天界の問題児
「まったく……手間取らせてくれちゃって」
自慢の脚線美から放たれた蹴りによって吹き飛び、扉の奥の闇へと落ちていった男の様子を見終えてから、メイは後ろ手にその扉を閉めた。
「ハイおしまいっ。……あーあ、疲れた。仕事用の天使スマイルってのも長時間やってるとけっこう疲れるのよねぇ……よく皆やってられるわ」
伸びをして、そのまま椅子へ気だるそうに腰掛け、組んだ両足を机の上に乗せる。
目を覆いたくほどの行儀の悪さ。
その態度は、メイが先ほどまで男に対して見せていたそれと、恐ろしいほどかけ離れていた。
同一人物であることを疑わってしまうほどに。
「……ったく、あのモヤシ男。たいした顔でもないくせに、このメイ様の手を煩わせるなんざ1億年早いっつーの」
先ほどまでのまさに天使の鏡と言える笑顔も、服装以外は清純さに満ちた態度も、全ては演技。
今、この悪態こそが彼女の真の姿。
最後にボロが出た言葉遣いと美少女らしからぬ蹴りを含む、まるで悪魔のような今の態度こそが彼女本来の姿。
「えーっと……? 今日のノルマ、あと何人だっけ……あー、メンドくさ。もうどーでもいっか」
椅子の背もたれに全体重を預け、絶妙なその可愛らしく整った顔をぶち壊しにする、特大のあくびをかます。
たしかに顔だけ見れば、彼女はあまりにも可憐だった。
熟した果実のような、大人の魅力こそ足りないかもしれない。それでも、女性としてはダイアの原石と呼ぶに相応しい。
だが、綺麗なバラにはトゲがあるという言葉の通り。
それどころか彼女の場合、そのトゲが鋼鉄の有刺鉄線・高圧電流付きといったところだろう。
(ありゃ……? まだ『空室』の表示ボタン押してないのに……)
メイの転生室の扉をノックする軽快な音が3回。
だらけきった姿勢を正す間もなく、招かれざる来訪者は扉を開けた。
「どうですか、メイ。珍しくトラブルなく職務をこなしている……って、コラああああぁぁぁっ!」
「て、テレさんだったの!? いだだだだっ!」
落雷の如き怒号が室内を震わせると同時に、メイの片耳は彼女が「テレさん」と呼ぶ女性天使によって激しくつねり上げられた。
「痛い痛い痛い痛いっ! いきなり何すんの!?」
「何すんのじゃありません! なんですかそのだらけきった態度は! 天使としての自覚を持ちなさいといつも言って……!」
「わ、わーったから! わかったから! とりあえず放しなさいっての! 耳とれるっての!」
必死の抵抗の末、ようやくメイの耳は釈放された。
だが本人に反省の色はなく。いつものことだが。
「あー……痛かった」
「……痛いのがイヤなら、たまには反省したらどうです?」
「ったくもう。テレさんてば相変わらず怒りっぽいんだから……シワ増えるわよ?」
「いつも怒らせているのは誰ですか……まったく」
身に着けているシルバーフレームの眼鏡のズレを直しつつ、その天使は眉を八の字に、深いため息をついた。
メイがテレさんと呼ぶ女性天使。
彼女の名は、『テレサ』という。
ここ天使界には、神と共に数多の天使たちが暮らしているが、彼女はその天使たちの中でも一際上位の存在。
天使界において神に最も近い存在と言われる、最も優れた上位天使たち。通称『七大天使』の1人である。
「あなたの教育係になって1ヶ月……ようやくあなたもトラブルを起こさず職務を全う出来るようになったと思ったのに、あなたときたら……」
彼女はその他大勢の、圧倒的多数を占める下位天使たちの上に位置する存在であり、メイにとっては直属の上司であり、教育係でもあった。
気まぐれ不真面目フリーダムがスタンダードなメイとは正反対な性格であり、こうして事あるごとにメイを叱咤している。
(座り方に対して怒ってるだけ……ってことは、あの男を蹴り落としたことはバレてないみたいね……しめしめ)
「……何をにやけているのですか?」
「なーんでもないないっ」
毛先がややパーマ掛かったセミショートの栗毛に、自身の知的さを表すかのような銀縁のメガネ。
ひと目眺めただけでもひしひしと伝わってくる、デキる女という言葉が似合いそうな有能さ溢れるその雰囲気。
少女というカテゴリーからは外れてしまうかもしれないが、成人女性として見れば余裕で美人のカテゴリーにランクインするであろう容姿である。
しかし規則・規律を重んじる彼女の生真面目さと仕事への真剣さ故、まるで氷像の如く冷たい印象の人物として見ている者も多い。
「……それより、どしたの? どーせテレさんのことだから、ただお褒めの言葉を言いに来たってワケじゃないっしょ?」
「その呼び方はやめなさいと何度も言っているでしょう……」
もっともそれら大多数の者たちが持っている印象は彼女への理解不足から抱く苦手意識に過ぎず。
少なくとも彼女は決して悪人、他人に冷たいということはない。
ただメイから言わせればちょっと硬過ぎるというか、もう少し楽に構えればいいのにとか、冗談の通じない性格といった感じである。
「まぁそれは置いておくとして……メイ。主があなたをお呼びですよ」
テレサが「主」と呼ぶ者。
この天使界の頂点に立つ者であり、天界を統べる者達の1人。
すなわち、『神さま』である。
「うげ……やっとこさ任務が一段落ついたと思ったら、今度はジジィからの呼び出――っ痛でぇ!?」
テレサのげんこつが、音速に迫る勢いでメイの頭頂部へ振り下ろされる。それはそれはいい打撃音が響いた。
「天使界を司る神をジジィ呼ばわりとはなんですか! いつも言っていますが、『神』か『主』と呼びなさいっ!」
「ああはいはい。以後気をつけるような気がします……」
これが2人のいつも通り。
いつもと変わらぬ、大体同じな日常会話である。
「で、肝心のジジ……神さまはどこにいるワケ?」
「……いつも通り、『天空の間』におられますよ」
この建物の最奥に1部屋しか存在しない、神さまの仕事部屋。
その名を、天空の間。
入室が許される天使は僅かで、大多数の下位天使たちにすればその部屋に呼び出されただけでも光栄に思うもの……だが、少なくともメイは明らかに嫌そうな表情に変わった。不満ダラダラな顔である。
「またあの部屋ぁ? ……飛んでっていい?」
「ダメに決まっているでしょう。天使界の庁舎内では平時での飛行は禁止だと何度も……」
「……んじゃ風邪で休むって言っておいて」
「つべこべ言ってないでサッサと行きなさいっ!」
「あぁへいへい……わかりましたよーだ。べー」
テレサの怒号が飛び、追い出されるようにメイは舌を出しながら転生室をあとにした。
「まったくもう。あの娘は……」
いつも通りのこと、毎度のことではあるが、テレサはメイの悪態に深いため息をつく。
「……上が上なら、下も下……ということでしょうか」
そしてメイが向かった先で待つ主のこと、これから起こるであろうことを想い、さらに深いため息をついた。