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第7話 ネズミからナメクジへ

 代役の提案は「理由を説明できないなら却下」と兄に一蹴されてしまった。

 しかし、そんなことで引き下がってはいられない。



 今の王子はヤバい。本当にヤバい。

 アレに即位宣言を仕込むなんて……鼻の穴に拳をブチ込むくらいに無理だ!



 百聞は一見に如かず。

 この絶望を言葉にできなかった私は兄と宰相様を伴い王子の私室に向かった。



 扉の前に控えさせた王子を見張るための衛兵に声をかけ、部屋の扉を開けさせる。


 すると、湿った空気が扉の隙間からふわりと漏れ出す――焼いた肉の匂いと、甘すぎる香水。そして、それだけではない何か。


 ……何度嗅いでも吐き気がする。


 そのまま扉が開け放たれると、そこにはまさに『酒池肉林』といった光景が広がっていた。


 テーブルに食べかけの料理や菓子。

 大きな寝台には寝そべる女たち。

 ……今日は3人か。思ったより少ないわね。男もいないし。


 そして、ソファに寝そべり半裸でいびきをかく王子。

 傍らには栓の空いた酒瓶が何本も転がっている。



 時刻は昼。

 自堕落を絵に描いたような王子の様子に、宰相様は深くため息をついた。

 一方、兄は興味なさそうに扉の近くに椅子を引っ張ってきてさっそく座っている。


 私はその辺に転がっていた変な形の棒切れを手に取り、王子をつつく。


「オラッ! 起きろこのアホ王子!」

「う、うーん……」

「もう昼だっつの! さっさとアホさ加減を見せつけて、代役の必要性をアピールなさい!!」

「ええ……? ひる……?」


 王子は気だるげに身体を起こすと、ゆるゆるとあたりを見回す。

 宰相様と一度目が合ったようだが……すぐに目を逸らす。


 テーブルの残飯に目を留めると、むくりと起き上がり、席について渇いたパンを頬張りはじめた。


「……殿下は近頃、常にこのような調子なのですか」


 宰相様の問いに、私は頷いて答えた。


「ま、地獄はこれからですよ」


 声が聞こえないことをいいことに、密かに毒づいてみる。

 宰相様は二度ほど深呼吸をし、背筋を伸ばしてから、黙々と残飯を掻き込む王子の後ろに立った。


「殿下。このような堕落した暮らしぶり……あなたは本当に王になるつもりなのですか?」

「むぐ……ん? 王……ああ、王ね。なるよ、なるなる」

「王とは、この国に住まうもの全ての命を預かるものなのですよ。それを、そのように軽々しく扱われるなど……言語道断です」

「うん、うん……」


 近頃、王子の食欲は一段と強くなった。

 何もしていないときは大抵なにか食べようとするし、食べている間はこうしてまともに会話が成り立たない。


 時間の無駄だ。会話を再開させるには、強制的に食べ物から切り離すしかない。

 私は外に声をかけ、使用人にテーブルの上や床から飲食物を持ち去らせた。


「ああっ! ごはんが……」


 ラウルは口をポカンと開け、アホ面で残飯が片付けられる様を見送る。

 宰相様は眉間に指をやり、心から悲しそうに王子を見た。


 宰相様は元王子の家庭教師。

 かつて教育を授けた相手がここまでポンコツに堕ちたら、私なら号泣する。


「殿下。即位をしなくとも、あなたには王子として果たすべき役目が……」

「え? なに……夜のポーズのはなし……?」

「はあ……?」


 いかにも教師らしい口調ではじまった宰相様のありがたいお話は、例の『夜のポーズ』発言であえなく中断された。


 挙句の果てになにを思ったのか王子は「なんかちょっとムラムラしてきた……」とか言いながら寝台の女たちの方へ振り向く。



 うん。


 やっぱ、こいつ……ムカつくわ!



 王子にもはや、ゴミクズのかけらほども期待していない。

 それでも、この世の中を舐め腐った態度には、どうしても、どうしても腹が立つ……!


 マグマのように荒ぶる怒りを全肯定しつつ、私は先ほど拾った変な棒で、王子の後頭部をひっぱたいた! ……宰相様の前なので、少しだけ加減して。


「いい加減にしろ! この色ボケアホ王子!」

「いたっ! また、リセがたたいた……! いたいよ……」


 加減してやったのに、王子は大げさに痛がり、涙を浮かべる。

 泣くほど痛くはねえだろうがよ! 元『戦場の黒獅子』でしょ?!


 宰相様は、か弱い令嬢に叩かれ、涙ぐむ王子を信じられないものを見るような目で見ていた。


「まさか……こんなことで涙なさるなど……。父君と戦場を駆け、剣を振るっていたときのこと、お忘れになってしまったのですか?!」

「せ、せんじょうを? かけ……。たぶん、わすれた」

「殿下……?!」


 縋るように私を見る宰相様に、私はただ、首を振る。

「手遅れです。こいつに即位宣言は無理です。代役を用意しましょう」……そんな気持ちが伝わるよう願いながら。



 ……このように、レオニスとの浮名が流れはじめてから、王子のアホはさらに深刻になってしまった。

 前はネズミくらいはあった王子の知能。今はナメクジくらいしか感じない。



 呆然と立ち尽くす宰相様に合掌していると、ふと後ろから肩に手を置かれた。

 兄だ。ようやく椅子から立ち上がってきたらしい。


 ……この惨状を見て、代役を用意する気になってくれたのだろうか?


 しかし、兄は私に声をかけず、気安げに殿下の肩を抱いた。

 だ、大丈夫? そんなに距離を近づけたら第2のレオニスになってしまうのでは……。


「殿下。セリクです」


 兄はまるで友達に語りかけるような調子で殿下に挨拶してみせた。

 私に向ける冷徹な態度とは180度違う。


 王子は兄の顔を見てきょとんとしていたが……少しすると「ああ!」と手を打って笑顔になる。


「セリクか! どうした?」

「殿下。リセは美しいでしょう?」

「ん? そうだな」


 急に話を振られ、構えてしまう。

 な、何? なんで急に……?


「リセと共に寝てはみませんか?」


 は、は……?


「ハァ?!」


 あまりの急展開に、思わず奇声を上げてしまう。

 寝る、寝るって……そりゃ、そういうことですよね?!


 そんなの絶対、絶対、死んでも嫌なんですけど……ハァ?!


「リセといっしょに寝て起きる暮らしは、楽しいかもしれませんよ」


 ん? 寝て起きる……。

 その言葉から兄の思惑がチラリと覗く。


 このセクハラお兄様は「親密な関係を築いてお前が王子をコントロールしろ」……そう仰っているわけか。


 わかってる。

 クローディア家的にはそうなる。


 そうだね。

 王妃になるには王子を即位させなきゃいけない。

 王子を即位させるにはさらなる調教が必要なわけで……。



 だけど……こんな不潔な王子と親密になるなんて、とにかく絶対に嫌だ!



 兄に抗議の念を送る私をよそに、ラウルは頭を顎に手をあて、頭をふらふらさせていた。


 ……え、これ、考えてるポーズ……?

 うわ……アホっぽすぎる……。



「うーん……リセか。リセとは……」


 そういえば、このアホ王子が私をどう見ているのか、確認したことはなかった。

 少なくともレオニスよりは恋愛感情を持たれてないと思うけど。


 ……でも、王子は誰でもいいし。

「リセも女だよな? だったら寝たい!」とか言われたら……どうしたらいい?


 いや、断固拒否以外はない。ないんだけど……。




「なんか、そういうこと、したくないんだよな」




 けど、王子の答えは……まさかの『リセはナシ』……だった。


 いや……いいんだけどね。

 私も王子なんかナシだし。



 私は、いっつも怒ってるし。

 レオニスみたいに優しくないし。


 ……まあ。

 アホ王子でもさすがにこんな女、嫌だよね。

 私が男でも遠慮するわ。


「どうしてです? 小さい頃、殿下はリセに結婚を申し入れたこともあったんですよ」


 ――白い花畑。

 鮮かに記憶に残る、あの日の光景。


 今でも、不意に思い出してしまうことがある。


 風が吹き抜け、花びらがふわりと舞い上がったときの香りも。

 その中で、あの日の王子のはにかんだ顔も、言葉も。




『リセ。俺は、君とこの国を守れる自分になりたい。いつかその日が来たら……結婚してくれるか?』




 現実の王子の幼い表情が、ほんの一瞬――あの日の笑顔と重なった。


 ……けれど。



「え? そんなことあったっけ?」


 その想い出は、王子のとぼけた声に触れた瞬間、音もなくひび割れ、粉々に崩れていった。——あっけなく、無惨に。



『王妃になって、今までの自分に報いる』……そう決めた。


 でも。

 今だけは、どうしても。


 目の前の現実から、逃げ去ってしまいたかった。

 衝動に耐え切れず、私はその場から走り出す。



「あ、リセ……!」


 王子の声から逃れるように足を早める。


 兄はきっと私を白い目で見ているだろう。

 宰相様も、呆れ果てるに違いない。



 でも、それでも。

 ――もう、何もかもが嫌だった。

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