第12話 フォークでスープを
――王子の呪いが明らかになった、3日後。
私は再び、王子の隣で議会に出席していた。
黒髪を軽くなでつけ、『戦場の黒獅子』らしく装わせた王子。
馬子にも衣裳とはまさにこのこと。
見た目だけは悪くない。なんか悔しいけど。
前回同様、宰相様が即位の必要性を説明し、やがて王子が宣言をする段が訪れた。
今回こそ、無事に即位を宣言をさせてみせる……!
胸の内で気合を入れ直し、王子の脇を小突いて立たせる。
立ち上がった王子の背筋はピンと伸びている。
夜なべして礼服の背に定規を縫い付けた甲斐があったというものだ。
私は持ち前の王子にしか聞こえない声で、王子が告げるべき台詞を読み上げる。
「『私は』」
「わたしは」
「『建国』」
「けんこく」
「『記念日に』」
「きねんびに」
「『即位します』」
「……即位します!」
異国から来た怪しい宣教師のような、たどたどしい即位宣言に頭痛が走る。
が、既に議会の趨勢は掌握している。
とりあえず形式を保っていればいいのだ!
ほら、その証拠に王子派の一角から割れんばかりの拍手が起き、それに呼応するように議場全体が渇いた音で満たされた。ちょっとまばらだけど。
とりあえず『議会が王子の即位を承認した』という雰囲気があれば十分。
少し離れた議席に座るレオニスの様子を伺うと、口を開く気配もなく、穏やかに微笑んで王子に拍手を送っていた。
ほっと息をつく私に、王子がドヤ顔を向けて「できた!」と宣言してきた。
いや、知らんがな。
……まあ、不格好な宣言でも成功は成功だ。今日は久しぶりに夕食にデザートをつけてあげてもいいかもしれない。
そして、その日の議会はそのまま無事終了し、第1の目標は達成された。
けれど、油断している暇はない。
数日後には即位式前の舞踏会が控えている。
その上、即位宣言を成功させ王座に近づいた王子は、ますますアホになるかも知れない。
今日の夜も休まず舞踏会での振る舞い方を仕込まないと……。
逃走防止のため、屈強な衛兵に王子の腰を縛り付け躾部屋に戻ろうとした、そのとき。
「殿下、リセ様。お久しぶりです」
ヴィオラの旋律ような、甘く深い声が私たちを呼び止めた。
……レオニスだ。
レオニスの声を聞いてぱっと顔を輝かせた王子に「待て」をし、私は一歩進みでて、恭しく一礼してみせる。「何の御用でしょうか」……そんな意味合いを込めて。
「殿下が改めて即位宣言をされましたので、お祝いを申し上げたく。おめでとうございます」
前回、余計な一言で即位宣言を台無しにした張本人が、よくも白々しいことを……!
と、怒りがこみ上げかけたが、レオニスの顔には数日前に温室で会ったときよりもさらに深い疲労の色がにじんでいて、思わず溜飲が下がってしまった。
「もしよろしければ我が屋敷で今晩、晩餐でもご一緒しませんか」
……晩餐、だと?
このアホ王子を伴ってレオニスの家で晩餐? 破滅の予感しかしない!
本来であれば断りたい。
けれど、周囲では議会を終えたばかりの貴族議員たちが、王子と王弟――宮廷の中心人物たちの様子をそれとなくうかがっていた。
この状況でレオニスの誘いを断れば、王弟派や、王弟派から王子派に傾いた貴族たちの不興を買う可能性もある。
どうするのが正解だろう?
頭の中で策を巡らせていると……
「いく! いきます! リセ、いこうよ!」
王子の無駄に元気な声が、後頭部にぶつかってきた。
振り向くと、大木のような体格の衛兵を笑顔で引きずり、こちらへ向かってくるアホが……。
クソ……なんとなくこうなる気はしてた!
兄は軍務で忙しいらしく、今日の議会を欠席している。
代わりに宰相様に視線を送ると、仕方ない、とばかりに頷いてよこした。
……腹を括って行ってこいというわけね。
私はレオニスに「招待を受けます」という意図で、再び頭を下げる。
レオニスは目元を綻ばせ、「それでは後ほど」と返し、去っていった。
そして、その日の晩。
私は王子を伴ってレオニスの屋敷を訪問した。
馬車で正門につけるとすぐさま家令が現れ、私たちを晩餐室に導いてくれた。
相変わらず手入れが行き届き、品の良い調度が調えられた、優美そのものの室内。
王子の逃走防止のために近頃は鉄格子や鉄籠、鉄の閂、鉄の刃を模した罠なんかに囲まれていたから、別世界に来たような心地だ。
晩餐用の長机に座り待っていると、ほどなく、レオニスが姿を現した。
「本日は足をお運び頂き、ありがとうございます」
何度見ても感動の褪せない天使のような、美しい微笑み。
「叔父上!」
王子はためらわずレオニスの方に駆け寄ろうとしたが、腰に付けた革ひもを渾身の力で引いて何とか引き留める。
この猪突猛進アホ王子め……!
アンタのせいでこのところずっと筋肉痛なんだからちょっとは遠慮しなさいよ!
王子の手綱を引く私がよっぽど変な顔をしていたのか、レオニスは私の方にふと目を留め、優し気に微笑む。
……細められた瞳に少しだけ寂しさがにじんでいるようにみえたのは、気のせいだろうか?
「ささやかながら、おふたりのために特別な料理をご用意しました。食事をしながら、いろいろとお話をさせてください」
私がなんとか王子を椅子に座らせるのを見届けてから、レオニスは使用人に合図を送る。
するとほどなく、完璧に澄んだ黄金色のスープが私たちの前に供された。口にせずとも香りと見た目で、どれだけいい料理人を抱えているかわかる。
「いいにおい! いただきます!」
王子はさっそくとばかりにスープに手を付ける。
けれど……
「あ、あれ? これ……のめないんだけど?」
なぜか、王子はフォークをスープに突き立て始めた。
少し前の私ならアホ王子をこれでもかと叱りつけたろう。
けれど今はその姿をみて、冷や汗が背中を伝った。
……やっぱり、王座に近づいたことでアホが進行してるんだ。
字面だけなら面白いが事態は深刻だ。
当然の生活動作すら、できなくなってきてしまったというのだから。
レオニスはこの姿を見て、呆れるだろうか。「やはりこの男を王にしてはいけない」と決意を新たにするかもしれない。
恐る恐る表情を伺うと……レオニスは王子と同じ紅い瞳を僅かに見開き、蒼白になっていた。
その顔は以前、王子がレオニスに
『叔父上! 男同士っていうのも……いいもんですよ!』
という世紀の大問題発言をかました時のものと同じにみえた。
なんで今、その顔を?
王子に迫られているわけでもないのに。
頭の中にいくつかの考えがもたげる。
……もしかして。
レオニスがあのとき顔を青くしたのは、王子の男色の誘いにドン引きしていたわけではなかったのでは?
今回と前回の共通点は、王子の救いようのないアホ行動。
レオニスは、王子のアホさにショックを受けていた……?
確かに、このアホが近く国王になると思えば青ざめたくもなる。
けれど、王子のアホは公然の事実。
悲しいかな、いまさら驚くようなことでもない。
……では、残る可能性は『アレ』しかない。
けれどもし、その可能性をこの場で肯定されたとして。
――私と王子は生きてこの屋敷を出られるのだろうか?
それでも、ここで引き下がっては何も得られない。
政敵の懐に飛び込んでおいて、怖くなって退散するなんて……愚かにもほどがある。
『戦わざる者、食うべからず』
クローディア家訓を胸に、私は携帯用の筆談具を取り出し『残る可能性』を紙片に記す。
そして、近くの使用人に頼みレオニスに書きつけを届けさせた。
レオニスはそれを見て、ただ目を伏せた。
白金の睫毛が、陶磁のような頬にやわらかく影を落とす。
王子がフォークでスープをすくおうと皿を叩く音だけが、室内に虚しく響いていた。
やがて、沈黙を切り裂くように──
レオニスは紅い双眸で鋭く私を射抜き、告げた。
「……私は、殿下にかかる呪いのことを知っています。――そして、その呪いをかけた人物も」




