聞こえない音、見えない心
港の朝は慌ただしい。
再開発計画の準備で、人も船も増え、地図局にも新しい指示が届いていた。港全体を描き直す大仕事。マリナは広げた古い地図を前に、過去の誤りを思い出していた。
測量を誤って小島を見落としたあの日。港の作業が一週間遅れ、責任を感じた。
「また、あの時みたいに……」
小さくつぶやくと、扉が開いた。セドリックが入ってくる。
――北防波堤の測量、終わりました。記録を確認してください。
マリナは頷き、紙を受け取る。数値は正確そのものだった。
――正確で助かります。あなたの測量は信頼できます。
そう書いて渡すと、彼は微笑んだが、どこか遠い影を落としていた。
*
昼過ぎ、局の中がざわついた。
「再開発の中心図面、マリナが担当か? 前回の件、まだ覚えてる人もいるだろ」
そんな囁きが耳に刺さる。マリナは鉛筆を握りしめた。
隣の席のセドリックが、彼女の手の震えに気づき、手帳を開く。
――何かあった?
首を横に振るが、指先の力は抜けなかった。
*
午後、二人は港の北側へ出た。潮風が強く、波音が近い。
セドリックが測量器を設置し、マリナが角度を記録する。沈黙が、かえって安心に感じる。
だが、遠くで作業員たちが笑っていた。
――「失敗の地図師」「また狂うぞ」
その言葉が風に乗り、マリナの胸に刺さる。
手が止まり、視界がにじんだ。
セドリックは静かに近づき、肩を叩いた。
――線は音のように伝わる。きれいな線は、誰かの心を静かに動かす。
マリナは目を見開いた。彼が続けて書く。
――僕も昔、測量を誤って海に落ちた。音を失ったのはその時。でも、線だけは正確に引けるようにと思った。
マリナは震える手でノートに記した。
――私は、間違えた地図をまだ許せていません。
セドリックは首を横に振る。
――前を見るより、今を描く方が簡単です。
二人は同じ紙に、港の輪郭を重ねた。
二本の線が一つになった瞬間、マリナの中で何かが動いた。
*
局へ戻ると、レオナが待っていた。
「明日は嵐になるらしいわ。作業は中止。でも来週には新しい航路図が必要」
マリナは視線を落とす。嵐。過去と同じ空模様。
セドリックは手帳を開いた。
――嵐が過ぎたら、もう一度港を測りましょう。新しい線を、二人で。
マリナは小さく頷いた。
窓の外では、波が高くなっていた。
彼の文字が、心の奥で静かに響いていた。




