嵐のあとに描く航路
翌朝、港は灰色の雲に覆われていた。
風が荒れ、波が石畳を叩く音が遠くまで響く。マリナは机の上の図面を押さえ、窓を見つめた。
昼過ぎ、レオナが駆け込んでくる。
「倉庫が浸水した。図面も一部流されたの。セドリックが取りに戻って……足を滑らせたらしい。診療所にいるわ」
マリナは席を立った。胸の奥で、鉛のような重さが広がった。
*
夕方、港の診療所。
セドリックは足に包帯を巻き、濡れたノートを手にしていた。ページの端は滲んでいたが、中央の港の線だけは残っている。
――この線だけは、消したくなかった。
マリナはそのノートを撫でた。
「どうして、こんなに無茶を」
声は届かない。セドリックは筆記具を取り、震える手で書く。
――あなたの線がないと、港は描けない。
マリナの目に、涙が滲んだ。
彼女を縛っていたものが、静かにほどけていく。
「……行きましょう」
ノートを抱えたマリナの言葉に、彼は頷いた。
外には、雨上がりの光が差し込んでいた。
*
翌日、嵐が過ぎた港で、二人は再び測量を始めた。
セドリックが角度を測り、マリナが線を引く。紙の上の航路は、まっすぐに未来へ伸びていった。
――線は、見えない音みたいですね。
――聞こえないけれど、確かに響いている。
二人の文字が、ひとつの会話になった。
作業を終えるころ、地図には新しい港の形が現れていた。
レオナがやってきて、微笑む。
「いい線ね。マリナ、あなたの描く地図、変わったわ」
マリナは照れたように笑い、セドリックを見る。
彼は静かに手帳を開き、一行書いた。
――この線が、僕らの港になる。
マリナは筆を取り、続ける。
――ここから、また始まりますね。
潮騒が、遠くで静かに響いていた。
二人の筆跡が重なる。音のない世界に、新しい航路が生まれていた。




