1.ユノの現在
うららかな陽気の午後。眠気を催すようなぬくもりの中、あたしは重くなる瞼を懸命に上げて、昼前に習ったことを復唱していた。
「レスティエスト公国の人口は約五千万。様々な種族が暮らす国であり、それゆえ紛争が起こることもある。種族間による土地の権利の主張や資源の争奪によるものがほとんど。時には、国が仲裁に入ることもあるが、大概は当事者たちに解決させる。その方法が話し合いになるか、武力になるのかは彼ら次第。国のマイナスにならない限りは、中央は口を挟まず、静観している。理由はそれぞれの種族に自治権を認めている為。紛争を起こす一族も、そのあたりの事は分かっているから、国、というか魔人の目に引っかからないレベルで済ませようとすることが多い。我を忘れてやり過ぎた場合は、魔人やキンドレイドによってあっさり潰される」
「そうですわ。この紛争についても、意見の対立の延長として黙認している、というところですわね。一方的な略奪行為と認定された場合は、すぐに国軍が出動しますわ」
あたしの向かいのソファに座られているレティシア様が、くすり、と蠱惑的にほほ笑まれた。
レスティエストでは、口で解決しない場合において力で解決、を認めている。
日本育ちのあたしとしては受け入れがたいんだけど、公認されちゃっている以上はここでつべこべ言っても仕方がない。
紛争ってことは、戦争でしょ。たくさんの命が失われるのに、それにオッケー出されているって結構ショックだった。
もちろん、話し合いですむこともたくさんあるんだけどね。それだけじゃすまないことだってあるんだって。時には力を見せつけることで、自治権、と言うか自分たちの領土を守る盾にしている。なかなか弱肉強食を感じさせる仕組みだね。
一つの紛争が他に飛び火しないのは、魔人がいるから。下手に紛争に首突っ込んで必要以上に事を大きくしたら、即刻魔人にまとめてつぶされちゃうんだよ。
だったら最初から止めればいいのに。そのあたりは難しいバランスがあるらしい。
なんであたしがこんなことをレティシア様と話しているかって?
この国の政治事情なんかを習っているからだよ。ニェンガの騒動が収まって、とうとうあたしは完全に洗濯メイドを辞めさせられた。
これ以上は容認できません、というレジーナさん、アネットさん、マアラさんに負けたよ。諦め悪く、洗濯行こうとしたら、一週間部屋に監禁されたからね!
その間に、ハーレイ様、ロダ様、レティシア様、フロウ様、ミュウシャ様が交代でいらっしゃって洗濯メイド禁止令を口々に告げていかれたからね!!
観念したよ……。ケノウたちも、その一週間後に完全撤退させられた。今は侍女メイド見習いとして、働いている。
誰がどの魔人付きになったかは、また後日。
現在あたしは、公女としての知識や教養を身に着けさせられている。いらないって突っぱねようとも思ったけど、ここは大人しく言うことを聞くことにした。
再び監禁されることが怖かったから、とかじゃないからね!
……一度実行されると、あれはトラウマになるよ。いや、本当に。
「ユ・ウ・ノ?集中していませんわね?わたくしの休憩時間は短いんですのよ。ぼんやりしていたらすぐに終わってしまいますわ」
「いつも思っているんですが、休憩時間はきちんとお休みされた方がよろしいのでは?」
「わたくしが好きでやっていることだから気にすることはなくてよ」
財制卿として忙しいレティシア様は、なぜかほぼ毎日休憩時間になると、顔を出してあたしの勉強の進行具合をチェックしていかれるんだよ。心配されなくてもちゃんと毎日机に向かっているんだけどな。
レジーナさんたち容赦ないし。あたしの教育係部隊〈なぜかたくさんいる〉もやる気満々で逃げる余裕ないし。
逃げたら、ご飯抜きだし。
一日食べなくても平気だけど、食べられないのはやっぱり切ないんだよねえ。今はご飯とおやつを糧に日々を乗り切っている状態。
エサにつられている?好きに言えばいいさ!
公族に出すだけあってどれもこれもほっぺが落ちるほどおいしいんだもん。しかも調理師さんたちは、飽きが来る料理を用意しないし。
よく聞く、毒味、とかもないから暖かい出来立ての料理が食べられる。毒が盛られても、即死することはないからねえ。なんだかんだで大公の力を受け入れちゃったから、身体もそれなりに出来上がって生半可な毒じゃあたしを苦しめることすらできないのさ!丈夫な体をこの時ばかりは喜んだよ。
だってね。もともと勉強はあんまり好きじゃないんだよね。それより体動かす方が好き。
中高時代勉強なんて、テスト一週間前に大急ぎで詰め込んでたからね。当然付け焼刃の知識は、テスト後には全部頭から、抜けてたよ!
英語も数学も大っ嫌いだああああああああああ!!
最近じゃあ、苦手意識の強かった現代社会も嫌いになりそうだよ。小難しい社会情勢の話なんて知るか!そういうことは政治家に頑張ってもらいたいんだ!!
そんなあたしが、ご褒美なしにやる気もない、やりたくもない勉強に精を出せるわけないでしょ。エサに気付いたレジーナさんが、調理師さんたちに手を回しているって気づいた時には、から笑いが出たけどね。
「ユウノ。勉強が嫌いって顔に全部出ていてよ」
「座り続けているのって性に合わないんです。体動かす方が好きなんです」
「わたくしを前にはっきりと言えるその姿勢は好ましいのだけれど。正直すぎては、この先、生きていくのが大変になりますわよ」
「腹の探り合いは苦手分野です」
政治の世界なんて、狐と狸の馬鹿しあいでしょ?直球勝負型のあたしにできるわけないじゃん。
いろんなことをあたしに叩き込んでいるのが、公女としての働きを期待してっていうなら、無理。
戦う前から逃げるっていうより、やりたくないだけ。やろうと思えば、何とかなるのかもしれないけど、国の運営に関わりたいなんて思わないもん。
こう考えると、洗濯メイドってすっごく気楽な身分だったような気がしてきた。
「気楽なメイドライフが懐かしい……」
「まだ言っていますの?諦めが悪すぎますわよ」
「一生言い続ける自信があります」
好きで辞めた仕事じゃないからね。ずうっと引きずる気がする。
いつか擦り切れる日が来るかなあ。
ふう、と思わず遠くを見ちゃった。これがセンチメント、と言うやつだね。