揺らぎ3
ヨハンがミーナの代わりに戦うことにした理由は特段何もない。
状況的に、自分かミーナのどちらかが力を振るわなければならないだろうし、ならば四人を救うために既に力の一端を見せているヨハンが戦う方が全体としての損は少ないと思ったからにすぎない。
ヨハン自身、精霊使いである事がバレてももういいかと思っていた頃合いだったので、心に引っかかることも無く力を振るうことにした。
(ヨハン様申し訳ございません!感知を任されていたにもかかわらず、それに十分に応えることが……)
(あまり気にするな、ヘクトル。恐らく、お前の感知が効かない相手だったんだろう。それより、前に伝えていた魔法をやるぞ。力を貸してくれ。)
(喜んで!)
五竜から放たれる〈改地轟魔弾〉が迫るのを前に、ヨハンは一つの魔法を唱える。
ヨハンが以前から用いる魔法に〈負の衝撃〉がある。
自身から遠ざかる方向にベクトルが強制されるという非常に強力な魔法だが、一つ弱点があることに以前ヨハンは気づいた。
それは、対象の質量が大きければ、対象物を遠ざけるのではなく、自身が対象物から遠ざかるように吹き飛ぶことだ。もちろん、地面に対して打つことにより高く跳ぶことができるが、相手がモンスターである場合は困る。
そこで、ヨハンがヘクトルに意見し作り出した魔法。
「〈黒壁〉」
突如としてヨハンの前に厚く黒い魔法の壁が作り出された。
それは辺りに生える木々よりも高く、そして異様なまでの魔力を発していた。
〈黒壁〉は〈負の衝撃〉における対象物を吹き飛ばす能力を全て捨てた代わりに、圧倒的な防御力を有する魔法だ。音そして光りすら通さぬ漆黒の壁がそこにあった。
壁は〈改地轟魔弾〉とすぐさま衝突し、あたりに轟音を響かせた。
「なんとか……なったな。」
辺りを見回すと、木々は灰と化し〈改地轟魔弾〉の威力の大きさを物語っている。エマやベアトリーチェが話していた村を地図上から消す魔法は、今の魔法だろうとヨハンは予想した。
だが、〈黒壁〉によって守られたヨハンたちの周りは埃が待っている程度しか被害と呼べるものはない。
「ヨハン……貴方って一体何ですの……?」
ベアトリーチェが、吹き飛ばされた衝撃によって気を失っているエマを抱えながら呟くように問う。
「ん?……あぁ、面倒臭いことになるのが嫌で言ってなかったが……」
五竜が再び〈改地轟魔弾〉を放ってくるのがヨハンの視界に入る。
「俺は精霊使いだ。」
先ほどと同じように〈黒壁〉を使用し、破壊の咆哮からパーティーメンバーを守る。
辺りに衝撃が走り、ヨハンの足元に罅が入る。
(あぁ、知能はあるのか)
先程の一撃で死なないヨハンに対して、二度目の〈改地轟魔弾〉はヨハンの足元の地面を壊すように撃ってきている。体勢を崩すことが目的か、あるいは地中へ落とすことが目的か……
(どちらにせよ、次の攻撃が来る前に終わらせたほうがいいな)
「ミーナ、ベアトリーチェ、悪いが倒れてる二人を連れて離れてろ。少しデカいのやるから、巻き込まれるなよ。」
呆気にとられていたベアトリーチェだが、ミーナが移動を始めたことで、すぐに彼女もその場から移動を始めた。
彼女らの移動の時間を稼ぐため、そして彼女たちと距離を取るため、ヨハンは地面が完全に割れる前に〈負の衝撃〉を地面へと放ち、地表すれすれを飛び、五竜に接近する。
遠くから見た時も大きいとは思ったが、五竜が浮いている下まで来るとその大きさに圧倒されそうになる。
「おい!言葉は分かるか?」
知能があるならと思い、竜に向かって問いかける。
人の言葉が分かるなら、襲ってきた理由などを聞くことができ、対話による解決をする事も策の一つに入ってくる。
「グァァァァ!!」
(一応聞くが、ヘクトル。あいつの言葉は分かるか?)
(申し訳ございません。存じ上げません。)
(だろうな。こいつは知能があるというより、相手を殺すことだけを考えているらしい。)
(如何なさいますか?)
(今の俺に扱うことのできる最大限のエッセンスを頼めるか?)
(畏まりました。)
こちらの世界に来たばかりの時は、魔法に慣れていなかったので、ヘクトルが加減してエッセンスを供給していた。だが、最近は段々と慣れてきたので、もう少し流し込まれるエッセンスの量を増やしてみては、と思ったのだ。
「さっきの〈黒壁〉とは一味違う魔法を見せてやる。」
(まぁ、やったことは無いからどのくらいの威力になるかは分からないけどな)
思わず笑ってしまう。
それは目の前の脅威に対する自己防衛機能が働いたからでは無い。
一体どのくらいの量のエッセンスがヘクトルから渡されるか楽しむ自分が可笑しかったからだ。
転生してから、今日ほど心が躍る日があるだろうか?
「グァァァァ!!!」
五竜の体は段々と光沢を増していく。それは自身の防御力を最大限に引き出す魔法〈創造神の加護〉。
それは、伝説としてエマたちが伝え聞く、五竜の絶対防御の正体だ。全ての魔法を〈魔法解除〉により打ち消すとともに、あらゆる物理攻撃に対しても衝撃を極限にまで減らす二重の防御魔法だ。
「向こうの準備は整ったようだし、こちらも行くぞ。」
直後、ヨハンは今まで体感したことのない莫大な量のエッセンスに酔いそうになる。
しかし、流石はヘクトルと言うべきか。ヨハンへ渡したのはギリギリの量であったようで、ヨハンは酔うことはなかった。
「〈破への散撃〉」
ヨハンを囲むように何百、何千という数の魔法で作られた銀色に光る矢が現れ、そして一瞬にして消えた。
失敗したのではない。
全ての矢が五竜の喉元一点へと光速で放たれたのだ。
〈創造神の加護〉による〈魔法解除〉の減衰量では、〈破への散撃〉の攻撃を全て打ち消すことはできなかった。なんせ、矢の一本の威力ですら、厚さ百センチの鉄板を貫通するだけの力があるのだから。それが数千本同時に、しかも一箇所に放たれては防御が追いつかなくなるのは当然だ。
「グギャァァァ!!!」
五竜は痛みのあまり、羽を狂ったように振り、爆風を起こしながら上昇する。五竜は今までに体感したことのない激痛という感覚に飲まれていた。
そして、それはヨハンにとって、自身の魔法が効果がある事を確信させるものだった。
「おい、そう慌てるなよ。まだ魔法は終わって無いんだが?」
〈破への散撃〉は矢による攻撃魔法にとどまらない。放たれた矢全てにヨハンとの魔力的なつながりを維持させることが出来、いつでも打ち込んだ矢に影響を与えることが出来ることを意味する。
「今のは楔だ。死にはしないはずだ。だが……こいつは……」
ヨハンの体から放った矢と結ぶように白い光の線が現れる。
魔力的なつながりを通り、五竜の首元へ莫大な量の魔力が集まる。
そしてそれは次第に膨れ上がり、五竜の肉体を内部から膨張させ始めた。
「砕けろ……〈連続魔法・内矢の撃粋〉!」
エマはベアトリーチェに背負われている途中で意識を取り戻した。
朦朧とする意識の中、後ろを振り返るとそこには強大なる竜が破裂し、轟音と共に全方位にその体の破片が飛び散るのが見えた。
(一体……何が?)
理解することが出来ない。
今一体何が起こっているのか。
それは薄れた意識のエマだけではない。
爆音が響いた瞬間、ミーナとベアトリーチェの二人も首だけ動かし後ろの様子を窺ったのだ。そして目の前の光景に混乱した。
決して相手をしてはいけないという五竜の一体が倒されたと気付いたからだ。
「ミーナ!!」
いつの間にか目を覚ましていた、ミーナに背負われているアリアが叫ぶ。
ふと気づいたときには、竜の破片がミーナたちに向かって飛んできていたのだ。
(やばっ!!)
だがその破片が彼女たちに到達することはない。
以前、エマに襲い掛かったリザードマンの動きが止まった時の様に、肉片が宙に浮いたままだった。
そして、声が掛けられる。
「悪い。調節できなかった……」
焦った。
今のはかなり焦った。
五竜がどの程度の力で倒せるかわからない以上、ヨハンは本気で行こうと考えていた。手加減すればこちらが死ぬ可能性がある以上、力を出すことを惜しまなかったのだ。
(にしても、威力デカすぎだろ……)
ヨハンの当初の予定では、〈内矢の撃粋〉によって五竜の体の一部を吹き飛ばす、というものだった。伝説になっているくらいであるし、あんなあっけなく終わるとは思っていなかったのだ。もしものために、ミーナたちには離れるよう言っておいたが、それは自分でも使ったことのない魔法を見られるのが嫌だったからで、まさか非難する必要が本当にあるとは思っていないかった。
(いや、完全に避難は出来てなかったんだが……)
破片が予想以上に勢いよく飛び散ったので、慌てて〈負の衝撃〉によって地表すれすれを飛びミーナたちの元まで駆け付け、〈闇の呪縛〉で飛んでくる破片の動きを止めたのだ。
(どうかなさいましたか、ヨハン様?)
(……一応聞くが、お前から見てさっきの竜はどのくらいの強さだ?)
(そうですね……あの竜数体に囲まれれば少々面倒ですが、なんとかなる……そういうレベルの強さでしょうか。)
(……一体だと?)
(ヨハン様の足元にも及びません)
「はぁ……」
思わずため息が出る。ヘクトルの力はヨハンの想像をはるかに超えるものだった。圧倒的なエッセンス量を保有し、それをヨハンが扱える最適量にして渡す。一瞬のうちにそれを為すのだから、精霊というのはかなりぶっ飛んだ存在のようだ。
五竜の破片がすべて地に落ちる頃、ヨハンの体に異常が起こった。
(!?)
ふとヨハンの意識が遠のく。両の足で体を支えることが出来なくなり、膝がすっと折れ、上半身が前に向かってゆっくりと倒れる。
普段は使わない大量のエッセンスを用いたことにより、ヨハンの体は疲労していたのだ。ヨハンとヘクトル、二人の生命エネルギーの内どちらかが瀕死の状態になったというのではなく、人間であるヨハンの肉体が追い付かなくなったのだ。
(あぁ、慣れないことをしたせいで体が……)
だが彼の体が地面にぶつかることはなかった。それは倒れる直前にミーナがヨハンの体を支えたからだ。
それに確認したからかはわからないが、ヨハンは安心したように静かに眠りについた。