マスクの女 2
「……暑いのう」
殺人的に照りつける真夏の日差し。
その直射日光をかろうじて避けることの出来る公園の木陰。
人気のない公園内に点在する、古臭いベンチの上で彼はうなだれていた。
「……溶けそうじゃわい。マジで」
彼の名は、ペン八。
とある事情……というか、務めを果たすためこの街へとやってきた少女メイの、仕事上のパートナーであり使い魔。
「この暑さ……ワシにはキツイわい……いや、人間にもツライか」
そう、『使い魔』なのである。
故に、彼は人間ではない。
というか、すでにその見た目からして人間とはかけ離れている。
――ママー。あそこにペンギンさんがいるよー?
――ぬいぐるみでしょ……ほら、急がないとスイミングスクールに遅れちゃうわよ。
「……ふん。誰がぬいぐるみじゃ」
傍目には『公園のベンチに置き忘れられたぬいぐるみ』にしか見えない。それも、ペンギンの。
それが、彼の外見。
青と白の体毛。黄一色のクチバシ。炎を模したかのような鬣。
どこからどう見ても、ペンギンにしか見えない……どころか、そのもの。まさにペンギン。
無論、中身もペンギンである。
要するに、彼ことペン八は『ペンギンの姿をした使い魔』なのだ。
「あ……ああぁぁぁ……暑い。溶ける……ホントに溶け」
「……腐れペンギンのバターなんて誰も食べないだろうから、まだ固形を維持しときなさいよ」
「誰が腐れペンギンじゃ! ……あ」
ペン八は一瞬、思わず声を出して反論してしまったことに焦った……が、すぐにそれが杞憂だと気付く。
彼に悪態をついてきたのは、使い魔である彼のパートナーの少女、メイだったからである。
「キサマか……遅かったのう」
「昼間っから公園のベンチでダラダラと……アンタは窓際族の中年ダメリーマンかっての」
「仕方ないじゃろ……人間と違って、ペンギンには耐え難いものがあるぞ。この暑さ……」
「霊魂なのに、不便よねぇ……お空も飛べないし」
「あっ! またペンギンを馬鹿にしたな貴様……っ!」
ペン八は、使い魔である。
使い魔とは、悪魔だけが所持することを許される……彼らのみが扱うことの出来る、動物の姿をした霊魂。
文字通り霊力の塊である使い魔は、普段は悪魔のパートナーとして。
有事の際には自らの身体を武具に変え、主人の手助けをする存在。
つまり、使い魔を有している彼女……メイは、悪魔でもあるということ。
でもあるというのは、彼女は決して、悪魔というカテゴリーにのみ収まる存在ではないからである。
「だ……ダメじゃ。暑すぎて怒る気も失せる……」
「まぁたしかに……温暖化だかなんだか知らないけど、ちょっと暑すぎよねぇ……アタシだって死にそうだもん」
とっくに死んでるだろうとペン八はツッコミを思いついたが、もはや口を開くのも億劫だったので止めた。
彼女……メイは3つの属性を併せ持つ存在である。
メイは悪魔である。それは間違いない。
そして人間でもない。とはいえ、彼女もかつては人間だった。
正確に言うなら、彼女は元・人間。
既に一度、死を迎えた者。『霊魂』という、魂だけの存在である。
メイが人間として死を迎え、その魂が天界に召された後。
彼女は自身の魂、その内に秘められた才を見出され、悪魔という存在となること、その力を持つことを受け入れた。
だが、彼女はそれだけに終わらなかった。
彼女が有する3つ目の属性……それは、天使。
生前は人間であり、死後に悪魔となったのに加え……天使としての力、属性をも併せ持つ者。
メイという少女はそういう存在である。
「お……おぉ。そうじゃ。忘れとった」
「何をよ?」
「アイス……」
「アイス? ……あ」
砂漠で行き倒れたかのようにグッタリとしたペン八の言葉で、ようやくそれを思い出したメイ。
手にしていたビニール袋の中をまさぐり、取り出したのは氷菓子。
1本70円と安く、それでいて美味しい。
ヤングに人気の氷菓子『シャリシャリくん』である。ちなみにソーダ味。
「いやすっかり忘れてたわ……ホイ」
「お、おぉう。助かったわぃ……っておいコラ! なんじゃこりゃ!?」
「なにって……『シャリシャリくん』でしょ。ソーダ味の」
「いや、そこじゃなくて……」
「あ、コーラ味のほうが良かったっての? だったら買いに行く前に言いなさいよね……」
「だからそこじゃない……お前、袋開けずにちょっとこれ握ってみろ」
「……は?」
つき返された『シャリシャリくん』を、言われたとおりに軽い力で握り締める。
ぶにゅり。と。
そんな擬音が聞こえそうな感触。
開封せずとも分かる。
長方形型で固まっていたはずのそれが、恐ろしく簡単に潰れ、歪に変形した。
「ありゃりゃ。溶けてるわねこりゃ」
「溶けてるわね……じゃないわいっ! どうすんのじゃコレ!」
「いやまぁ……飲めばいいんじゃない?」
まったく悪びれる様子もなくペン八にアイスを放り返すと、メイも木陰へと避難し木に寄りかかって座り込む。
ペン八はドロドロに溶けた『シャリシャリくん』を手に、まるで飼っていた小鳥が死んだ少年のような瞳で、その外装を見つめていた。
軽く涙目で。
「飲めばって……くうぅ……ガチガチのこいつをシャリシャリして、頭キンキーンとなるのを楽しみにしとったのに……」
「擬音が多いわよー? ……あ、アイス代3000円ね」
「しかもボッタクリか!」
「なぁによー、いいじゃないのよー。このクソ暑い中、容赦なく降りそそぐユーブイ光線にも負けずに買ってきてあげたんだからさー」
「よくないわい。こんなにドロドロに……もっと早く持ってきてくれれば……」
「仕方ないでしょ。道草食ってたっていうか、食わされてたんだから」
「食わされて……って。そういえば妙に帰って来るの遅かったが、お前さんなにしとったんじゃ?」
ペン八は開封した袋の中へクチバシを突っ込みながら訊ねた。
「んー……べつにたいしたことじゃないんだけどね。ちょっと都市伝説に遭遇したのよ」
「都市伝説……?」
もはやほとんどジュースと化したアイスを吸いながら、ペン八は質問の意味で復唱した。
「そ。路地裏で『口裂け女』に出くわしてさ」
「なんじゃ、そんなこ…………そんなことおぉっ!?」
「っちょぉ!? きったな! ソーダ混じりの唾液飛ばすんじゃないわよボケッ!」
あまりにも普通に。サラッと言い流したメイの言葉に、ペン八は思わず振り返りつつ全力で噴き出してしまった。
「あぁ、スマンスマン……」
どこから取り出したのか、高級そうなハンカチを取り出してクチバシ周りを拭き取るペン八。
「ペンギンがハンカチって……」
「紳士なら携帯してて当然じゃろう」
「ペンギンが紳士って……」
「ペンギンペンギンやかましいわいっ! ……で、なんじゃって? 『口裂け女』に出くわしたと?」
「そ。路地裏でね……」
「襲われたのか?」
「なんかね、勝手に消えてったわよ」
「……は?」
「んとね、話しかけられたんだけど……」