別れと出会い 3
「あなた達に……わかる?」
少女は泣いていた。
自身すら自覚しているか疑わしいほどひっそりと、その瞳を雫で濡らしていた。
「毎年……卒業式の歌を聴かされる気持ち。あなた達に、わかる?」
彼女を見下ろす3人は、口を開かず。
しかし、彼女から視線を外すことはせずに、見つめ続ける。
メイがそっと喉元に宛がっていた大鎌を下げたことに、彼女はおそらく気付いていなかった。
「卒業も告白も……両方、たくさん見てきたわ。たくさん、聞いてきた……あたしにはどっちも――その片方すら、出来なかったっていうのに……!」
「……それでこの2人を、ここに呼んだってワケ?」
「誰でもよかったのよ……誰でもよかったんだわ。……皆憎くて、皆嫌いで……あたし」
最初は、ただ羨むだけだった。
それがいつしか、見境の無い憎悪へと変わっていった。
そして彼女の激情は、その霊力の暴走という道をたどり、悪霊へと堕ちることとなる。
旧校舎全体を巻き込み、結界を形成し、異形の化け物すら生み出してしまうほどに。
「あなた達にはわからないでしょう……! ただ笑って、ただ泣いて……本当の苦しみなんて何もない……あなた達なんかに……!」
彼女は今や全てを憎み、全てを否定し、泣き叫ぶのみ。
「………………」
メイは目を閉じ、ため息を一つ。
それから目線をその少女に合わせ、真正面から向き合った。
霊武の姿であったペン八が使い魔の姿へと戻り、メイ自身の姿も悪魔から天使のそれへと変わっていたことに、おそらく彼女はその瞬間まで気付かなかったであろう。
「あのさ――」
そう口にした途端、メイは決して弱くない力でその右手を振るい、少女の頬を打った。
「――――!?」
何が起きたのか理解に苦しみ、呆気にとられる少女に向けて、メイは言葉を続けた。
「自分だけが……自分がいちばん、不幸だとか。そんなふうに思ってない?」
「……だって、あたしは――っ!」
「そりゃアンタは不運だったでしょうよ。望まない未来が来たでしょうよ……けどね、アタシらだけじゃない。皆それぞれ不運も幸運も背負って歩いてんの。自分だけがいちばん不幸で、いちばん不運だって思い込みながら、ね」
「……だけど」
「卒業も告白も、アンタにとってすんごく大事だったってことはわかるわよ? ……でもね、それを叶えられなかった人間なんて、そこら中にごまんといるのよ……たとえば、アタシとか、ね」
「……あなた、も……?」
自分もそうだという――その言葉に、彼女は俯いていた顔を上げる。
こちらを見つめる赤髪の少女の、その瞳が蒼色へ。
その背から生えるものが、赤と黒の禍々しい翼から、白銀のそれへと変わっていたことに、彼女はようやく気付く。
「アタシ、元・人間。でもってここの、元・学生。……アンタより後輩だけど、卒業式を迎えずに死んだのは同じね」
「――――!」
「道ばたの石につまづくのだって、人によっては不幸よ。だけど、それを幸運だと思うヤツもいる。……不幸かどうかなんて、結局は本人の気持ち次第なのよ」
「あなた、は……どうして……恨んだり、憎んだりは……しなかったの……?」
「ちょっとした事情でね……なんて言うか、仇ってやつ? だからアタシは人間やめて、こんな務めやってるワケだし。人間を恨んでたりとかっていうのとは、ちょっと違うと思うわ」
「そう……でも、あたしは……」
「やり直せなんて言うつもりはないし、当然出来ないわよそんなこと。でもね、出直しはいつだって出来るわよ……いくらでも、ね」
「で、でも……」
彼女は更なる涙を堪え、もう一度俯きながら、つぶやく。
「あたしはこんなことして……あなたを……あなた達を、傷つけて……」
「アタシの傷なら、なんてことないわよ? この程度、ツバつけるまでもないわ。……だから」
メイは少女の肩に手を置き、振り向いた先にいる大和とやよいの方を見て、言った。
「謝るんなら、この2人に向けてにしなさい……あ。そこの飛べない鳥類は無視していいから」
「まぁその通りなんじゃが、言い方をどうにかせい……地味に傷つくわい」
「――――――ッ」
少女は堪えきれぬ涙を流し、下を向いていた頭をさらに下げて、その言葉を振り絞った。
「ごめん――なさい……っ!」
そこには何の弁解も、微塵の余分もない。
ただ短く、ただ純粋な、謝罪の言葉。
「……だってさ。大和、どうする?」
「え、あ……えっと」
メイに名を呼ばれ、大和はハッと我に返る。
予想していなかった話の展開に、大和は少々戸惑って答えた。
「その……俺は、いいよ。許す……けど」
大和は少女の謝罪を受け入れ、それを肯定し。そして隣へと顔を向けた。
ボロボロの人形を抱く、彼の幼馴染はどんな表情でその少女を見ているのだろうか、と。
「……やよいは? どうする……?」
「………………」
彼女はすぐには答えず、ただ黙ってその少女を見つめていた。
「メイちゃん……その娘、これからどうなるの……?」
「ん? あー……もう霊力は暴走してないみたいだから。アタシがさっきの鎌で斬って、天界に送るけど。……あ、斬るっつっても、痛くはしないわよ? なんていうかな……現世につながってる魂を、斬り離すっていうの? そんなカンジ」
「……その後は?」
「天界に送ったあとは、手順通りね。浄水みたいなもんよ。魂をまっさらな状態にしてから、新しく生まれ変わることになるわ」
「そうなんだ……」
「……どうする? 好きにしていいわよ。この娘をいちばん憎んでいいのは、この中じゃたぶんアンタだろうし」
「………………」
やよいは再び口を噤み、メイがそうしたように膝をつけ、少女と目線を合わせる。
そして少女の前に、その人形を差し出した。
ボロボロになってしまった――今ではもう、物言わぬその人形を。
「この子ね……メリーさんっていうの」
「………………」
今度は少女が口を噤む。
その人形――その中にあった魂が、どうなったのかは把握している。
なんと声をかけて良いのか、わからなかった。
「今はもう……喋らなくなっちゃったけど……私たちを守ってくれて、それで……」
「ごめん……なさい……」
少女は顔を上げず、ただ床を雫で濡らしながら、その言葉を搾り出す。
それ以外の言葉など、見つからなかったから。
「だからね……お願いがあるの」
考えてもみなかったその言葉に、少女は思わず顔を上げた。
目の前で自分に話しかける、おそらくは彼女が最も傷つけたであろうその少女は、微笑んでいた。
いや、泣いていた。泣きながら、微笑んでいたのだ。
そして少女にとってあまりにも優しい――彼女というヒトの、全てを表したかのような言葉を紡いだ。
「向こうでメリーさんに会ったら……私じゃなくて、あの子に謝って。ちょっぴり素直じゃないところがあるけど、きっと許してくれると思うから……それから」
人形を片手に抱き、彼女はもう片方の手を、少女の手に重ねた。
「それから、ありがとうって……あの子に伝えて? 私が言いに行くのは、ちょっと遅くなっちゃうから」
目の前の彼女の、その手に宿る温もりを感じ、少女はその手にすがるように泣いた。
「それで許すの? やよい……」
「許すもなにも、私は最初から怒ってないもん……メイちゃんがこの娘をボコボコにしちゃわないかと、ヒヤヒヤでしたよ」
「……言うようになったわねー」
「えへへっ……」
やよいは泣いていた。しかし、笑ってもいた。
メイも笑顔を見せ、大和もそれにつられて頬を緩める。
ペン八もやれやれといった表情ながら、まんざらでもない様子だった。
冗談を含みながらの、彼女達らしいやりとりを聞きながら。
少女はより一層の。されど、温かな涙を溢れさせるのだった。