18話『あなたが良き生涯を送れますように』
* * *
「じゃあ、二つ目の願いを聞こうかしら」
女神様に答える前に、私は頭の中を整理して、一呼吸置いてから話しました。
「二つ目の願いは、私に与えてくれた人の体の寿命を延ばしてほしいのです。あの人と同じ時間を過ごせるくらいに!」
「そ、それは許容外だから無理……って、あなたもしかして……」
「はい、なら許容してもらえるように条件を付けるのです! もし私が人の体を得た時には、私の自分に関する記憶を全て消してくれて構いません。その上であの人が、私の正体を見つけることが出来たのなら、寿命を上乗せしてください」
「ちょっと待って! 記憶を消したら、あなたが彼を好きだと言う気持ちも忘れてしまうのよ!? 下手をしたら、自分を見つけるどころか、出会ったその日に彼の元を去ることになるかもしれないわ」
女神様の言うことはもっともなのです。けれど……
「構わないのです! たとえ記憶が消されようとも、私があの人を好きだという気持ちは魂に刻まれています。絶対に目的を見失ったりはしません! それに、たった僅かな時間の触れ合いで満足するほど、私の気持ちは軽くない!……のです」
再び女神様は唖然としています。
確かにかなり大きな賭けだとは思いますが、それでも女神様の人間だった時の話を聞いた時、自分も大きな奇跡を起こしてやろうって思えたんです。その奇跡で幸せを掴み取りたいと……
「さぁ! この願いは許容できますか!?」
「許容……できるわ。では二つ目の願いは『あなたに与えた人の体の寿命を彼の寿命とほぼ同じにすること。ただし、あなたの自分に関する記憶を消して、その上で彼があなたの正体を見極めることが条件』。これでいいわね?」
「はい」
さて、ここまでは許容してくれました。だけど、問題は次なのです……
「では、三つ目の願いを聞こうかしら。もう何を言われても驚かないわよ!」
「……はい。三つ目の願いは――」
* * *
あれは確か子供の頃、いっちゃんと一緒に四つ葉のクローバーを探していた日だった。
公園やら、植え込みやら、俺達はあちこちを探し回ったのだけれど、結局四つ葉のクローバーは見つからなくて、その日は結局諦めたんだ。
そしてその帰り道。家の近くで一輪の花を見つけた。
アスファルトの隙間に出来た、ちょっとした土がある部分。
長さは5センチくらいで、真っ白な花の根元には三つ葉のクローバーが見えているが、花と一緒に踏み倒されていた。
――シロツメクサ。
当時の俺はその花の名前なんて知らなかった訳だが、人に踏まれたであろうその花を見た時に、なんだか放っておけない気持ちになった。
家に戻った俺は小さなシャベルを持ち出すと、急いでそのシロツメクサの元へ戻り、できるだけ丁寧に根っこまで掘り起こした。
腕に抱きかかえて、自分の家の庭まで走ったのを覚えている。
家の庭には両親が野菜を植えていて、俺はそんな傍らにシロツメクサを植えてやった。
四つ葉のクローバーじゃなかったけれど、たった一輪でしおれている姿はとても寂し気で、来年辺りは四つ葉をつけて、家族が幸せになるかもしれないなんて思ったりもしたっけ……
・
・
・
「あのシロツメクサ……」
俺は再度思い出した。最近で思い出したのは、両親が室内用の花を送ってくれた日。あの日、その花を見て、一瞬昔のことを思い出して懐かしい気分になったりもしたのだが、すぐに記憶からは消えてしまっていた。
俺の記憶で助けたことのある唯一の花。
そして、花は好きだと言って見つめていた忍の反応。
もう、忍の正体がシロツメクサである以外に考えられなかった。
俺は勢いよく立ち上がると、家に向かって全力で走った。
このことをできるだけ早く、忍に伝えたかったのだ。
家に着いた俺は、庭を見渡す。もう何年も手入れなんてしていない、荒れ果てたその片隅に、シロツメクサは咲いていた。
だが、普段は真っ白なその花は茶色く変色して、力なく下を向いていた……
十月に入った今の季節、もやはシロツメクサの姿は見かけない。だが、この庭に咲く一輪のシロツメクサはまるで何かを待っていたかのように、一日でも長く、一時間でも長く咲こうとしているように見えた。
「これがお前の正体なんだろ!? 忍!」
予想は確信へと変わり、俺は家の中へと駆け込み忍の部屋に転がり込んだ。
「忍! 見つけたぞ、お前の……」
正体、と言いかけた俺は、言葉を失った。
ベッドに忍の姿はなかった……
まるでそこに寝ていた忍がフッと消えてしまったかのように、布団の膨らみはそのままで、忍がパジャマの代わりに着ていたダボダボのTシャツが中央に沈んでいた。
「嘘だろ……」
一瞬、呼吸さえも忘れて何もかもが真っ白になるような喪失感に襲われる。
だが俺は、そんな気持ちを振り払い、再び庭へ向かって走り出した!
庭に常設されている蛇口を捻り、水を出すとそれを両手で溜め込み、枯れているシロツメクサの根元にバシャリとかけた。
「忍なんだろ!? 見つけたぞ! お前の正体!」
もう一度水をすくい、今度は全体に浴びせるようにかけてやる。
「なぁ! なんとか言えよ! これで何かが変わるんだろ!? なぁ忍……」
しかし何も起こらない。俺はガクリと膝を付いた。
「嘘だろ……間に合わなかったって言うのかよ……」
俺の体を絶望感が襲い、力が抜けていく。
萎れたシロツメクサの手前に両手を付き、ガックリとうな垂れると、自然と涙が浮かんできた。
いっちゃんは言っていた。どんなにつらい結末になったとしても、後悔はするなと……だけど……
「これを後悔するなって、無理な話だろ……」
こいつはずっと待っていたんだ。こんな寒くなる季節まで、ずっと俺が来てくれると頑張って咲き続けていた。なのに俺が遅れたせいで……俺が鈍くてバカなせいで、結局は枯らしてしまった……
その後悔と悔しさで、涙は止めどなく流れていく。
「ちくしょう! ちくしょうっ!!」
何度も同じ言葉を繰り返し、俺は泣き叫んだ……
* * *
「では、三つ目の願いを聞こうかしら。もう何を言われても驚かないわよ!」
正直なところ、三つ目の願いはまだ完全には考えていないのです。
「……はい。三つ目の願いは……もしあの人が私の寿命が尽きた後で本体を見つけた場合でも、同じように寿命を上乗せしてほしいのです」
「それは許容できるはずないけれど。まぁ、あなたのことだから、また何か条件をつけるのかしら?」
「はい、えっと、そうですね……あの人が私のことを心から求めることを条件にします!」
「……駄目ね。条件が弱すぎるわ。それでは許容できない」
私の直感だと、多分二つ目の願いよりも、この三つ目の願いの方が重要な気がするのですが……
「なら、あの人が涙を流すことも条件に追加します! 泣いて私を求めることで――」
「駄目ね。許容するにはまだ弱いわ……」
……なら他に何を条件にしたらいいのでしょう。何か考えないと……
「条件……えっと……許容してもらうためには……」
考えてもこれ以上は浮かんできません。
諦めるしか……ないみたいです……
「ふぅ、わかったわ。許容してあげる」
「え!?」
信じられない言葉が聞こえてきました。私は耳を疑います。
「仕方ないから許容してあげるわよ。ま、一つ目と二つ目の条件がかなり重たいものだから、三つの願い全体で考えたら、十分許容できるレベルだしね」
「ほ、本当なのですか!? ありがとうございます、女神様」
やれやれといった困り顔の女神様に、私は何度も頭を下げました。
「だけど、一つ目の願いで出した『彼があなたのことを思い出すこと』と言う条件が満たされなければ、結局何も始まらないんだからね。喜ぶのは早いわよ」
「いえ!」
私は首を振って、後ろを振り向きます。
雲の上にいるかのような、モクモクとしたモヤが吹き飛んで、遠くに小さな人影が現れました。
「この賭け、私の勝ちなのです!!」
その人影は私のご主人様。私の本体であるシロツメクサの前で泣き崩れていました。
それを見て女神様は、ほんの僅か言葉を無くしていましたが、フッと笑みを浮かべます。
「……そう。あなたは自分の幸せを掴み取ったのね」
「はい! だから女神様、私をあの人の元へ帰してください!」
私が真剣な目で見つめると、女神様はまるで別れを告げるかのように小さく手を振りました。
「わかったわ。『あなたが良き生涯を送れますように……』」
そう言われた瞬間に、私の意識は遠のいでいきました……
* * *
突然目の前が光り出した。
何が起きたのかはわからない。わからないが、俺はその光に僅かな奇跡を期待していた。
理由なんかなんでもいい。とにかく忍に戻ってきてほしかった。
光は次第に人の形を成していき、その人の形は忍へと変わっていく。
俺は咄嗟に抱きかかえて、恐る恐る声をかけた。
「忍!? おい、起きろよ忍!」
すると忍がゆっくりと目を開けた。
「あれ? ご主人様? 私、ベットで寝ていたはずじゃ……? っていうか、もうダメかと思ったんですが……」
まだ少し呆けてはいるが、確かにそれは忍だった。
俺は、そんな忍を強く抱きしめていた。
「忍……頼むから、もうどこにも行かないでくれ……俺を一人にするんじゃねぇよ……」
「ご主人……様……?」
「好きなんだよ、お前のことが……お前がいないと駄目なんだよ! 俺のそばにいてくれよ……」
すると忍は俺の首に腕を回してきた。
忍もまた、俺を抱きしめるように腕を絡め、まるで子供をあやすかのように頭を撫でてくる。
「しょうがない駄主人様ですね。いいですよ。私がずっとそばにいてあげます」
そんな忍の言葉に再び涙が溢れてくる。
だが、何やら忍はモゾモゾと自分の体を気にし始めた。
「んん? なんだかスース―しますね……って、あれ!? 私、なんで裸……」
自分が裸であることに気付いた忍が、ワナワナを震え出した。
「ん? なんか俺の目の前に裸で現れたぞ? よくわからんが」
「イヤアアアアアアアア!!」
ボグゥ!
俺は忍にぶん殴られて、宙に舞い上がった後に地面に叩きつけられた。
「おま! 何しやがる!?」
「それはこっちのセリフですよ! わ、私の裸に抱きつくだなんて……変態駄主人です!」
「知らねぇよ! お前が勝手に裸で出て来たんだろうが!!」
必死に無罪を主張する俺を無視して、忍はイソイソと家の中へと入っていく。
やれやれ、なんか以前とあんまり変わんないな。
そんなことを思いながら、俺は大の字になって空を見つめていた。
・
・
・
忍が復活してから三日が過ぎた。
ここ最近、俺は仕事から帰ると急いで忍に声をかける。
「忍、体の調子はどうだ?」
「特に問題ありませんよ? もう平気みたいです」
忍の本体であろうシロツメクサは完全に枯れてしまった。なので、また忍の体調がおかしくならないか不安だったのだが、特に変わった様子はない。
「そっか、っていうかさ、お前って本当にあの枯れたシロツメクサなのか?」
「さぁ?」
俺が必死ぶっこいて探し当てたシロツメクサだが、結局忍の記憶は戻らなかったようで、本人もあまり実感がわかないらしい。
俺としては、なんで人間になれたのかだの、どうして一度消えたはずが戻って来れたのかだの、色々わからないことが多いのだが、記憶が戻らないものは仕方がない。
「まぁいいや。忍、次の休みは庭の手入れをしようぜ。かなりボーボーになってるからな。気合い入れて取り掛からねぇとな」
「構いませんけど、突然どうしたんですか?」
「惚れた女の本体が眠ってるとわかっちゃ、放っておく訳にもいかないだろ?」
俺のセリフに、忍は少し赤くなりながらモジモジとしている。
「あぅ……その、ありがとう……ございます……」
「なんだよ、照れてんのか?」
忍の頭をポンポンと手を置くが、その度に振り払われてしまう。
「べ、別に、照れてねぇです……」
こっちを見ようとしないところが怪しいが、まぁいいさ。やっと俺と忍の想いが繋がったんだ。これからきっと楽しくなるだろう。じっくりと忍との関係を深めていこうと思う。
――だが、この時の俺はまだ知らない。この後に、誰に話しても信じてもらえないような事件が起こると言うことを……
ここで一章が終わりとなります。




