた。
「なぁ、お前のことは言ってもいいのか?」
女騎士たちに返答せず、先にヘクトルに尋ねる。
精霊の存在が普通の人間には見えないということに何かしらの理由があるのではないかと考えたからである。
「あなた様の意思に従います。」
「なんだそりゃ……」
どっちでもいいというような反応に思わず笑ってしまう。そんな中、周りの騎士たちにはヨハンが一人で空中に向かって話す様はとても奇妙な光景に見えた。
「……ごめんなさい、まだ少し混乱しているようなら……」
「いえ、もう大丈夫ですよ。話はつきましたから。」
「そう?」
「えっとまずは名前からですね。ヨハン・ブレイヴといいます。それから、多分見えないんだと思いますが、こいつが精霊のヘクトル。倒れていたのは、森で死にかけていたヘクトルを見つけた際、生命力を吸われて……」
「せ、精霊!?」
騎士たちの雰囲気が変わる。互いに目を合わせ、はじめに言葉を発したのはリカード副隊長だった。
「嘘ですよ、隊長!やはりこいつはどこかのスパイですよ!精霊使いなんて、殲滅隊のルードヴィヒ隊長以外聞いたことありません。第一、こいつからは魔力を一切感じませんし。」
「えぇ、確かに精霊使いであれば魔力はけた違いのものとなるはずです。しかし、精霊が生命力を吸うというのはルードヴィヒさんから聞いたことがあります。この事実は公でないので信頼に値するものだとは思いますが……にわかに信じがたいですね。」
精霊について話してしまったのはまずかった、とヨハンは思った。「へー、珍しいね。」くらいで収まる問題ではなかったことに後悔しながらも、ふとヘクトルを見る。
どうすべきかのアイデアを求めたかったのが本心だが、視線の先には騎士たちをにらみつける精霊の姿があった。
「ヨハン様のことを嘘つき呼ばわりだと……身の程を知れ。ヨハン様、私をあなた様の従僕にしていただけませんか?この人間たちに、あなた様が嘘をついていないことを証明して差し上げます。」
「それは助かるけど、従僕ってのはあまり好きじゃないな。普通に友人ってのじゃだめ?」
「なんとお優しいお心遣い。もちろん、ヨハン様のご意志のまま。」
「で、俺は何をすればいい?」
答えはあまりにも突飛なもので、ヨハンは思わず顔を引きつってしまった。だがヘクトルが言うなら問題ないだろうと思い、騎士たちに伝える。
「精霊が見えるというのを証明する方法があるんですけど……」
次の一言にその場にいた騎士たち全員が固まった。
「俺と勝負しませんか?」