卒業の時
少女の魂を、天界へと送る。
その準備には思いのほか時間を要した。
というのも少女が泣き止むまでを待ち、さらにその後で。
「ちょっと探し物してくる」
という、メイの一言によって3人と1匹はしばらくの時間を屋上にて待ちぼうける事となった。
「……いやいや。お待たせー」
何の悪気も感じていないであろう爽やかな笑顔で、メイが校舎内から戻ってきた。
おそらくはそれを探していたのであろう、1枚の画用紙らしき白紙を手に。
「ホントに待たされたわい。まったく……」
「まぁまぁ。そんなにプリプリしないで」
「自分で言うところがメイらしいよ……」
「……メイちゃん。それなに?」
「見てわかんない? 画用紙。白紙の」
さすがにこの校舎内に新品はなかったのであろう。
古くなって少々痛んでいるが、なるほどたしかに白の画用紙である。
「……そんなもの、何に?」
「まぁまぁ見てなさいって……あ、アンタはアタシの前に立っててね」
魂を送られる本人――少女はこくりと頷き、指示されたとおりメイの前へと移動する。
「んじゃそこで。……それじゃ、始めますかねー」
ペン八が身構える。
この後にすぐ、自身の身を霊武へと変えてその少女を送るのであろうと、彼は予測していたから。
「……む?」
しかしなぜか、メイはその姿を天使のまま――悪魔へと変える気配がない。なぜか。
悪魔の姿とならなければ、使い魔であるペン八を霊武の姿へと変え、それを扱うことなど出来ないというのに。
「えーっと……よっ……っと」
「え……はぁ?」
ペン八は呆気に取られてしまった。
メイが手にしていた画用紙を脇に挟み、何をするのかと思えば――彼女の左耳に垂れる、『奇跡の砂』が納まったイヤリングを外し始めたからである。
「ちょちょちょ! ちょっと待て! お前さん、何を……!?」
「何をって、使うから外してるに決まってるでしょ……っと」
続けてペン八は驚愕した。
左耳を離れたイヤリング――その中身を、あろうことか手にした画用紙へと振りまいたからである。
しかも何の躊躇も無く。
「だああああぁぁぁっ!? なんでそんなモンにいいいぃぃぃっ!?」
「うっさいわねぇ……黙って見てなさいよ海鳥類」
「これが黙っとれるか! よりにもよってそんなモンに振りまぐへぁぁっ!?」
予告なく顔面を蹴り飛ばされ、彼は青色のサッカーボールとして屋上の隅へと転がっていった。
「黙って見てろっつったでしょ……そんなモンかどうかはアタシが決めることよ」
彼女がたった今振りまいた『奇跡の砂』。
願いを込めて使えば、たった1度だけ。
その名の通り奇跡を起こすことが出来、だからこそ軽々しく使用することを禁じられている――天使たちへの支給品。
振りまかれた金色の粒子は、付着した画用紙の表面を同じ色に染めて。
どんな宝石よりも見とれてしまうような光で、その画用紙全体を輝かせた。
「わぁ……キレイ――」
「な、なぁメイ? ペン八も言ってたけど、なんで画用紙なんかに……」
「まぁまぁそう焦らず、じっくりと見てなさいって……あ。アンタは動いちゃダメね」
「あ――はい……」
屋上の柵に激突し、グロッキーとなっているペン八を除く全員が、その輝きを見守る。
彼女が込めた願いは、それの可能とする範囲からすれば至極簡単なもので。
その効果はすぐに現れ始めていた。
「これって……」
「もうじきね……ハイ。できたっと」
金色の砂。
その粒子と輝きが消滅し、その画用紙の様子を一変させていた。
表面の汚れや傷みは消え失せ、まさに新品同様に。
そしてその表面には、先ほどの輝く砂が溶け込んだかのような金の装飾模様と、厳格そうな書体の文字を並ばせている。
「……ね? ステキでしょ?」
「ああ……そういうことだったんだぁ」
「……なるほど」
「………………?」
3人と対するような状態の少女は、頭の上にクエスチョンマークがよく似合う表情で首を傾げる。
少女の位置からでは、変化があったらしいその画用紙の表面は見えず、3人の表情から推し量るしかない。
しかし皆、何故かニコニコと微笑んでいるだけである。いったいあの画用紙に、どんな変化があったというのだろうか。
「はい。じゃあ始めるわ――いい? 心して聞くようにっ」
「は、はい……」
咳払いまでし、改まったメイの態度に。
少女は思わず緊張した。
天界へ魂を送る方法など、自分は何も知らない――これも、それのための準備というやつなのだろうか、と。
「ゴホンッ……卒業証書、授与」
「えっ……」
しかし、説き始められるメイの言葉は、少女が少しも予想していなかったものであった。
「本日を持ちまして、本校『呉野学園』における全ての課程を修了しましたので、ここに証します……学園長代理・メイと、その下僕達より」
「ちょっと待て。俺たちの扱い酷すぎ」
「……んじゃあ『学園長代理・メイと、その奴隷達』でいいわね」
「いいわけねえだろ」
「とにかく卒業おめでとさん……っと。ハイ」
差し出された卒業証書を、少女は呆然と見つめるしかなかった。
「……なにしてんの? まさかいらないとか言わないでしょうね?」
「え――あ、そんな……ことは」
「んじゃ、ホイ。さっさと受け取んなさい」
半ば押しつけられるようなかたちで、少女はその証書を胸に抱いた。
「はい、おめでとさんでしたっと……ほら下僕ども。拍手拍手っ」
「だから下僕じゃ――まぁいいや。おめでとう……」
「おめでとうっ」
まばらに鳴らされる拍手を、少女は一身に受ける。
それはたった3人からの。
けれど、これ以上なく温かで優しい、少女がかつて望んだ――小さな夢の1つ。
「あ――」
その目が滲む。
枯れきったと思った雫がもう一度頬を伝い、手にした証書へと落ちていく。
「ありが……とう……」
嗚咽の中で、その言葉だけをどうにか振り絞る。
堰を切った決して悲しみのためだけではない涙は、拭いきれるものではなかった。
しばらくして。
肩の震えも止まり、ようやく落ち着いた少女を前に、メイはその姿を悪魔のそれへと変えた。
「それじゃ――もういいのね?」
「ええ……お願い」
少女はメイの問いに頷く。
もう何も怖いものはないと、優しい微笑みで表すように。
「んじゃ、いよいよもって送りますかね……って、ペン八どこ?」
「はい、メイちゃん。……気絶してるけど」
少女が泣き止み、落ち着くまでの間、やよいによって介抱されていたペン八だったが、いまだに白目をむいていた。
「あらまぁ。どうしちゃったのかしら」
「さっき自分で蹴り飛ばしたんだろうに……」
「そうだった? ほらアタシ、過去は振り返らない女だからさ」
「よく言うよホント……」
「まぁいいわ。気絶してたって問題なく出来るし……」
やよいの手からペン八を受け取り、メイは瞬時に彼を霊武の姿へと変えた。
「さてと。何か、言っとくことある……?」
手にした大鎌を振りかぶって止め、メイは傍らの大和とやよい、そして少女に問うた。
「俺は特に……まぁ、気をつけて……」
「アンタはもうちょっと気の利いたセリフでも言えるようになりましょうねー……やよいは?」
「……えっとね」
やよいはなんと声をかけるべきか少しだけ迷い、少女の手をとって口を開く。
「生まれ変わったら……友達になろっ」
またしても予想していなかったその言葉に少女は少しだけ戸惑い、そして笑った。
「そうね……そうなったらいいわね」
「んもうっ。なったらじゃなくて、なるの。はい決定っ」
「見かけによらず、強引ね……ふふっ」
「えへへ……」
少女が笑い、やよいが笑う。その様子を見ていた大和も、笑った。
「……んじゃ、いいわね? 痛くしないから、安心して目ぇつぶってなさいな」
「ええ。お願いするわ……」
メイからの最後の問いに少女が答え、やよいと大和は少しだけ後退してそれを見守る。
彼女に言われたとおり、少女は呼吸を落ち着かせ、目をつぶってそれを待った。
メイの霊武が、振るわれる。
重みを感じさせないそれは、そよ風にも似ていて。
少女の魂を、優しく刈り取った。
見た目にはほとんど違わないが、少女の身体は決して彼女の意思によるものではなく、空へと向けてゆっくり浮遊していく。
見えぬ手に優しく抱かれ、空の向こうへと導かれていくように。
――傷つけて……ごめんなさい。それと……――
見上げ、見守る3人の耳に、少女の声が届く。
それは決して大きくはなく、しかし、温かみのある穏やかな声。
――ありがとう――
少女の姿が彼らの目に見えなくなり。
それは、この世界に息が吹き込まれたように。
朝焼けに染まる見慣れた景色へと、彼女たちの周囲が変わっていった。