転生の扉 4
どれほどの時間が経っただろうか。
あくまで体感での時間だが、男は自分の番が来るまでにかなりの時間を消費したような気がした。
とはいえ、この混雑具合ならこの程度の待ち時間は仕方ないのだろう。
(しっかし天使たちも大変なのね……お花畑とか広がってて、穏やかな場所かと思ってたけど)
あくまで他人事として同情し、あくびをしながら彼らの様子を眺める男。
その眠気を覚ますアナウンスが、間の抜けたチャイムと共に流れた。
――……お待たせいたしました。デスポート整理番号……Z-438からZ-521の方。Z-438からZ-521の方……以上の方々は、最寄りの空室と表示されている転生室へと……――
(お。やっと俺か……えーっと)
ようやく呼び出された自分の番号。男はふかふかの極上ソファーを後にし、手短な空いている部屋を探す。
(あ……ここでいいや)
ハズレの部屋があるわけでもあるまい。
男は適当に空室表示がされていた扉へと向かった。
男が選んだ扉の向こう、その部屋の名は、第42転生室。
外も中も、他と変わりのない部屋。転生の間に存在する、膨大な量の転生室の中の1つ。
違いを挙げるとすれば。
その部屋の中で待機している、その日その時間の担当者……天使が誰であるか、ということ。
その男は知る由もなかった。
あるわけがないと思っていた、まさにそのハズレを自分が選んでしまったこと。
その日その時間、この部屋の担当者である天使が、彼女であったことを。
期待と不安を胸に、男はその扉をノックする。
「……どうぞ。お入りください」
扉を通して聞こえてきた声。
おそらくは若い、少女の声に従い、男は転生室へと足を踏み入れた。
「えと、失礼しまーす……」
扉の向こうは広くもなく、かといって狭くもない、事務的な内装の部屋。よくある、学校の校長室という例えが適切だろうか。
部屋の中央に配置された大き目の机。
それを前後から挟むように配置された、見るからに高級そうな2つのリクライニングチェアー。
きっとこの机を挟んで天使と向かい合い、転生の手続きとやらを行うのだろう。
机の向こう側、部屋の最奥の壁を隠すように垂れ下がる、分厚くて巨大な純白のカーテン。
その向こうに何かあるのではと思わせぶりだが、男にとってそれ以上に気になる存在がその室内に居た。
「どうぞ。遠慮せずお掛けください」
「あ……はい」
おそらくはこの部屋での転生を担当している、天使の少女。
机の向かいに立って男と向き合う少女。
その外見に、その声に。
男は瞬間で心をわしづかみにされたような衝撃を受けた。
少女の言葉に従い、男は椅子へと腰掛ける。
その様子を確認してから、少女も机の向かいにある椅子へと静かに着席した。
「ようこそ。第42転生室へ……早速ですが転生の手続きに入りますので、デスポートを拝見致します」
「あ、はい」
男は、ポケットからデスポートを取り出して目の前の少女に渡す。
「それでは確認させていただきますので、少々お待ちください……」
何を確認するのか分からないが、受け取ったデスポートを広げ、それを読み進める天使の少女。
(転生の手続きなんて言うから、もっと威厳丸出しのオッサンとかが出てくるかと思ったけど……ずいぶん若いんだな。それに……)
少女がデスポートの内容を確認している間、男はその様子……というより、その少女の姿を眺めていた。
(……かわいい)
赤バラの花びらのような頭髪。
それを2箇所、左右に結った俗に言うツインテールという髪形。
左右の髪を束ねるその髪飾りはテニスボール程度の大きさで、青紫色に透き通る球体。
ややつりあがった目尻。その瞳の、透き通るような青の色合いと輝きは、瑠璃色の宝石のように心奪われる美しさ。
だが彼女の外見で最も印象的なのは、その服装である。
ここに来るまでに男が見てきた天使たち、その外見は、皆性別の差がない画一的な白のローブであった。
しかし目の前の少女が纏っているその服は、他の天使たちと一線を画す、ラフな服装。
見た目には10代後半の彼女。服の上からでも分かる、発育のいい身体。
その豊満な胸元が見えてしまいそうなほど弛められた襟元。
生地を切り裂いて開いたらしい、柔肌が露出した両肩と腹部。
椅子に座る前に顔を覗かせた、スラリと伸びる彼女の下半身……本来そこを覆い隠していたはずの純白生地も無残に切り裂かれたらしく、今では思わず目線を送ってしまうほどギリギリな短さのミニスカートへと姿を変えていた。
「………………」
異性に多少なりとも興味のある男なら、誰でも目のやり場に困ってしまうであろう少女の外見。
しかしその少女に惹かれ、魅了されてしまう要因は、その服装もさることながら彼女自身が持つオーラというか、純真的であり官能的……ともすれば、悪魔的な甘美さを感じさせるその雰囲気であろう。
そして極めつけは、自分だけに向けられているものではないと分かっていても、つい何か期待してしまいそうなまぶしい笑顔。
日光のように暖かで、そよ風のように優しく。
野花のように可憐なその微笑みは、文字通り天使の笑顔。
現に男も、この部屋に入り彼女と対峙した瞬間、一目惚れとまではいかずとも、思わずその少女に心奪われてしまっていた。
「……どうかされましたか?」
「あ、いやべつに……」
(……いかんいかん。あんまジロジロ見るのも良くないな)
気を緩めると思わずそちらを向いてしまいそうな視線を意識して外し、男は少女が手続きとやらを終えるのを待った。
室内を包む静寂。ばつが悪いためか、妙に重たく感じてしまう部屋の空気。
その中で唯一響く、少女がページをめくる音。
永遠にも感じかけた沈黙が終わったのは、それからしばらく経って少女が口を開いたときだった。
「……霊魂の浄化も済んでいますし、何の問題もないですね。ではこちらへどうぞ」
(こちらへ……?)
チェックし終わったというサインなのか。少女が男のデスポート、その最後のページに何やら判子をつき、席を立った。
男も少女に導かれ、彼女の後を追う。
2人が対峙したのは、室内最奥の一面を覆い隠していた純白の巨大なカーテン。
少女が天井から吊り下げられていた紐を引くと、そのカーテンは重たそうに開かれ、その先にあったものをさらけ出した。
「……扉?」
そこにあった物は、壁でもなければ窓でもない、天井に向けて伸びる大きな扉らしきもの。
らしきものというのは、その扉には取っ手の類が一切見当たらなかったからだ。
また、その意味までは分かりかねるが紫地に黒色で……記号なのか、模様なのか。とにかく、何か装飾されていた。
「これが『転生の扉』です……今開けますので、お待ちくださいね」
少女は扉の前に立ち、その手を扉に触れさせる。
押したのでもなく、引いたのでもない。ただその手のひらを触れさせただけである。しかし。
(な……!?)
その扉は、淡い光を放ち始めた。
黒く塗装されていた装飾部分に、液体でも流し込んでいくかのように青白い光が走っていく。
扉全体にその光が走ったとき、少女の倍以上はあるであろう巨大かつ重厚そうなその扉は、少女の意思を感じ取ったかのようにゆっくりと開いていった。
「ひとりでに……開いた……」
「……お待たせしました。あとは貴方がこの扉の向こうへと飛び込めば、転生は完了です」
振り向いて笑顔を向ける少女。
男は扉へと近付き、開かれたその先を恐る恐る覗き込んでみた。
(なんだ……これ)
その先は、闇。
どこまで伸びているのか。どこまで深いのか。
光源は何も無い。少しの音も響いていない。
地が無く、風も無く、空も無かった。
思わず自分の五感を疑ってしまいたくなりそうな、ひたすらに虚無が広がる光景。
なんとなくというか、本能で感じ取っただけだがこの闇は深い。
確証はないが少なくともこの先に落ちたなら、その先はきっと浅い場所ではないだろう。
男はそう感じた。






