銀髪のエルフと失われた星屑
安宿の薄暗い部屋に、二人分の荒い息遣いだけが響いていた。タクミは扉に背を預け、追手が来ていないか耳を澄ます。ルナリアと名乗ったエルフの少女は、部屋の隅で膝を抱え、まだ小刻みに震えていた。
「…もう大丈夫だとは思うが、しばらくはここにいよう」 タクミはそう言うと、スキルを使って手のひらに一杯の綺麗な水を作り出し、彼女に差し出した。 「とりあえず、これを。汚れていないから」
ルナリアは驚いたように目を見開き、タクミの手のひらと、何もない空間から生まれた水を交互に見た。しかし、今はその不思議な現象を問いただすよりも、喉の渇きが勝ったようだ。彼女はこくりと頷き、両手でタクミの手から直接水をすくって飲んだ。
その姿は、まるで怯えた小動物のようで、タクミの庇護欲を掻き立てるには十分だった。 少し落ち着きを取り戻したのか、ルナリアは青い瞳でタクミをまっすぐに見つめた。
「あの…改めて、お礼を申し上げます。わたくしは、ルナリア・シルヴェスト。故郷の森を離れ、旅をしておりました」 「タクミだ。見ての通り、駆け出しの冒険者だよ。それより、なぜあんな奴らに…さっき、『月の民』とか言っていたが」
タクミが尋ねると、ルナリアの表情が曇った。 「月の民とは、わたくしたちエルフ族の中でも、特に古い血筋を受け継ぐ者たちの俗称です。魔力親和性が高く、その髪は月光を浴びると銀色に輝くことから、そう呼ばれています。…それ故に、闇市場では高値で取引されると聞いています」
彼女は自らの銀髪を一房、悲しげに指でなぞった。この美しい髪が、彼女に危険を招いたのだ。
「故郷の森から…?一人で旅を?」 「はい。…どうしても、このアークライトで手に入れなければならないものがありまして」 「手に入れたいもの?」
ルナリアは一瞬ためらったが、自分を命懸けで救ってくれたタクミを信頼したのか、意を決したように口を開いた。 「『星屑の砂』です。それは、古代の魔法具を修復するために必要な、特殊な触媒なのです。わたくしの故郷にある『守護樹』が今、病に蝕まれており、それを癒すための魔法具が壊れてしまって…」
守護樹の病。それは、彼女の故郷の存亡に関わる一大事なのだろう。一人の少女が、里の運命を背負って、危険な人間の街へやってきた。その覚悟の重さに、タクミは言葉を失った。
「星屑の砂は、手に入ったのか?」 「はい。街の秘密の取引所で、ようやく…。ですが…」 ルナリアは悔しそうに唇を噛み、ドレスのポケットを探った。しかし、そこにあるはずの小さな革袋は、影も形もなかった。
「…ありません。あの者たちから逃げる際に、落としてしまったようです」 絶望が、彼女の顔を覆う。故郷の希望を、最後の最後で失ってしまったのだ。
タクミは頭をかいた。面倒なことに巻き込まれた。それは間違いない。今すぐにこの少女と別れ、自分のポーション錬金計画に戻るべきだ。それが、この世界で賢く生きる術だろう。
だが、目の前で打ちひしがれる少女を見捨てることは、どうしてもできなかった。色褪せた世界で無力感に苛まれていた自分に、今の自分なら何ができるのか。試されているような気さえした。
「…どんな袋なんだ?」 「え?」 「だから、その星屑の砂が入ってた袋の特徴だよ。どんな形で、どんな色で、大きさはどれくらいだ?」
ルナリアは驚きで目を見開いたが、すぐに必死の形相で答えた。 「! 青い革でできていて、手のひらに乗るくらいの大きさです!銀の糸で、月の刺繍がしてあります!」
タクミは脳内で、その袋の姿を正確にイメージした。 (落とした場所は、あの路地裏。まだ残っている可能性は低い。奴らに回収されたか、あるいは別の誰かが…いや、でも)
タクミは立ち上がった。新しい剣を腰に差し、革鎧の締め具を確かめる。 「行くぞ」 「え…どこへ?」 「決まってるだろ。その『星屑の砂』を探しに行くんだよ。あんた一人の問題じゃないみたいだしな」
タクミはニッと笑って見せた。その笑顔は、まだどこかぎこちなかったが、確かに力強かった。 「それに、俺のスキルがあれば、見つけるのは案外簡単かもしれん」
タクミの頭の中では、既にある計画が組み立てられていた。 『物質創造』スキルは、対象の構造を完全に理解しなければ使えない。だが、逆に言えば、もしタクミが星屑の砂を創造できたとしたら、それは本物の構造を完全に理解したということになる。
(あの路地裏に残っている砂の粒子、たとえ少量でも見つけ出して解析できれば…あるいは、袋の痕跡からでも情報が得られるかもしれない)
彼のスキルは、錬金術だけではない。超高精度の「探知機」にもなり得るのだ。
「…信じて、よろしいのですか?人間の、あなたを」 ルナリアが、不安げに問いかける。 「ああ、信じろ。俺は、あんたの希望を創造してみせる」
タクミは力強く答えた。 二人は再び、危険な路地裏へと向かう決意を固めた。少女の故郷の運命と、少年の新たな誓いを乗せて。だが、彼らが探し求めるものが、既にアークライトの巨大な闇を動かし始めていることに、まだ気づいてはいなかった。




