第15話 青い炎
「私とも一曲、踊って下さいませんか?」
差し伸べられた白いグローブを見つめながら、私は考えを巡らせる。
レオニスが舞踏会に来たと聞いてこの事態は予想していた。
世間体を考えるなら踊るべき。
それに……
「あ! 叔父上!」
王子がレオニスに反応する気配を察し、即刻その手を取り、ホールへ進み出る。
まかり間違って王子がレオニスと踊れば……ゴシップどころではない!
禁断の愛が事実として宮殿に知れ渡れば、信用度ゼロの王子とはいえ、ただでは済まない。
「……リセ……?」
戸惑う王子の声が聞こえた気がしたが、無視だ。
「衛兵になんとか押さえつけておいて!」とハンドサインを送ってから、私はレオニスに向き合い、微笑みかける。「さあ、踊りましょう」……という意味を込めて。
レオニスは恭しく胸に手をあて、私に一礼をする。
ちょうど前の曲が途切れる。
周囲の視線を断ち切るように……レオニスの微笑みに、導かれるように。
私はレオニスの腕に自らの手を置く。
また、ワルツがはじまる。
王子と踊った曲とは違う、少し大人びた、落ち着いた曲調。
レオニスのリードはやはり想像通り、非の打ちどころがなかった。
流れるように優雅で、安心して身を任せられる。
王子ほどの華やぎはないけれど、大勢に混じって踊るなら、このくらい穏やかな導きの方が好まれるかもしれない。
「先ほどは、見事なダンスでした」
ダンスの合間、ふと目が合ったとき、レオニスは囁いた。
「リセ様は……本当に、王子を大切に想っていらっしゃるのですね」
私が、王子を大切にしてる?
私はレオニスの前で王子を殴って気絶させたはずだけど、何を見てそう思ったのだろうか?
あからさまに怪訝な顔をする私に、レオニスは少しだけ表情を和らげた。
「あなたは王子がどんな風になっても、いつも気丈に優しく支えている」
何度か目にしてきた、天使の顔が少し人間に戻る瞬間。
「……まるで、聖母のようなおおらかさで」
聖母、ね……。
そんな大層なものじゃ……ん? マテ、聖『母』……?
聖女じゃなくて、聖母だと……?!
私は、王子の『おかん』になった覚えはないッ……!!
思わず目を剥くと、レオニスはいかにも可笑しそうに笑った。
「申し訳ありません。リセ様はいつも表情豊かですから、つい」
ま、まさかからかっただけ?
……政敵に釣られてしまったわけか。不覚……。
謎の敗北感に打ちひしがれていると、曲が終わりを告げる。
よし。とりあえず任務完了。
王子を連れてさっさと退散しよう。
そう思ってレオニスの腕から手を引こうとした、そのとき。
私はそのまま、手を握られてしまった。
……もちろん、レオニスにだ。
反射的に顔を上げると、紅い瞳と視線がかちあう。
先ほどまで笑っていた顔は、今は妙に固く、何かを噛みしめているようだった。
レオニスは何も言わない。
私も、何も言えない。
……そのまま時が過ぎ、次の曲がはじまってしまう。
これは……ど、どういうことだろう。
私はレオニスの意図がくみ取れず、かといって棒立ちしているわけにもいかず。
強引に手を引き、一礼をした。
レオニスは一瞬、口を開きかけたように見えたが……結局いつも通りに優し気に微笑み、私を見送り、人波に消えていった。
踊り始める貴族たちの合間を縫って広間を抜け、王子を探す。
妙に騒がしくなってしまった鼓動を、自覚しながら。
広間を回っても、どうしてか王子は見つからなかった。
ついでに兄の姿もない。
まさか、何か問題が起きたのか。
それとも問題が起きそうになって、強制的に帰還させられたのか……。
念のために会場内をすべて見て回ろうと、テラスに出る。
夜風が会場の熱気にあてられた身体に、心地よく吹き抜ける。
風を浴びながらテラスを見渡すと、隅の方でうずくまり咳き込む女性がいることに気づいた。
ほとんど銀色に見える金髪。いかにも高級な布地で仕立てられた白を基調としたドレス。そして、病的なまでに細く、薄い肩。
……どこかのご令嬢だろうか?
宮廷では売れそうな恩は全て売っておいた方がいい。
その信条に基づき、私は白い令嬢に近づき背中に手を添える。
「……だれ……?」
顔を上げたその人は思ったより年上のようだった。
ドレスの色味やデザインは若いが、顔立ちは貴婦人といった風体だ。
ただし、彼女は……この上ないほど美しかった。
夜闇のなかで光を放っていると錯覚するほどに。
こんな綺麗な人は見たことがない。
人間離れした、寓話の妖精のようですらある。
もしかして、外国の使節の妻……とかだろうか?
彼女の身分を推測していると、私より先に向こうのほうが私の身分に思い当たったようだった。
明け方の空のように明るい青い瞳が、みるみるうちに大きく見開かれる。
「あなた……。もしかして、王子の婚約者……?」
そう言った彼女は……どうしてか、嬉しそうに微笑んだ。
表情は妙に幼く、高貴さのにじむ顔立ちとの落差が胸をざわつかせた。
彼女は私の手を、なんとなしに握った。
その、次の瞬間。
私の周りを、淡い――けれど明らかに『異質』な青い炎が包みこんだ――!
瞬く間に、灼けつくような熱が肌を焦がし、呼吸を奪う。
まるで生きた炎そのものに抱きすくめられたようだった。
あまりに突飛な出来事に、息を飲む暇もなかった。
けれど……この現象に、私には心当たりがあった。
手を握った瞬間に現れる呪いの兆し。
私は、つい最近これを見たばかりだった。
――ルーエン枢機卿に王子の呪いが明かされた、そのときに。
「あなた、やっぱりかかってるじゃない。……『呪い』が」
彼女は、楽しげに言った。
誰よりも美しく、誰よりも無邪気な笑顔で。
――唐突に、絶望感が胸を貫く。
……バレた。
私が呪いを受けているという決定的な事実が、バレてしまったのだ。
しかも、身分を把握されたうえで――見透かされた。
私は、王子を犠牲にしてまで、王子を即位させようとしてきた。
『王妃になって、今までの自分に報いる』
……ただ、そのためだけに。
それなのに。
私は、今までの道のりを……王子の犠牲も全部。全部。
一瞬で、台無しにしてしまったんだ……。
呆然と立ちすくむ私を、白い女は高らかに嘲り笑う。
「あなたが悪いのよ。私からあの子――レオニスを……奪おうとしたのだから」




