第13話 王座
『王座に近づけば近づくほど、王に相応しくなくなる』
レオニスは、王子にかかる呪いのことを知っていた。
それに加えて――その呪いをかけたのが、誰なのかも。
王子の立てる食器の音が遠ざかる。
頭の芯の部分がしん、と冷えていく。
これからの会話が、王子の命運を分ける。
理屈より先に、感覚で察した。
――さあ、次の一手はどう指す……?
筆談具を握る手に力を込めた、その時――
「ねえリセ! スープのめた! つぎは?」
王子のアホみたいにデカい声が、私の思考をぶった切る。
呪いでアホになってる……それはわかってる、けど!
「今大事なとこなの!」
抑えきれない怒りをあらわに王子の方を見る。
するとそこには、口元はべしょべしょ。襟から胸元までスープで汚した王子がいた……。つーか飲めてないから! こぼれてるから!
「こんなに汚して……ちょっと黙ってなさい」
筆談具と一緒に持ってきたハンカチで王子の服をぬぐうが、焼け石に水だ。
「でも、まだおなかすいてる……」
あきれ果てる私に、レオニスは淡く微笑み、使用人に命じて次の料理……手づかみで食べられそうな、大きな白パンを山ほど運んでくれた。
王子が白パンに夢中になったのを確認し、改めて思考を巡らす。
――レオニスはあっさりと王子の呪いと、その呪いを誰がかけたのかを知っていることを明かした。
王位継承者から王の資質を奪う呪い……それにまつわる事情を知っていて握りつぶしていたとなれば、反逆罪に問われてもおかしくない。
……まずはその点についてどう言い訳をしてくるか、出方を伺おうか。
私は『次の一手』を紙に書きつけ、使用人越しにレオニスに渡した。
『あなたはなぜ、今まで黙っていたのです?』
レオニスはふと目を細め、口元を綻ばせる。その整いすぎた表情は、美しさよりも隔たりを思わせ、近寄ることを許さぬ聖域のように見えた。
「誤解なさらないで下さい。私もつい先日、この事実を知ったのです」
想定内の言い分。
けれど、レオニスはそこで踏みとどまらない。
躊躇いもなく、核心を明かす。
「王子に呪いをかけたのは……私の、母です」
急に距離を詰められたように錯覚し、思わず息を呑む。
……が、それでは相手の思うつぼだ。
まずはただ、事実を受け止めよう。
王子に呪いをかけたのはレオニスの母――先々代の王妃様だった。
「立場上、私から手出しはし難い。ですから、軍や司法に縁の深いクローディア家のご息女であり、王子の婚約者でもあるリセ様にこのことをお話したのです」
レオニスは母を処罰せよという。
王座に興味がないのか。それとも、母に罪を押し付けようとしているのか。
とはいえ、この場で真実を追求することはできない。
ならば……年若い令嬢らしい、慈悲深い一手で挑んでみようか。
『先日、お母様を見舞っていらっしゃいましたね。お辛くはないのですか』
私の差し出した紙片を見て、レオニスは表情をぴくりとも動かさず、即座に言い切った。
「いいえ」
その反応で確信する。
王弟レオニス――この男の深淵には、『母』という存在が深く……深く根を張っているのだと。
「王子の呪いは、母の願いから生まれたものです」
そう語るレオニスの声色は、聖典を朗読するように淡々と澄んでいた。
「母は……私に王位を継がせたかった」
言葉には揺れはない。
でも、どうしてか教会の鐘の音のように胸に余韻を残した。
「その代償に、彼女自身には『王座に近づけば近づくほど、死に近づく』という呪いがかかっているそうです」
レオニスの母の体調不良は王子への呪いの代償だったとは……。
宮廷を揺るがすような事実を語る男の紅い瞳は、不思議なほどに凪いでいた。
「自分を殺したくなければ王位を望め――と、母は言いました。……愚かなことです」
けれど、最後の一言。
そこからほんのわずかに苛立ちの気配が漏れた。
レオニスは表層では母に反抗心を持っている……のかもしれない。
……だとすれば、レオニスの母が主犯の可能性は高いのかも。城に帰ったらその線で裏どりをしよう。あとは……
――ガタンッ!
な、何?!
急な物音に思わず身構える。
とっさに音の方を振り向くとそこには、机に突っ伏してよだれを垂らす王子がいた。皿の周りには無残に食い荒らされた白パンのカス……。
まさかパンに睡眠薬が?!
……いや。満腹になった上、レオニスの難しい話が流れてきて眠くなってしまったのだろう。
まあ、この状況で長居をするのもよくない。
レオニスへの返答を手元の紙に書き記す。
『詳しくお話しいただき感謝いたします。王子がお疲れのようなので、今日は城に戻ります。お母様の件はまた、改めて』
使用人から紙片を受け取ったレオニスは、目を伏せてそれに目を走らせ、すぐにまた私を見た。
「かしこまりました。送りの馬車をご用意しましょう」
ほどなく馬車を案内され、私と王子はレオニスの前をあとにする。
「次は、舞踏会で」
別れ際、そう告げられて……私は頭を抱えた。
議会での即位宣言は終わった。
けれど、数日後には即位に向けた舞踏会への参加が決まっている。
つまり私はこのアホ王子を抱えながら舞踏会の準備をして、その上、王子に呪いをかけた(?)レオニスの母を処罰に向けて動かなきゃいけないってわけで……。
「いや、私に国の命運のしかかりすぎでしょ!」
思わず馬車のなかでツッコミを入れてしまった。
王子以外に聞こえない声のおかげで不審者にならずに済んだ。助かった。
馬車の窓から夜空を見上げる。
濃紺の空に浮かぶ、象牙のように白い月――その淡い光と、レオニスの儚げな笑顔が……どうしてか、重なって見えた。




