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第20話 取り戻す

 王子との夜から2日後。

 少し欠けてきた満月の光に、私は照らされていた。


「まさか、あなたと身を寄せ合う日が来るなんて……思ってもみなかった。あの、苦しかったら、合図をして下さい」


 ――相変わらず天使のように麗しい王弟・レオニスと共に。

 しかも、ベッドの上で。


 間近で見るレオニスの上半身は大理石のように滑らかで、しみひとつない。

 何度も思ったが、彫像が生きて動いているような完璧さにため息がでる。



 もちろん、これは浮気ではない。

 作戦だ。



 私の作戦。

 それは、レオニスの母・先々代の王妃――エルミーネに、事実上、私の顔を傷つけさせるというもの。


 エルミーネを標的にした理由はふたつ。


 ひつとめは、エルミーネの影響力の大きさ。

 レオニスの母は病に臥せってほとんど邸宅を出ることはないが、多くの王弟派が彼女の枕元に通っているというのは情報通の間では知れた話。私の醜聞が火のように早く王弟派に広まったことからも、その影響力の大きさは明白だ。


 ふたつめは、彼女の弱みを手中に収めているから。

 エルミーネの弱み。

 それは言うまでもなく、王弟・レオニスのことだ。

 彼は私にエルミーネを断罪して欲しいと依頼してきた。



 レオニスの協力を得て、エルミーネを罠に嵌めて、声を取り戻す。



 それがこの夜、私の成すべきことだ。


「し、しかし……ここまでする必要があるのでしょうか?」


 レオニスは私の上で、力なく眉を下げる。


 もちろん、ここまでする必要がある。

 エルミーネを激昂させるためだ。


 エルミーネがレオニスを溺愛しているというのは、宮廷では周知の事実。


 しかし、私はもっと踏み込んだ情報を手にしている。

 エルミーネはレオニスの縁談を何度も、何度も破談に導いできたのだ。


 ある時は、見合いの前に相手の令嬢を事故にあわせ。

 またある時は、相手の家の縁者から官職を奪い没落させ。


 ありとあらゆる手を使い、レオニスの純潔を守ってきたのだ。


 エルミーネは恐らく、レオニスを単なる息子のようには扱っていない。

 年老いた王に嫁がされた鬱憤を、美術品のように美しく賢い息子で晴らそうとしているのかも知れない。


 とにかく、エルミーネの並々ならないレオニスへの執着を利用し、彼女を怒らせ、理性を奪う。



 それが、私の勝ち筋だった。



 と、言う訳で上半身裸のレオニスに組み伏せられているというわけ。


 今日はレオニスがエルミーネの病床を訪ねに行く予定の日だという。


 レオニスがその約束を破った上に、屋敷に女の影があったと知れば……。

 しかもその女が、つい先日舞踏会でレオニスと踊った女だったら……。


 エルミーネは、必ずここに来るだろう。


 内心でほくそ笑んでいると、にわかに廊下の方が騒がしくなる。

 喧騒の中心には、甲高い女の声。


 やはり、来た……!


「レオニス、ここにいるの?!」


 女の声と同時に、寝室のドアが勢いよく開かれる。

 向こうには白いドレスを纏った貴婦人……私の呪いを明かした張本人、エルミーネが肩を怒らせて立っていた。


 一瞬で寝台の上に私とレオニスを見つけると、その白い顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。


「お前……! 私のレオニスから離れなさい!!」


 叫ぶや否や。

 すぐさま私を寝台から引きずり降ろそうと、私にとびかかってきた。


「母上、お止め下さい!」

「レオニス、お前は下がっていなさい!」


 レオニスは私からエルミーネを引き離そうとしたが、彼女はその腕を激情のままに振り払う。


 近くで見ると、エルミーネの顔は舞踏会の夜見たときより随分顔色が良かった。

 恐らく王子が王座から遠ざかったことで、エルミーネに対しても呪いの影響が弱まっているのだろう。


 私は打合せ通りに身をよじり、レオニスの胸元に顔を寄せる。

 レオニスは一瞬びくっと身体を震わせたあと、思い出したように私を守るよう、抱きしめた。


「あ……り、リセ様に暴力を振るうのはお止めください! ……この方は私の……大切な人……なんです」


 レオニスの熱い吐息を首筋に感じながら、エルミーネの様子をちらりと盗み見る。


「なん、ですって……?!」


 彼女は全身をわなわなと震わせ、その顔はもはや赤いというより赤黒い。

 妖精のような可憐さも、あの晩の王妃然とした余裕も、今は欠片もない。


「リセ・クローディア……! お前……地獄に……地獄に送ってやる!」


 完全に冷静さを失った、エルミーネの醜い叫び。

 きっと存分に屋敷中に響き渡っただろう。



 ――やるなら、今だ!



 私は決意し、ベッドの片隅に隠していた短刀で、自分の右顔面を切りつける!


 鋭い痛みに怯みそうになる。

 けれど、一度ではきっと足りない。


 自分を奮い立たせ、もう一度、もう一度と傷を入れていく。


 生暖かいものが腕を伝うのを感じる。

 痛みで視界がぼやける……けれど、それと同時に喉が熱くなるのを感じた。



 この感覚は、あの時と似ている。



 美貌の代わりに声を失ったあの時の、感覚と……。


「私の声……聞こえますか」


 痛みをこらえ、レオニスに呼びかけてみる。

 すると、レオニスの腕がさらに強く、私を抱いた。


「聞こえました! だからもう……傷をつけるのは止めなさい! 安静に……」


 しかし、そういうわけにもいかない。

 私はレオニスの腕を押し、ベッドから立ち上がり、エルミーネに向き直る。



 エルミーネは大きな空色の瞳を揺らしながら、ただ、私を凝視していた。



「お前……まさか、私を陥れるために……?」

「ええ、この後すぐ騎士団が来ます。あなたは息子を愛するあまり、思い余って王子の婚約者を刺した……その容疑で囚われるでしょう」


 血に塗れた私を見て、エルミーネは一歩後ずさるが……しかし、動揺を振り払うように大きく手を掲げ、言い放つ。


「……何を言っているの?! お前こそ不貞の罪で騎士団に囚われるがいい!」

「不貞? なんのことでしょう?」


 私が小首をかしげてみると、エルミーネは溜まらないといった様子でその場でヒールを思いっきり踏みしめる。


「白々しい……! あの知性の抜け落ちた王子を放って、私のレオニスを誘惑しておいて……!」


 狙いすましたかのように、エルミーネが入ってきた扉から、黒い人影が現れる。


「知性の抜け落ちた王子とは、俺のことですか?」


 ラウル王子だ。

 王子はこの場に似合わぬ優雅さで、見事に一礼してみせる。


「どうも、エルミーネ様。お久しぶりです」

「ラウル?!」


 エルミーネは白い髪を振り乱し王子を振り返る。


「リセは俺について叔父上と親交を深めにきただけですよ。それの何が不貞なんです?」


 エルミーネが言う通り騎士が来たとき、レオニスと私だけならそれはそれで大問題になる。


 しかし、王子がいるなら話は別だ。

 服装さえ整えてしまえば、何とでも言い訳ができる。

 そのために、近くの部屋に控えてもらっていた。


「お前たち……!」


 妖精のような見た目には到底似つかわしくない、地の底から響くような声で、エルミーネは唸る。それ以外、できることはないと悟ったのだろう。


 遠くから慌ただしい靴音が聞こえる。

 恐らく、レオニスの家令の通報で騎士団が到着したのだろう。



 レオニスが私の背後から進み出て、エルミーネに相対する。

 その横顔は聖像のように静謐に固く、感情が読めない。


「母上。貴方は罪を犯しすぎた。……もう、終わりにしましょう」


 けれど、その声は泣き出しそうな子供のように震えていた。



 それからしばらく。

 騎士団は到着し、エルミーネは私を傷つけた容疑で囚われ、調べが済むまで自宅謹慎をすることとなった。



 声を取り戻した私は、王都の教会への申し開きを無事に終えることとなる。


 そうして、私に残された使命はあと、ひとつ。


 国民への即位演説。

 それを王子と共に、成功させること――ただ、それだけだ。

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