転生の扉 3
「……着いた」
カウンターにいた天使の少女と別れた後、男はひたすらに歩き続けていた。少女に教えられた、転生の間へと続くらしい、この廊下を。
その道のりはひたすらに広く、そして長かった。時計など持っていないのでどれくらい時間が掛かったか分からないが、少なくとも5分や10分ではなかったと思われる。
(ここを右……だったな)
たどり着いたとはいえ、そこはまだこの廊下の突き当たり。
左右に伸びる分かれ道を、男は少女に言われたとおり右へと曲がった。
「……なんつぅスケールだよ」
男の先に広がっていたのは、これまた広く長い廊下だった。
先ほどと同じように、この廊下もその終着点は遥か先。目を細めても確認出来ない。
「どんだけ広大な建物なんだここは……」
左右の壁には対称かつ均一に扉が配置されており、足元の床と同じく前方へ果てしなく伸びている。
よくよく見れば、扉の上には長方形の液晶パネルが1つずつ取り付けられていた。扉の向こう側、室内の状況を外へ知らせるための物だろう。それらは赤と青の光を放ち、『空室』『満室』とそれぞれ表示されている。
(広いのはいいけど扉多すぎだろ……いったいどれが転生の間ってやつなんだ)
見渡してみるも、案内板や看板の類は見当たらない。
仕方なく男は、近くを通りかかった天使をつかまえ、話を聞いてみることにした。
「あのー」
「……は、はいっ。何でしょうか?」
大量の用紙を担ぎ、急ぎ足で男の横を通り過ぎようとした男性の外見をした天使。
他の天使たちと同じように、膨大な量の仕事に追われているのだろう。顔色からは疲労が感じ取れ、その息は軽く弾んでいる。
呼び止めたことに少しばかりの罪悪感を覚えつつも、男はお目当ての部屋の場所を質問した。
「あ、転生待ちの方ですか。こちらのベンチにでもお掛けになって、お待ちいただければ……」
「ここで……? その、転生の間って部屋に行かなくていいんですか?」
「いえ。ここが転生の間ですよ?」
その天使が指差したのは、膨大なほど並んだ扉の1つではなく、彼らが今立っているこの廊下。
「……はい?」
「正確にはあちらの曲がり角から……向こうの端までが転生の間となっています」
「あっちから向こうまで……って、この廊下全部!?」
「はい。この廊下全体が転生の間です」
「……ってことはこの廊下にある扉全部そうなの!? 部屋の終わりが見えないんだけど!」
「どうやら受付の説明不足だったようですね……申し訳ありません。この廊下全体が転生の間で、この中にある扉の向こうにある部屋1つずつが全て『転生室』となっております」
「ほぇー……これ全部が転生のための部屋……」
男は、この世界に来てから何度目になるか分からない呆気にとられた。あまりにも広大だ。男がこれまで体感してきた全てと、スケールが違いすぎる。
部屋の水槽内が世界の全てであった魚が、いきなり大海原へと投げ出されたような、そんな衝撃。
「気の遠くなりそうな数だな……」
「最近はこれでも足りないほどでして……お待たせして申し訳ありません」
「あ、いえいえ……じゃあ、この辺で部屋が空くのを待ってればいいと」
「えぇ。お願い致します……こちらにいらっしゃったということは、デスポートを受け取ってらっしゃい……ますよね?」
「あ、はい……」
男は天使に言われ、ポケットからそれを取り出した。
「これですよね?」
デスポートという名の、小さな黒手帳。
ここに来る前、この建物の入り口……カウンターで天使の少女から受け取った、この世界での身分証明書。
「はい。それです……最後のページに、赤文字で整理番号が書かれているはずなので、ご確認いただけますか?」
パラパラとページをめくっていく。この世界で使われている文字だから、それ自体は相変わらず読めないが。
最終ページ。最後の見開き部分。そこには男の顔写真と……男の名前や享年、生年月日といった情報が記録されている……らしい。
顔写真の横に、赤文字で書かれている記号。人間にも読めるようにするためか、そこだけは下界の文字で書かれている。
「えっと、Z―521……?」
これが男に割り振られた整理番号らしい。
「こちらでお待ちいただければ、アナウンスで順番に整理番号を読み上げさせていただきます。ご自分の番号が呼ばれましたら、空室表示の手短な転生室へとお入りください。あとは室内で待機しております天使に従っていただければ、転生の手続きは完了です……よろしいでしょうか?」
「あ、はい……忙しいとこすいません」
「いえいえ。それでは、よい転生を」
説明を終えた天使は律儀かつ丁寧にお辞儀をし、また忙しそうに早足で去っていった。
(……翼がついてるんだから、飛べば良いんじゃ?)
首を傾げていた男の耳に飛び込んできた、デパートの館内放送のようなチャイム。
――……大変お待たせ致しました。デスポート整理番号……F-91からF-184の方。F-91からF-184の方……――
チャイムの後に流れてきたのは、一定のリズムで発音される女性の声。
(……これか。さっき言ってたアナウンスっていうのは)
――……以上の方々は、最寄りの空室と表示されている転生室へとお入りください。繰り返します……――
(天国……じゃなかった。天界ってとこも、わりと事務的なんだな)
男は自分のデスポートをポケットへとしまい、適当に空いているソファーへと腰掛けて自分の番号がアナウンスされるのを待つことにした。
(しかし多いな……ここだけで何人いるんだ)
何気なく見渡した周囲。どこを見ても人だらけである。皆期待と不安を胸に、それぞれの表情、仕草で転生を待っているのだろう。多種多様な様子。
先ほどと同じように、間隔を空けて流れるアナウンス。
その指示に従い、自分の整理番号を呼ばれた者達が扉の向こうへと消えていく。
それでも前世……つまり、下界からこの世界へと死者たちの魂が次々に送られてくるのだろう。
男がそうしてこの場所に来たように、廊下の向こうからここへと歩いてくる人間の外見をした魂……男と同じ、それら元人間の波は後を絶たず、途絶えることはなかった。
(……あれ?)
何気なく観察していたその風景に、男はある疑問を感じた。
(あそこはさっき、オッサンが入って……まだ出て来てないのに、『空室』になった……?)
男が気付いたこと。引っ掛かった違和感。それは、この場所に膨大に存在する扉の向こう。転生室というその部屋が、空くまでの様子。
扉の向こうへと入っていった者達は、そこから出て来なかった。入ればそれっきりである。
中に入った者が出て来ないのに、しばらくの時間が経つと『満室』の赤ランプは消える。
替わりに青く点灯する、扉の上の『空室』表示。
(扉の向こうが転生室っていう部屋……その向こうにも扉とかがあるってことか……?)
解けるわけもなく、別に明らかになったところで何の得があるわけでもないその謎に、男は暇つぶしとして思考を傾けていた。
そうしている間にも、転生室へ吸い込まれるように幾人もの人が消え、繰り返される案内のアナウンス。新たに転生を待つ人々と忙しそうに移動する天使たちの往来。
この場所から見える様子は、変化に乏しいものだった。