転生の扉
どこまでも続く、澄み切った青の空。
その下に、地の代わりに広がる白雲。
少女に手を引かれ、男は雲の上にその足を着ける。
足元の雲は突き抜けることも沈むこともなく、かつて男が暮らしていた地上における地面となんら変わりはなかった。
「……お待たせしました。到着ですよ」
「本当に……雲の上なんだな」
「ええ。ここはその名の通り、天界ですから」
目の前に広がる、雲の上の世界で。
軽く呆気にとられている男にその少女は微笑みながら答える。言葉の通り、天使の笑顔。
それに加え、清楚で可憐な純白の衣装は少女の清純そうな印象をより高めている。
その少女は、人間ではない。
容姿こそ男と同じ人間のそれであったが、背には輝く白銀の翼が煌めき、頭上には黄金色の光輪が浮かぶという、人間が持てるはずの無い要素を有している。
その名前と想像上の容姿だけは、何度もおとぎ話や絵画で目にし、耳にしてきた。
それは天使。人ならざるものにして、神の使いという存在。
それが今、こうして男の目の前にいる。
「……これが、天国なのか」
「いえ。それは下界……『人間界』における俗称です。正確に言うと、ここは私たち天使が暮らす『天使界』と言います」
「正式名称があるんだ?」
「ええ……悪魔はご存知ですよね? こことは別に、悪魔たちが暮らしている『悪魔界』という世界もあります。その2つを併せて、貴方たちが暮らしていた下界と対を成す天界というわけです」
「なるほど……」
「ご理解いただくのが早くて助かります……えっと、前方をご覧ください。ゲートがいくつも並んでいるのが見えますよね?」
天使の少女が指差した先を確認するとたしかに前方、そう遠くない場所にゲートがあった。遊園地の入り口などでよく見る、あのゲートだ。
とはいえあれほど巨大にして、同じようなゲートがいくつも横一面並んでいるという光景はさすがに目にしたことはなかったが。
「なんか、とんでもない数なんですけど……」
「それぞれのゲートで柱が色分けされてますよね? 緑のゲートへお願い致します。そちらが人間用のゲートですので」
「あ、それぞれ違うの……って、うおぉっ!?」
男は驚愕した。
地上における百獣の王と呼ばれる動物。
テレビで見たことしかなかったそれが傍らをのしのしと横切ったからである。
「ら……ららら、ライオン……っ!?」
「ライオンですね……あ、ご心配なく。下界と違って彼ら肉食獣に近付いても食べられたりはしませんから」
こちらに見向きもせず、興味ないと言わんばかりに横を通過したライオンは、まっすぐゲート方面へと向かっていった。
目を凝らしてみれば、ゲートによって集まっている種族はハッキリと別れている。
人間はもとより、犬猫といった小動物やゾウにライオン、ワニといった大型の動物まで。
どのゲートにも言えるのは、たとえ天敵と言われる種族がすぐ隣にいようが、まったく争いが起きる気配がないということ。
「この場所は天使界の入り口ですから。それぞれの種に対応したゲートをくぐるまでは、地上に存在していた様々な種が混在しているんですよ」
「……はぁ。とりあえず人間の俺はあの緑色のゲートに向かえばいいと」
「はい。とりあえずそういうことです……すみません。私はまた下界へと向かわなければなりませんのでこれで……」
「忙しいんだな」
「そうなんです……ご質問ですとか、何かございましたら他の天使たちにお願い致します」
「あぁ。サンキューな」
「いえ……それでは、よい転生を」
短い別れの挨拶を済ませると天使の少女は翼をはばたかせ、その場を飛び去っていった。
「さてと……」
天使の少女と話している間にも、何人もの人間、何匹もの動物たちが新たにこの場所へと降り立ち、皆同じように黙々とゲート方面へ向かっていた。
他に目印らしき場所もないし、他にやりたいことがあるわけでもない。
先ほど説明された通り、素直にゲートへと向かったほうがいいだろう。
「……行きますか」
男も周囲に習い、前方に見える緑のゲートへと向かった。
「ゲートを通過し終わるまで、列を乱さないようお願いしまーす!」
「急いでも転生は早まったりしませーん! 慌てず、騒がず、前の人とあまり間隔をあけずにお進みくださーい!」
メガホンを手にした天使たちが、ゲートへと集まった人々を誘導している。彼らがゲートの管理役なのか。
先ほど別れた天使の少女と同じように彼らもまた背に翼を携え、その頭上には光輪が浮かぶ。
誠実さの証明、天使の象徴であるかのような、純白のゆったりとしたローブ。服装もまた、皆同じ物であり、そこに男女間の違いは見受けられない。
(……すっげぇ人数)
人間用のゲートに到着すると、そこは数え切れぬほどの人でごった返していた。休日のレジャー施設だってもう少しマシだろう。
ゲートの入り口自体は数えるのも面倒なほどの数が用意されていたが、それでも焼け石に水と言えるほど2つのバランスは崩壊している。
(テロとかの心配は……しなくていいんだろうな。ここにいる皆、もう死んじゃってるわけだし……)
手荷物を持っている者などいないため、当然荷物チェックなど行われていない。ただ人の流れに従い、一定の速度で前進し、ゲートを通過するだけ。
空港なんかでよく見るようなボディチェックすらされなかった。
どうやらこのゲートを通るのが元人間であれば、あとはどうでもいいらしい。
まぁ、死後の世界でテロを起こそうなんて物騒な事を企てても、魂だけの状態で爆弾とか武器を用意出来るとは思えないから、この程度のチェックでも問題ないのだろうが。
「うぉっ……!?」
ゲートを通り抜けようとした瞬間、カメラのフラッシュを何十倍にも強めたかのような激しい光に包まれた……が、次に目を開けると目の前には先ほどまで視界になかったはずの巨大な建造物がそびえ立っていた。
(なんだこりゃ……!)
巨大かつ豪華絢爛な、白と金色を基調とした装飾に包まれた建物。
宮殿。まさにそんな言葉がピッタリだろう。
生前、一度だけ野球ドームに足を運んだことがあった。その時も建物の巨大さに圧倒されたものだが、これはあのドーム何個分の大きさだろうか。
目の前のこれはとにかく大きく、豪華で綺麗であった。圧倒されるというより、思わず見とれてしまう。
「ゲートを通過された方々はこちらへどうぞー! こちらが『天使界中央庁舎』の正面玄関になっておりまーす!」
先ほどゲートを通った際に光に包まれたあれは、俗に言う「ワープ」というやつだろうか。周囲を見れば、自分と同じように先ほどのゲートを通過してきたらしい人々が何人も、何も無いその空間に突然姿を現していた。
そして前方。この建物の入り口らしい、巨大なガラス扉がいくつも並ぶその場所。そこに立つ天使たちがこれまたメガホン片手に人々を誘導していた。
(……とりあえず行ってみるしかないか)
周りの人間……元、人間か。彼らと同じように、その男もこの場所に来たのは初めてだし、この世界の地理、他に行ける場所など知っているはずがない。ならばここは天使さんたちの案内に従うしかないだろうと男は納得した。せっかくカーナビのように丁寧に誘導してくれているのだから。
周囲の人々がそうしているように、男もまた人の流れと天使の誘導に従い、その中へ足を踏み入れた。
『天使界中央庁舎』という、規格外で想像の範疇を超えた、その建造物へと。