巨人との対峙
「何よ……なんか見つけたワケ?」
「うん。ほらあそこ……女の子かな?」
そう言って、屋上の角を指差すやよい。
霊武の大鎌を肩に預け、メイもその視線と指先をたどって見ると、そこにはたしかに少女らしき外見の人影が1つ。
「たしかに……見た目は女の子みたいだけどさ」
「うーん。ここからじゃよく見えな……あ、消えちゃった」
彼女の言葉通りである。
屋上の少女は姿を消した。立ち去っただとか、はたまた屋上から落ちたなどといった表現ではなく、1歩も動くことなくその場から消えてしまった。まるで火の粉か煙のように。
「……あれもユーレイさんってことかな?」
「どうだかねぇ……ここからじゃホントによく見えな――!?」
言いかけたところで、メイは驚愕した。油断や驕りなど微塵もしてはいなかったが、それでも想定外の事象が起きれば驚きもする。
傍らのやよいも、その腕に抱かれたメリーも、同じように驚愕し言葉を失っていた。
この世界の、おそらくは霊力によって創り出された、結界にも近く薄気味悪い夜闇。
その闇を背景にそびえ立つ、目の前の巨大な校舎すら超えようかという巨体が姿を現していく。
それはヒトの形でありながら、決してヒトならざる大きさとおぞましさを持って、校舎に手をかけてこちらを覗き込む。
――巨人。
見上げた先にあるアレには、その言葉が最適だろう。
しかしアレを生き物として認識するのは間違いとしか思えない。
星には届かぬだろうが、校舎を超える体長を有し。
ヒトと同じ形をしているが、その体はスライムか粘土のような滑りと柔らかさを持ち。
内臓など有していないことが外見から見て取れる、黒く染まりながらも半透明の全身。
顔であろう部分に宿る、2つの赤い光。
おそらくは目であろうそれが、何の感情も発さずに校庭のメイたちを見つめていた。
否。見つめていた『と、思う』としか言えない。
「――――――ッ!」
それは咆哮か。それとも、言葉であったのか。
まるで暴風雨か火山の噴火の如き『音』が、その巨人から吐き散らされた。
「くっ……!?」
「な、なんなのアレぇっ……!?」
彼女たちは耐え切れず、両耳を押さえ地に膝をつく。
その音は校庭にまで容易に届き、地面を揺らし、手で覆っていようが彼女らの耳を容赦なくビリビリと痺れさせる。
それはもはや威嚇や意思表示のレベルを振り切っていた。どちらかといえば天変地異に近い。
ただの音でありながら、しかしそうであるからこそ、その音は既に『無意識の暴力』と言える。
ある意味で1つの攻撃手段とされていいものになっていた。
「――――――ッ!」
悲鳴か、咆哮か、慟哭か。
もはや『声』とするのすら躊躇してしまう、黒の巨人が発せし叫び。
それは暴れ狂うただの『音』として空間全体を包み、両耳を庇いながら校庭の地に膝をつくメイたちに、質量を感じさせるほどの重圧として襲い掛かった。
「み、耳がおかしくなる……っ!」
「ぐっ……この――っ!?」
メイの負けず嫌いが幸いした形となった。
せめてあの声の主を睨み返すくらいの事はしてやろうと、目を開き顔を上げた矢先のことである。
屋上の高さから伸び、目前に迫る『半透明な黒い壁』。
否。それはあの巨人の『手のひら』であった。
声を出す間もなく、傍にいたやよいにほとんどぶつかる形で庇い、迫り来る手をどうにか避ける。
「――うわああぁぁっ!?」
「――っ!」
巨人の声が止んだかと思えば、次の瞬間には新たな絶叫が響く。
ほんの少し。
たった1秒だけでも余裕があったなら、彼女は無意識のうちに、心の底からその言葉を口にしたことだろう。
しまった、と。
メイたちを掴み損ねた巨大な『手のひら』は、その勢いのまま標的を変え、近くにいた大和の身体を捕らえた。
見た限りでは伸縮自在、変形自在であろうその手は大和の胴を掴んだまま、伸ばされたゴム紐が伸びるように屋上方面へと舞い戻って行った。
「大和ぉっ!」
「ちっ!」
メイは舌打ちを1つし、禍々しい背の翼を広げ、大和を掴んだ巨人の手を追う。
だがその飛翔は早々に阻まれる事となった。
「な――っ!?」
迫り来るそれに、メイは再び声を失うこととなる。
彼女の動体視力は、やよいたち人間と比べれば桁外れなスペックである。
だからこそ今、目の前で何が起きたのか。
その一部始終をスーパースローモーションで再生させたかのように、彼女には視認することができた。
大和を捕らえた手――指の位置からして、おそらく左手にはなんら変化はなかった。変化があったのは、巨人の右手部位。
校舎の影からゆっくりと姿を現した右手がメイに向かって伸びる。
夜闇に混じり、獲物を喰らう大蛇のような動きを持って、襲い掛かる巨大な掌。
だがその速度は遅かった。
激突寸前にまで近付いてから、メイは身を翻して難なくそれを避ける。
唐突にして、彼女の予想を越えた変化が生じたのは、次の瞬間だった。
ヒトと同じ形のそれは、唐突に握り拳――1つの巨大な球体を作り、弾けた。
球体の形を成していたその塊は、爆散する手榴弾の破片のような軌道で四方八方へと散り、浮遊していく。
先ほどの右手による初撃を大蛇と喩えるならば、次のそれは無数の毒蛇の群れ。そして次の瞬間には、それら触手へと変わった1本1本に意思が宿ったかのような――多様な変形と伸縮を繰り返し、一斉にメイへと襲い掛かった。
(コイツら……っ!)
メイも初めはそれら1体1体を斬り捨て、回避し、相手にしていた。
だが如何せん多勢に無勢。小石で滝の流れを塞き止めようとするようなものだ。
――このままでは数分も経たずに物量で押しつぶされる。
そう判断したメイは減速こそしないが、物理法則を嘲笑うような動きでもって飛翔するコースを上下左右に変化させ、土石流にも似た触手の追撃をかわしていく。
幸いにしてそれら触手にはメイほどの飛翔速度も、ミサイルほどの追尾性も備わっておらず、両者の間隔は徐々に広がっていく。
「……!? ――まずいっ!」
その現象に気付いたメイは空力上あり得ないような急速旋回にて触手の群れを回避。
速度を倍近くにまで上げて滑空、地面寸前のところで直角に近い軌道を描き、這うような飛行高度で昇降口方面へ。
彼女が目指す昇降口の手前、校庭の片隅。
そこにはやよいと、彼女の腕に抱かれたメリーがいた。
「――きゃあっ!?」
やよいが、その衝撃を身体に受けた瞬間。
彼女には自分の身に何が起こったのかを理解することは出来ず、思わず悲鳴をあげて目を瞑ってしまった。
襲ってきた感情は、恐怖と驚愕。
突然現れた巨人、その巨大な手に大和が連れ去られ、メイが彼を追って飛び立った後。
やよいはメリーを抱いたまま、自分はどう行動したらいいものかと考えていた。
ただの人間である自分には、あの娘のように空を飛んで追いかけることは出来ない。
巨人のいる方向へと駆けて行ったところで、あまりにも相手が強大過ぎる。気付かれもせずに踏まれてしまうのが関の山だろう。
そもそも、あの巨人はなんなのか。なぜ大和を連れ去ったのか。そして何も臆すること無く立ち向かっていったメイの身はどうなるのか。
考えれば考えるほどに彼女の脳は混乱し、決して軽くはない混乱状態に陥っていく。
腕の中でなにやら叫んでいる人形――メリーの声も、耳に入らぬほどに。
そして衝撃が襲ってきた。
メイが追われ、回避していた無数の触手。その数本が、意図せずやよいの近くへと落下し、地面に突き刺さったのだ。
獲物に襲い掛かるときだけなのか、それとも初めからその硬度であったのかは定かでない。
ともかくそれら触手は1本1本が槍の穂先であるかのような硬度、鋭さを持って地面へと突き刺さった。
地にへたり込み、呆然とそれを眺めることしか出来なくなっていたやよい。
その様子を知ってか知らずか、それら触手は再び柔軟な変形をして成人男性程度の大きさ、形体へと変わり、目の前の少女に標的を変更した。
「あ……あぁ……」
――殺される。
やよいが本能でそう感じ取った瞬間、一陣の突風が彼女の身体を浮かし、目の前の人型からの攻撃を回避した。
否。彼女が突風にしか感じられなかったそれは、飛び込んできたメイの飛行に伴う風。
そして彼女の身体は、メイのか細い両腕によって抱き上げられていた。
「――無事!?」
「え……あっ……」
何度か呼びかけていたのか、それともそれが初めての声だったのだろうか。
安否を気遣うメイの声によって、夢遊状態であったやよいの意識はようやく目を覚ました。
「だ、大丈夫……」
「……ったく。心配させんじゃないわよ」
メイは抱えていたやよいを地に下ろして背を向ける。
数メートルと離れずに前方に構えていた人型の触手は、ジリジリと彼女たちに迫ってきていた。
それに加え、校庭の上空からも触手の群れがこちらへ向かって来ている。
「やよいっ! 中に入って!」
「う、うんっ!」
やよいたちは再び校舎の中へ。
メイも少し遅れてその後に続き、昇降口の扉を閉めて施錠した。
「まったくしっかりしてよ……あたしが声出しても、全然反応しないからどうしたのかと思ったじゃないの」
「ごめんね、メリーさん……」
「――ほらほら。お喋りしてる暇なんかないわよ2人とも」
メイの言葉通りであった。
人型になった先ほどの触手に加え、軌道を修正した無数の浮遊する触手たちが、閉められた昇降口の扉へと近付いて来ている。
「でもどうするのよ?」
「屋上に向かうわ。ちょっと面倒だけど、階段でね……その前に」
獲物が近付いてきたのを察知したのか、階段の最下段には先ほどやり過ごした無数の黒い影の手が再びその姿を晒していた。
「邪魔よ――アンタら」
メイは躊躇無くその階段へと近付くと肩に担いでいた大鎌を目に見えぬ速度と見事としか言えぬ手さばきで旋転させ、足元から生える影の手たちを薙ぎ払い斬り捨てていく。
無数の手がその手首から、腕の途中から、その肘から肉片として裁断され、床に手すりに壁にと叩きつけられていく。
階段周辺が黒い血の海と化し、影の手全てが切り伏せられるまでには10秒も掛からなかった。
「――さ。2人とも行くわよ」
「は、はい……」
床の上に転がった無数の手たちと、それを踏みつけて先を行くメイを前にして。
やよいとメリーは以心伝心とも言うべきか、全く同じことを考えていた。
目の前の少女に『恐怖』という感情は無いのだろうか、と。