第21話 即位
王弟派は宮廷の中で完全に立場を失った。
それもそのはず。
エルミーネが王子の婚約者を傷つけた不届きものとして囚われ、さらに王弟派が声の出せない魔女・リセは、あっさりと王都の教会で声を出してみせたのだから。
これで貴族たちの支持は確保した。
残るは国民だが……こちらは思ったよりは上手くいかなかった。
『王を操ろうとする、声の出ない魔女・リセ』という悪役は思いのほか国民ウケが良かったらしい。
実は王弟の母・エルミーネが裏から手を引いていた……という話に広めようと色々と工作してみたが、未だに次期王妃は魔女だという噂が絶えない状況という。
その状況を鑑みて、兄・セリクは一言。
「こうなっては仕方ない。即位演説で黙らせなさい」
ですって。
相変らず血も涙も、容赦も手加減もないお兄様ですこと。
そんななか、あっという間に時は流れて即位式当日。
宮廷での式典を終えた王子と私は、国民たちの待つ広間へのバルコニーの扉の前で待機していた。外からは王を望む呼び声と、魔女リセを糾弾する声が半々くらいで聞こえてくる。
「いよいよだな」
立派な王冠を戴き、立派な礼装と重そうなマントを身に着けた王子は、ふうと軽く息を吐いた。
私の汚名が完全に晴れないせいか、幸か不幸か、王子の知性はまだ失われないままだ。
「王子。ちゃんと原稿、頭に入ってますか?」
「まあ……大丈夫だ! この国を守るって気持ちが伝わればいいんだろ?」
「それ、絶対覚えてないやつですよね……?」
緊張感のない様子に思わず頭を抱えると、硬い仮面の感触が手のひらを冷やした。
私の顔の右半分はあの日大きく傷ついた。
一応医者に診せたが、もう二度と元通りには戻らないという。
……まあ、覚悟していたことだ。
なお、傷跡があまりに痛々しいので、当面は半顔の仮面で顔を隠すことにした。
仮面で顔を隠した王妃……。
魔女・リセ派からしたら格好のネタだろう。
顔を出したとき、どんな罵声が飛んでくるか……ああ、頭が痛い。
そんなことを考えていると、ファンファーレが鳴り響き、扉の外で宰相様の演説が始まった。これが終われば、王子と私が扉の外に出て、国民たちに演説をすることになる。
「最後に確認します。本当に王になるんですね? この後の演説が成功したら、今度こそアホに戻っちゃうかもしれませんよ」
「ああ、構わん」
私の問いにやはり王子は迷いなく答えた。
「アホに国、治められるんですか」
「ひとりでは無理だな。だが、皆がいるからなんとかなる!」
拳を振りかざして、王子はいつも通りに笑ってみせる。
しかし、私がじと目で「真面目に答えろ」と暗に伝えると……観念したように息を吐き、続けた。
「それに、俺以外が王になったら色々と揉めるだろう。そんな余裕はわが国にはない!」
「まあ、それはそうなんですが……」
頭では分かっている。
王子がこの国を想うのなら、王になるしかないのだ。
たとえ、王としての資質を剥ぎ取られてしまったとしても。
知性や記憶、色々なものを失ってしまうとしても。
……私との思い出も、やっぱりまた、忘れられてしまうのだろうか。
国の大事の前に、そんな小さなことを考えてしまう自分が馬鹿らしく、つい俯いてしまう。
そんな私の仕草をみて何を思ったのか。
王子は私の腰に手を回し、急に抱き寄せてきた。
「ちょ、ちょっと……こんな時に何ですか!」
私は反射的に、王子の方を見てしまう。
「大丈夫。きっと、上手くいく」
そして王子は、急に真面目な顔をする。
王子のこの顔に、私の心拍数が上がってしまうことを……こいつは知っているのだろうか?
「リセと一緒なら、きっと上手くやれる。そう思うんだ」
その上、そんな調子のいいことを言い始める。
自分の頬が熱くなっているのがわかる。
ぜったい、今の私は顔が赤い。
そんな自分を隠したくて、必死に顔を逸らそうとする。
しかし片腕で腰を抱かれたまま、さらに手を強く握られ、私は抗えず王子を見つめてしまう。
紅い、熱い瞳が私を絡めとる。
「だから……これからずっと、俺を見捨てないでほしい。『あの約束』を忘れてしまっても」
王子顔が私の肩口に沈む。
艶やかな黒髪が、私の耳をぞわりとくすぐる。
「この間は仕方なく許したが……叔父上にだって、本当は触れさせたくなかった。俺には、リセがいないとダメなんだ……」
「え……? な、そんな……」
なんで今?!
いや、もうすぐまたアホになるからかもしれないけど、それでもなんで演説前の今ここで?
完全に想定外の状況に、私は慌てふためき硬直し、汗を流すことしかできない。
そんな私を王子はそのまま抱きしめていたが……控えていた傍仕えの咳払いを合図に、ようやく身を引いた。
「なんてな。リセには迷惑ばかりかけるな」
そして、悪戯っぽく片目をつむる。
もしかして……私をからかってたってこと……?
相手が王子とはいえ、クローディア家の女として、舐められっぱなしではいけない。
あえてつんと構えて、高飛車な調子で腕を組んでみる。
「……王子には秘密にしてましたけど、私、『あの約束』があるから王妃になるんじゃないんで」
「え?! そうなのか?」
王子は両手をあげて、芸人よりも分かりやすく驚いてみせる。
どこからどう見ても、一国の王子の仕草には見えない。
まあでも、すっきりするからいいか!
「私は、『私に報いるため』に王妃になるんです」
「ほう?」
「ええ。王妃修行、ものすごーく大変だったんですから。ここまで来て王妃にならなかったら、馬鹿みたいじゃないですか」
王子の大げさな仕草ににあわせて、私もぱっと両手を広げて見せる。
背筋が伸びて、思いのほかすっと気分が晴れやかになった。
その勢いのまま、王子に人差し指をつきつけ、宣言する。
「これまで身に着けた知識から何やら。全部発揮して最強の王妃になってみせます! ……王子がどれだけアホでも、この国を支えられるくらいのね」
王子は目をぱちくりさせていたが、みるみるうちに満面の笑みを浮かべ、再び私をぎゅっと抱き寄せる。
「リセ、キスしよう!」
「は、はあ?!」
「俺がまだ、『あの約束』を覚えているうちに……」
王子の言葉を断ち切るように、ファンファーレが鳴る。
宰相様の演説が終わったのだ。
今度は王子と私――新しい国王と王妃の、演説がはじまる。
「キスはおあずけみたいですね」そう言おうとした刹那、やわらかい感触が、私の唇をかすめた。
ま、まさか……?!
「さあ、俺たちの国民に会いに行こう!」
「もう……わかりました! 行きましょう!!」
国民たちの待つバルコニーへ続く、扉が開かれる。
新しい時代の幕開けは……王子の即位はもう、すぐそこだ。
* * *
そうして即位演説は無事終わり、ラウルはその伴侶とともに、国民に祝福され王位に就いた。
王冠を戴いたその日、バルコニーに立つふたりの姿は、まるで新しい時代の始まりを告げる光のようだったという。
それからというもの、ラウル王の治世にはいくつもの困難が訪れた。
飢饉、他国からの干渉、宮廷内の不満――
だがそのたびに、王は決して一人で立ち向かおうとはしなかった。
「なんとかなる!」
そう言って笑う王の隣には、常に仮面の王妃・リセの姿があった。
リセの毅然とした言葉と判断力に、次第に「魔女」という悪名も薄れ、リセこそ「国母」だという声もあがったとか、あがらなかったとか。
とにかくふたりは国民に愛されるようになり――
その治世は長く、穏やかに続いたという。
めでたし、めでたし。




