第19話 それでも、やっぱり王になる
兄との即位までの策略の検討を終えた後、私は王子の躾部屋――もとい王子の私室に足を運んだ。
私は部屋に到着すると、いつもの癖でノックもせずに入室してしまった。
いけないと思いつつも、まあいいか、と思い直し部屋の中を見渡す。
すると、王子はひとりで窓辺でひとり、空を眺めていた。
夜空には薄い雲のかかる満月と、それを彩るように煌めく星々。
月明かりが艶やかな黒髪と、均整のとれた身体の線を淡く照らしている。
アホほど不摂生に暮らしてきたというのに。
窓辺で物憂げに夜空の星を追う王子は、悔しいほどに絵になっていた。
その光景に不覚にも目を奪われていると、ふと、王子がこちらに目を向けた。
紅い瞳に燭台の炎が揺らめく。
「……リセか!」
王子は私を見つけると、ぱっと笑顔になり、すぐさまこちらに近寄り、私にソファをすすめる。
私が座ると、当然のように隣に座ってきた。
いやまあ、婚約者なんだから当たり前なんだけど。
「セリクとは、話しがついたのか?」
理性を感じる引き締まった表情。
普段より数段、意志を感じる声。
しかし、顔や声よりも。
王子から普通の発言が飛び出るのがものすごい違和感だった。
……そのせいか胸がざわざわと騒がしい。
「はい……大方は。数日のうちに動き出せるかと思います」
「さすが、早いな。どんな手を打つことになったんだ?」
王子の質問に、私はすぐに答えられなかった。
目の前の王子が、私の知る、幼い頃の優しい王子なら。
兄と考えたあの作戦にきっと心を痛めるだろう。
……それでも、王子に問いに、いたずらに偽りで返すわけにもいかない。
私は覚悟をし、王子に話した。
自らの顔に傷をつけ、声を取り戻そうとしていること。
王弟派を陥れ、私を襲わせようとしていること。
そして、どうやって王弟派の主要人物を陥れようとしているのかも……。
私の話に耳を傾ける王子の顔からは、次第に朗らかさが消え、やがて初めて見る真剣な面持ちが現れた。
全てを話し終えた私は、黙って王子の言葉を待つ。
王子は私に、そんな危ないことをするな、と言うだろうか?
「……わかった」
けれど、王子はあっけなく私の作戦に同意した。
「ん? どうした、リセ」
王子は不思議そうに、私の顔を覗き込む。
「……いえ。反対されるかもと思っていたので……。仮にも、即位のとき王子の横に並ぶ女の顔が傷だらけになってしまうわけですから」
「リセが傷つくことを歓迎するわけではない。だが、決めたんだろう」
……よく考えればすぐに分かることだった。
王子は私と別れてから、将兵としていくつもの戦場を駆けてきたのだ。
臣下の者が多少傷を負ったからといって、動揺するようなことはない。
それでも、胸に風穴があいてしまったような気持ちになるのは、どうして?
「俺も、皆に委ねることを学んだからな」
王子は真剣な顔を引っこめ、大げさに腕を組んでみせる。
「それに戦場に出て気が付いたんだが……どうやら俺の勘は異常に当たるんだ。今回もリセに任せれば上手くいくような気がしてる。だから、任せた!」
溌溂と言い放つと、王子はお気楽に笑った。
「……それは、ちょっと適当すぎません?」
あまりにゆるい考え方に、私はついツッコミを入れてしまう。
そんな私を見て、王子はなぜか、嬉しそうに笑みを深めた。
「リセは、変わらないな」
「どこがです?」
「昔と同じ目をしている」
「目……ですか?」
確かに昔から目の色は変わらないが、そんなの誰だって同じだ。
「そう、国母の目だ! リセの目からはなんだか『母』を感じるんだよな」
「……は?」
ちょっと待て。
レオニスに続いて王子まで私を『母』に例えるの?!
しかも今度は国母ときた。
私はまだ未婚の令嬢だ!
誰かの『おかん』になった覚えはない……!!
殺気立つ私をよそに、王子は続ける。
「愛情と理性が半々というか……情はあるんだが妙にきっぱりしてるというか」
「は、はあ……」
「ああ! そういえば戦地で料理を振る舞ってくれた、宿屋のおかみの目に似ていたかも!」
宿屋のおかみって、オイオイ……。
思わず頭をかかえてしまいそうになった、その瞬間。
ふと、王子の大きな手が、私の頬に添えられた。
「俺は、リセのそういう目が昔から好きだった」
「い、いや……その……?!」
急展開についていけず、私は首をおもいっきりひねり、必死に王子から目を逸らす。
「改めて……リセ。今まで、本当にすまなかった」
先ほどよりも一段低く、深い王子の声。
「リセに久しぶりに会って……リセだと分からず見た目のことを悪くいってしまったこと。申し訳なかった。言い訳でしかないが、どうしてかあの頃の俺は周囲を裏切るようなことばかり、口走るようになってしまっていたんだ」
その声はまるで魔法のように、私の鼓動を早めていく。
「それに、呪いの影響があったとはいえ……『あの約束』のことを忘れて、本当に悪かった」
ああ、どうして。
いつも、この人は私の心をかき乱すんだろう。
『過去の自分に報いるため』、王妃になるって決めたから。
そんな謝罪、どうでもいいはずなのに。
「……べつに。子供の頃の話ですから。どうでもいいです」
悔し紛れにそう言ってみたら。
どうしてか一粒、涙がこぼれてしまった。
「でも、大切な約束だ」
王子の掠れた声が、夜の部屋に溶けていく。
月にかかっていた薄雲が失せ、月明かりがほのかに室内に差し込む。
静かで、密かで、どこか甘い雰囲気。
それがどうにもむずがゆくて、私は乱暴に袖口で自分の涙をぬぐった。
「私の名誉が回復したら、王子はまたアホに戻るかも知れません。……それでもいいんですか」
「構わない」
私の意地悪な問いに、王子はいつかのように即座に答えた。
「俺は、何があっても絶対にこの国の王を受け継ぐと決めてる」
鋭い声に強引に引かれるように、王子の方を見る。
ふたつの紅い瞳の中で、情けない私が揺れている。
「どうして、ですか?」
「理由を探せば色々ある。父上から国を背負う覚悟を聞いて、俺もそうありたいと思ったとかさ。あとはクローディア家を出て、父上と国を巡って……傷ついた村や人をみて、守ってやりたいと思ったよ」
王子の瞳が僅かに細められる。
「でも、そういう積み重ねが全部俺の血肉になって……俺になんとなく、『絶対王になるんだ』って思わせてる。そんな気がするんだ」
私の頬に添えられている方とは別の方の手で、王子は私の手を取り、また笑う。
本当に、この王子様はよく笑う。
昔と、変わらず。
「そんな理由じゃダメか? アホっぽいか?」
私もその笑顔につられて、ついに笑ってしまった。
「少なくとも近頃の王子基準では、全くアホじゃありません」
なんとなく王になりたい王子に、
自分のために王妃になりたい令嬢。
もしかしたら私は案外、王子に似合いの婚約者なのかもしれない。
『なんとなく』、今日ばかりはそう思えた。
そして、それから2日後。
戦いの火蓋は切って落とされることになる。
この宮廷で私が王妃になるための、最後の戦いが――はじまる。




