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第8話 夕暮れの再起

 王子の部屋から飛び出したあと。

 私は秘密の場所――宮殿の外れに打ち捨てられた古い温室で、膝を抱えていた。


 ひび割れたガラス越しに夕陽が差し込み、足元を照らす。

 剪定されず伸び放題の薔薇が、あの頃の私みたいに必死に光を探しているように見えた。


 草木がゆれ、少しだけ湿った、ほのかな香りが私を包む。



 ――ようやく、少し落ち着いた。



 王子の一言でこんなに動揺するなんて、私ってば王子のこと、まだ割り切れてなかったんだな……なんて他人事のように思う。



 仕方ないかもしれない。

 幼い頃のラウル王子は……私にとって、名実ともにたった一人の王子様だったのだから。



 クローディア家の教育は苛烈だ。

 幼い頃から家の役に立つ人間になれるように、あらゆる技能を徹底的に叩き込まれる。


 7人きょうだいの5番目の私は、頭はよかったが、見た目がいまいち地味だった。


 貴族令嬢の価値は教養・家柄、そして――容姿で決まる。


 幼い私は『容姿』以外の部分で頑張って両親に振り向いてもらおうと、必死に頑張った。寝る間を惜しんで教本を読みあらゆる教養を身につけようとし、楽器や舞踏も文字通り血の滲むような努力をした。



 そんな私に寄り添ってくれたのが、ラウル王子だった。


 当時、クローディア家に預けられていた王子。

 彼はクローディア家の子供の中で一番年の近い私に、なぜかいつも、かまってくれた。



 一緒に書き取りの練習をしていたら、いつの間にか横で寝てて。

 楽器の練習をすれば、勝手に横で歌い。


 ……ダンスの練習ではいつだって上手にリードしてくれた。


「リセはいっつも頑張ってるな。えらいぞ!」


 誰にも褒められることのなかった幼い私は、その言葉にどれだけ救われただろう。

 そんな王子がある日、将来を誓ってくれたことが、どれだけ嬉しかっただろう。





 ……やっぱり……これは、仕方ないわ。

 割り切れてなくてもさ。


 それでも、もう振り切らないと。

 だって王子は私との思い出を、忘れてしまったんだから。



 過去は過去。

 後ろばかりみてるのなんて、かっこわるい。



 私は、私のために未来に踏み出す。

 王妃になる!



 目をつむって自分に言い聞かせてみるけど、どうしてかまだ、立ち上がる気にはなれなかった。


「……くやしいけど、重症かもね」


 そう、呟いたとき。

 コツン、と石畳を叩く音がした。



 ――誰?


 弾かれるように音の方を見ると、そこには……



「まさか、リセ様でしょうか」



 レオニスが、いた。


 ガラスに滲む黄昏が、銀糸のような髪を黄金に染めている。

 長い睫毛の影が揺れた刹那、その灼ける瞳が温室の薔薇よりも鮮やかに輝いた。


 慈悲深く微笑む姿はまるで……落日の中に降り立った天使のよう。


「このような場所で、お会いするとは……」


 けれどよく見ると目元はどこか力なく、眉も少し下がっていて。

 なんだか疲れているような、悩んでいるような。そんなふうに見えた。


 まあそれもそうか。



『宮廷史上最大のスキャンダルか――王弟殿下と王子殿下、禁断の関係?!』



 なんて噂が流れてるんだからね。


「……もしよければ、私も座っていいですか?」


 問われて、心の中で理性的な私が叫ぶ。


『レオニスとふたりでいるところを見られたら変な噂が立つ! そうなれば王弟派の勢いが盛り返すかも! 今すぐこいつから離れなさい!』


 ……と。

 それでもどうしてか、今の私は動こうと思えなかった。


 かといって、レオニスの問いに進んで応える気にもなれず……黙っていると、レオニスは私から人ひとりぶん離れた石畳に腰を下ろした。


「実は今、母に会ってきました」


 突然の自分語りも、ここまで顔がいいと許せてしまう気になるのはなぜだろう。

 美しいのは罪だというが、やっぱり得だ。


「リセ様は宮廷の事情に通じていらっしゃるので、ご存じでしょうが……もう、永くないと言われています。たまには顔を見せるのが親孝行かと思いまして」


 レオニスは、王子の父上の年の離れた腹違いの弟だ。

 前の前の王様が年を取ってから海の向こうの皇女様を後妻に迎え、その間にレオニスが生まれた。


 しかし数年前……ちょうど王子が戦場の黒獅子として戦場で名を上げ始めたころ、病弱だったレオニスの母親はついに倒れた。以来ずっと部屋にこもり、社交の場にも一切顔を出さないと聞く。



 体調を悪くした母親の元に通ってあげるなんて、王子が言う通りレオニスは『やさしい』な。……私と違って。



 自分の心の狭さにちょっと傷つき、俯く。



 しばらく無言でいた後、ちらっとレオニスの方を伺うと、レオニスは何も言わずになんだか生暖かい眼差しでこちらを見ていた。


 気まずくて視線を逸らすと、しばしの間ののち、レオニスは私に問うた。


「あなたが王妃を目指すのは、財や権力を得ることでしょうか」


 違う。

 王妃になってお金や地位を得るなんて、むしろ効率が悪い。

 そんなものが目的なら、とっくに別の道を選んでいる。


 レオニスに声を届ける術のない私は、ただ黙って首を振る。


「それでは、家のためですか」


 それも違う。

 私はクローディア家の一員だ。

 けれど、自分を殺してまであの冷たい家に奉仕してやる義理は……ない。


「……王子殿下のためですか」


 ……違う。

 絶対、違う。


 もしかしたら昨日までは、少しそういう気持ちも持っていたのかもしれない。

 でも……もう、今日からは違う。



 そのとき、温室に一陣の風が吹き込んだ。

 風は草木を揺らし、レオニスの肩口を抜け……私を貫くように駆け抜けた。


 まるで、私を煽るように。

 なんだかタイミングが良すぎておかしくなり、軽く笑った。



 その勢いを借りて、私はついに立ち上がる。



 傾いた陽が、温室を真っ赤に染める。

 長く伸びた私の影が、足元から遠くまで走ってゆく。


 その先に立つレオニスの双眸を、私は真正面から射抜き――

 胸に手を当て……はっきりと言い切った。




「私は、私のために生きる」




 瞬間、レオニスの瞳が軽く見開かれ、灼けつくように紅い瞳がはっきり揺れた。

 そしてほどなく、その目は静かに伏せられた。


 風は止み、ふたたび静寂があたりを満たす。


 私の声はレオニスには聞こえない。

 だから、彼が何を感じ取ったのかはわからない。


 けれどもし、彼が私の唇を読むことができたなら……もしかしたら。




 私はその場で一礼をし、スカートを翻してその場をあとにした。



 まだ、私はやれる。

 戦える。



 あの様子だと、どうせ兄は王子の代役を用意することを許さない。


 こうなったらもう……兄を見習って人の心を捨てて、徹底的にやってやろう。

 頭の中をかすめた非人道的なアイディアに、不覚にも悪い笑みがこぼれた。



 他でもない私のために。

 ――私はまた、王妃への道を歩き出す。

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