鏡の向こう側
「この鏡が入り口……じゃが、どこに行くんじゃ?」
「さぁ? さすがにそればっかりはねぇ。まぁ『杏子より梅が安し!』ってね」
「『案ずるより生むが易し』……な。正しくは」
「それそれ。とにかく、アタシらも行ってみますかね……っと」
服の下はどうなっているのか、メイは無造作に自身の胸元へ手を突っ込むと、1枚の手鏡を取り出した。
キュートなウサギ柄、ファンシーで女の子らしい手鏡である。
「じゃっじゃーん!」
「お前さん何枚手鏡を携帯しとるんじゃ……」
「さっき大和に貸したのがアタシので、こっちは他の生徒のやつよ。廊下ですれ違った時にこう……ササッとね」
(育ちの悪さというやつか……)
「あっ! だったらアイツにはアタシのじゃなく、こっちの鏡を貸せばよかったわ……しくじったー」
「どーでもええわい。ほれ、ワシらも行くぞ」
「そうね。サッサと行って、アイツらに説明責任ってやつを果たしてやらないと」
(コイツ、難しそうな言葉使えばオーケーと思っとらんか……?)
「この辺かしらね……っと」
メイは先ほどの大和とおよそ同じ位置に立ち、ペン八を担いで手鏡を掲げる。
2つの鏡が合わせあった時に起こる現象……『合わせ鏡』。
大和からの状況で、おそらくこれが『神隠し』の鍵となるであろうとメイは想定した。
結果はまさしくその通りで、先ほど2人の目の前で大和が消え、今まさにメイ達も飲み込まんとしている。
(さてさて……どうなるものかしらね)
合わせ鏡の向こう側。
無限に思える、鏡同士の反射……その先に、それは姿を現した。
メイの持つ手鏡に映る姿見。
最も奥のそれが、まるで影を映しているかのように黒く染まり、やがてその影が無数の黒い手の形へと変わり、鏡から飛び出すようにこちらへと迫って来た。
メイたちが振り向こうとする間もなく、その黒い手は彼女らの身体を掴み、姿見の中へと引きずり込んだ。
それはまさに瞬きよりも早く。
次にメイたちが目を開いたときには、すでに彼女らの身体はおよそこの世のものではない空間へと投げ出されていた。
赤と黒、それに紫が混在する、極彩色のトンネル。
メイとペン八は風に流される風船のように、奥へ奥へと吸い込まれていく。
(亜空間トンネル……こりゃ仕掛けたヤツはけっこうな霊力持ちね……問題はドコに連れて行かれるかだけど)
「しかしメイ。どうして最初にワシらで試さなかったんじゃ? わざわざ大和まで『神隠し』に遭わさんでも……」
「あぁ……聞こえは悪いけど、ちょっと試させてもらったのよ。これを仕掛けた元凶……真犯人か。そいつの意図ってやつをね。無差別なのか、それとも何か狙いがあるのかを」
「……どっちなんじゃ?」
「無差別ではなさそうね……わざわざあんな鍵を設置するくらいだから」
「鍵というと、さっきの『合わせ鏡』か?」
「そ。もっと言うと『ある程度の霊力を持つ者が合わせ鏡をする』ってのが、あの姿見に吸い込まれるための鍵よ。この通りアタシたちも吸い込まれたし」
「ふむ……しかし、ワシは大和からそれほどの霊力は感じなかったが」
「たしかにあれじゃ、地縛霊すら見えない程度でしょうけど……でも最低限以上の霊力はあったからね。それでいいってことでしょ。先にいなくなったやよいも、大和と同程度の霊力はあるみたいだし」
「やよいの霊力が分かるのか?」
「直接会ってはいないけど、さっき教室でやよいの教科書から感じ取れたのよ……持ち物に残留した霊力から、なんか特徴を得られればって思ってただけなんだけど」
(抜け目ないというか、鋭いというか……コイツは)
「ただそうなると、次の疑問は『なんである程度の霊力を持つ者を求めてるのか』ってトコになるけど……おっ?」
会話をしつつ、亜空間の中を進んでいた2人だったが、それも終わりが見えてきた。
ここまで、見据えた先……前方には、長いトンネルのように闇しかなかったが、そこに光が見えるようになったのだ。
1秒ごとに、確実にそこへ近付いているらしく、その光は少しずつ大きさを増していく。
「どうやら出口みたいね……いや、ひょっとして入り口かしら?」
「どちらにしろ、落ちた先が地獄の底とかでなければいいがの……」
「そーなったらそーなったってことで……ま、なんとかなるっしょ」
「やれやれ……」
彼女は何も変わらず、何も怖れず。
いつも通りにしか見えぬ、マイペースな会話をしながら2人はその光へと飛び込んだ。
次の瞬間、顔面から床に落下することになるとは、さすがに予想出来ずに。
メイとペン八が、鏡の中の亜空間へと飛び込む、ほんの少し前のこと。
実質、騙されたのに近い形で先行して飛び込んだ大和。
「……なんなんだよこれ」
後の彼女たちと同じように、彼もまた亜空間のトンネル内を進んでいた。
進んでいるとは言っても、自身の意思によるものではなく、川の流れに身を任せるようなもの。
体験した事はないが、宇宙空間に出ればこんな感覚なのだろうか。
「なんだ……?」
周りは極彩色。遥か前方に広がる闇を目指すだけだった状況に、変化が訪れる。
現れたのは一点の光。だがそれは彼の一呼吸、一脈毎にたしかに広がりを見せ、やがて前方にあった闇を全て覆うほどの大きさになる。
(出口……か?)
どうやら、確実にその光へと近づけているらしい。
様々な悪い考えも脳裏に浮かんだが、自分では止まるも戻るも出来ぬのだからどうしようもない。
「――――っ!」
大和はその光に目前まで近付き、直視できぬまぶしさに目を閉じ、身構える。
まぶたの向こう側が、強烈なフラッシュに包まれた次の瞬間。
「へ……? うわ……っだぁ!?」
「――っきゃあ!?」
彼の身体は亜空間から解放され、重力によって落下した。
落ちた先、身体を打ちつけたのは硬い床。
鈍い激突音。驚きに声を上げた大和と、もう1人の少女の声がその場に響く。
「あだだ……っなんなんだよいったい……?」
無防備な体勢で床に叩きつけられ、派手に額を打ってしまった。
驚きと痛みがで軽いパニックになりつつ、顔を上げてみればそこは夜の世界。
「……あの、大丈夫……です?」
「うおぉっ!?」
「きゃっ!?」
先ほどまで夕刻前にもなっていなかったというのに、この場所はまるで夜のように暗い。
突然にして急激、普通ならありえない時間の経過。
だがそれ以上に彼を驚かせたのは、背後から発せられた女の声だった。
「あ……あの、そのー……」
(だだだだだ、誰なんだ……この女の声は……!)
「あの、ごめんなさい……驚かせちゃい……ました?」
(メイの声じゃない……ペン八の声なわけがない……つーことはなんだ。まさか、妖怪とかそういう……)
「……あのぉー?」
「は、はひっ!?」
「大丈夫ですか? ……突然落ちて来ましたけど」
「だ……大丈夫です! この通りピンピン……あ、いや、してないです……だから食べないで下さいっていうか俺なんか食べてもきっと美味しくないと思っ……」
「……もしかして、大和?」
「へっ……?」
妖怪か化け物ではないかと怯えていたが、よくよく聞けば彼にとって非常に聞きなれた声。
恐る恐る後ろを振り返ってみると、目の前にいたのは彼のよく知った顔。
幼馴染の少女、信濃やよいの姿が、窓の外から差し込む月の光でぼんやりと照らされていた。
「やよい……なのか……?」
「大和……だよね?」
手を伸ばせば届く距離。
照明は無く、互いの姿を映すのは頼りない光、月明かりだけ。
それでも大和はやよいが無事だったことに、やよいは救いを望んでいた状況に大和が現れたことに心底安堵した。
「う……うぅ……っ」
「やよい! 無事だったんぬわぁっ!?」
「――っうわあああああああん! 大和おおぉぉぉー!」
「へぶっ!?」
感動の再会……のハズだったが、やよいの泣きながらの突進が大和を押し倒し、彼の後頭部が床板に直撃した。
さらに抱きつかれた腕と肩の位置のせいで、首までガッチリ絞まるというオマケ付だ。
「大和おおぉ……怖かったよぉぉ……!」
「わ、わかっ……げふ……! く、首……絞まってるから……息が」
幼子のように泣きじゃくるやよい。
必死に降参を訴える大和。
メイとペン八が、大和を追って同じように落下してきたのは、そんな時だった。
「いっ……ぶっ!?」
「おっと……!」
「……うぐっ!?」
メイが先に落下し、遅れてペン八が落ちてきた。
メイは油断していたのか、ロクに受け身も取れず顔面から派手な音を立てて床板へ。遅れてきたペン八が彼女の後頭部へ着地した形である。
「ふむ……こんな所に出るのか。……見たところ、古い教室じゃな……」
「ふんがあああああぁぁぁぁぁーっっっ!!」
「うぉっ!?」
メイの頭部を足蹴に、冷静に周囲の状況判断を進めていたペン八だったが、踏みつけられていたメイの怒りが爆発し、彼女の頭から転げ落ちる。
次の瞬間には、ペン八の両頬はメイに鷲づかみにされ、まるで麺生地のように左右に引き伸ばされた。
怒りの炎で顔面が真っ赤に染めたメイであったが、床板にぶつけた鼻頭が特に赤くなっていた。
「こぉんのドブペンギンがぁ! よりによって顔面ダイブした頭踏みつけにくるとか神経腐ってんのぉ!?」
「ふがふがふがががががぁぁぁーっ!」
「め、メイにペンは……ぐぐっ……ちょ、やよ……まじ絞まって……るが」
「うわああああああぁぁぁん……!」
怒りに我を忘れる者、その怒りを受ける者、呼吸困難に陥る者、泣き止まぬ者。
阿鼻叫喚、ある意味地獄絵図な光景だった。