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港町の地図師として働いていた私は、音を失った青年と新しい航路を描く  作者: くまくま


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1/3

地図局に来た静かな青年

 潮の香りが、紙の端にかすかに残っていた。

 マリナは鉛筆の芯を削り、開いた図面を指先でなぞった。港の入り口を示す曲線は、何度描いても納得できない。今日も朝から、波のように線を引いては消していた。


「マリナ、新しい測量士が来たわ」

 上司のレオナが声をかけた。淡い金髪をひとまとめにした彼女は、書類を抱えて立っている。


 扉の方を見ると、青年が立っていた。潮風に晒されたような灰色の髪、まっすぐな背筋。静かな空気をまとっていた。

「セドリック・ハルトです。今日からお世話になります」


 口元は動いたが、声は届かなかった。レオナが軽く手を振り、説明する。

「彼、耳が少し不自由なの。話すより、書いた方が伝わるわ」


 セドリックは胸元から小さな手帳を取り出した。

 ――港の北側の測量を担当します。どうぞよろしく。

 丁寧な筆跡だった。


 マリナもメモ帳を取り、返す。

 ――こちらこそ。図面の写しは私がまとめておきます。


 その文字を見て、彼は微かに笑った。仕事の挨拶に過ぎないのに、不思議と胸の奥が温かくなった。


 午前の作業が始まる。

 測量器のレンズ越しに、海がきらめいていた。セドリックの手際は見事だった。言葉を交わさなくても、仕事は驚くほど滑らかに進んだ。


 昼休み。窓の外では、潮が引き、船の影が岸に伸びている。

 ふと見ると、セドリックが手帳に何かを書いていた。覗き込むと、測量のメモの横に港のスケッチがある。

 ――潮が引くと、ここの砂州が顔を出す。鳥が多い。

 小さな鳥の絵が添えられていた。


 マリナはその余白に書き足した。

 ――地図に残すなら、この影も入れた方がきれいです。


 セドリックが驚いたように目を見開き、やがて頷いた。

 午後、図面を仕上げる。紙の上の線がいつもより柔らかく見える。彼の測量線を重ねたせいだろうか。


「いい線ね」

 背後のレオナが言う。

「久しぶりに、人の手が交わった地図を見た気がする」


 マリナは笑いながら答えた。

「偶然ですよ。彼が几帳面なだけです」

 だが、その線を指でなぞりながら、心のどこかでわかっていた。これは“誰かと描く”線だった。


 夕暮れ、セドリックが手を上げた。

 ――明日も、同じ時間でいいですか。

 マリナは頷き、返す。

 ――潮が引く前に始めましょう。光が柔らかい時間がいいです。


 扉を出ると、空は茜色に染まっていた。

 手のひらの鉛筆の粉を見つめながら、マリナは思った。

 明日は、どんな線を描けるだろう。

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