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第5話 密談、そして

 そして、夜の帳が落ちたあと――


 私は信頼できる最低限の使用人だけに事情を告げ、密かに馬車に乗り、レオニスの私邸に向かった。


 手元には、刺繍を施した小ぶりのリテュキュール。

 見た目は夜会用の愛らしい巾着だが、中には筆談具一式がぴたりと収まっている。

 大勢がいる場でなければ、王子がいなくてもこれがあれば会話は成り立つ。




 屋敷の正門に馬車が到着すると、すぐさま家令が出てきた。そのまま屋敷の中へ案内される。


 昼来たときは庭しかろくに見ていなかったが、屋敷も庭と同じく、鈍く光る琥珀のように上品に、けれど確かに美しく整えられていた。


 家令に導かれ応接間に通されると、昼間とは違い、襟元をゆるめたレオニスが、悠々とソファに座っていた。


 立ち上がり、当たり前のように私の手を取る。


「あなたなら、来て下さると思っていました」


 私は促されるままレオニスの向かいの席に座り、レオニスも先ほどのソファに改めて腰を下ろした。


 私たちの間に置かれた燭台の灯りが、どこからか吹き込んだ夜風に踊る。



 ――夜も遅いし、さっさと本題に入って下さらない?


 そんな気持ちで視線を送ると、レオニスは苦笑し、さっそく口を開いた。


「あなたの瞳には、信の光が宿っている……強い目的のある者の目だ」


 信の光……ね。

 すりガラスの向こうから投げられるような、ぼやけた、宮廷らしい言葉。


「あなたの目的は、王妃になることでしょうか」


 と、油断していると急に間合いを詰められ、不覚にも心臓が跳ねる。


「あるいは、その先……財や権力を得ることでしょうか」


 なるほど。

 昼間はこちらが付き合ったのだから、今度はこちらの質問に答えよと。そういうことだろうか。


 王妃という地位。

 財や権力。


 そんなものは私にとっては副産物でしかない。


 私の目的は、『王妃になって、今までの自分に報いる』こと。


 それ以上でも、以下でもない。

 ……が、そんなことをレオニスに明かしてやる義理はない。


 少なくとも、今は。


 私は筆談具を取り出して頭に浮かんだ答えを書き出し、レオニスに示す。



『王子の婚約者である私が王妃になるのは必然。目的として掲げるまでもないことです』



 レオニスは私の書付けを見て、いかにも困ったように苦笑してみせた。


「これは……失礼いたしました」


 私は続けて、次のページに今度は私からの問いを記し、レオニスに見せた。



『あなたこそ、王になりたいのですか。それとも、権力や財を得たいのですか』



 レオニスはその文字を見て、紅眼をわずかに見開く。

 その瞳に映った燭台の炎が、ゆらゆらと揺れていた。


「……思ったよりも、大胆なお方だ」


 私は燃える双眸を見据えたまま、彼に示した紙を燭台の炎で燃やして見せた。手のひらの中で紙片は赤く灼け、やがて黒くなり、煤になる。



 ――この場限りののこととして伺います。あなたの腹の底を明かして下さるのなら。私も、それ相応の答えを返しましょう。



 そのような意図を込め、煤で汚れた手のひらを示す。

 レオニスに私の考えが通じたか、それはわからない。


 レオニスは思案するように俯き、膝の上で軽く手を組んだ。

 夜闇の中、蝋燭の灯りに浮かぶレオニスの顔は、昼間のそれより幾分か人間らしい。



 部屋の中を夜の静寂が満たす。


「私は……」


 議場で聞いたときとは違う、掠れた、低い声が沈黙を破った。

 ついに、レオニスの本心が垣間見え……




 ――コンコン、コン、コココン


 唐突に扉がノックされる音が飛び込んできた。

 しかも何、このふざけた叩き方?


 レオニスを見ると、眉根にはしわが寄り明らかに戸惑っている。

 屋敷の主さえ予測しない、このアホっぽいノック。


 ……まさか。いやそんな、まさか……!


「あのぉ……叔父上……」


 まさか、まさかだ!

 こっちは何の返事もしていないのに、勝手に扉は開かれ、向こうからはもじもじとしたラウル王子が現れたのだった! ハァ?!


 部屋に入ってきた王子は、一拍おいて私に気づくと、まるでコントのように両手を上げて「えぇ?!」と叫んだ。


「なんでリセがここに?! 浮気?!」


 浮気って……お前が言うなお前が!!

 っていうかめちゃくちゃいいところで突撃してくるなアホカス王子!


 憤りのまま立ち上がり、拳が出そうになった……が、寸でのところで堪え胸の前で両手を握る。


 いけない。レオニスの前だ。

 暴言はいいけど……暴力はダメだ!


 身体の中で暴れる破壊衝動のまま、できるだけ表情を大人しくしたまま、私は王子を罵倒した。


「違うわアホ! こっちは危険も承知で敵陣に乗り込んで情報収集してんだよボケナス! お前みたいな節操のない色ボケと一緒にすんな!」

「え……? じょ……ん? せっそ……?」


 にも関わらず私の語彙が豊かすぎるあまりに王子にはこの苛立ちが300分の1も伝わってないらしい!

 あー幸せな脳みそですこと!


 ……ん? 怒りと驚きでスルーしちゃったけど、なんで(たぶん)招かれてもないラウルが、レオニスの屋敷に……?!


「そっちこそなんでここにいるのよ!」

「いや、何か夜になったらさぁ……叔父上に会いたくなってさぁ……」

「はあ?!」


 勢いのまま問うてみると、意味不明な返答が返ってきて思わず頭を抱えた。


 あ? 叔父上に、会いたくなって……?

 しかもまた昼間みたいに照れた顔してるし。


 ……は?


 頬を染めた王子の姿があまりにもおぞましくて、思わず顔を背ける。その視線の先――レオニスを見ると、その顔には明らかな戸惑いと焦りが浮かんでいた。


「わ、私に会いに……?」


 白い肌から血の気が引き、今やすっかり蒼白だ。


 ラウルはレオニスに無遠慮に近づき、すぐ傍で片膝をつく。

 そして……



「叔父上! 男同士っていうのも……いいもんですよ!」



 と、爽やかに笑った。




 ――プツン




「婚約者の前で堂々と叔父をナンパしてんじゃねえ!!! このドアホ!」

「グホォッ!」


 理性とは無関係に私の拳は躍動し、王子の顎先を正確に撃ち抜いていた。

 色ボケ王子は気絶した。



 ……やってしまった……レオニスの前で……。

 クローディア家に伝わる護身術が火を噴いてしまった……。


 でも、全く後悔の気持ちが湧かないのは、どうしてだろう……。


 アホが倒れ伏し、再び部屋には静寂が訪れる。

 私たちはしばらく、ただ茫然と、この国の汚点を眺めていた……。



 燭台の蝋燭の一本が燃え尽きたとき。

 レオニスはようやくはっと顔を上げ、ぎこちなく微笑んだ。


「お帰りになられるなら、馬車を出しましょう。……お二人で、お帰りになります……でしょうか」


 連れて帰れってことですね。

 はいはい。わかりましたよ。


 本来ならばその辺のドブにでも捨てて帰りたいが、こいつが野垂れ死にしては王妃になることは出来ない。


 レオニスが馬車を出してくれるというのなら、連れ帰るくらいのことは……いや、やっぱりしたくないわね?



 どうしたものかと考えていると、ふとレオニスの視線を感じた。


「……今夜、あなたと話せてよかった。また、いずれ」


 先ほどまでとははっきり違う、信頼と共感がないまぜになったレオニスの眼差し。

 それを裏切りたくなくて、私は結局、王子をひきずって帰った。




 まさか、この日のアホ極まる王子の行動が、政局を大きく動かすことになるとは――

 このときの私には、知るよしもなかった。

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